「今夜は招待客がいらっしゃらないようですので、ひとつこの機会に、皆さんが普段持て余しておられる疑問点をお聞きすることにしましょう。易しい問題はお断りです。今夜に限って難問を所望しましょう」
 易しい真理を平易に説くことをモットーとしているシルバーバーチが、ある日の交霊会の開会と同時にこう切り出した。早速次々と質問が出されたが、その中から興味深いものを幾つか紹介してみよう。
 最初の質問は最近ある霊媒による交霊会が失敗した話を持ち出して、その原因について質した。するとシルバーバーチは-

 「それは霊媒としての修業不足-見知らぬ人を招待して交霊会を開くだけの力がまだ十分に具わっていない段階で行った為です。あの霊媒は潜在意識にまだ十分な受容性が具わっておりません。霊媒自身の考えが出しゃばろうとするのを抑え切れないのです。支配霊がいても肝心のコントロールが上手く行っておりません。支配霊が霊媒をコントロールすることによって行う現象(霊言並びに自動書記通信)においては、よほど熟練している場合は別として、その通信には大なり小なり霊媒自身の考えが付着しているものと考えてよろしい。そうしないと通信が一言も出なくなります」(訳者注-この後に続く問答と共に、これは、今後ますます霊的なことが受け入れられていくことが予想される日本において極めて大切な警告と受け止めるべきである。専属の支配霊にしてその程度なのである。ましてや、呼ばれて直ぐに出て来る霊がそう簡単に喋ったり書いたり出来るものではないのである。直ぐに身元を明かす霊は徹底的に疑ってかかるべきである。疑われて腹を立てるような霊は相手にしない方がよい。それが霊を見分ける一つの尺度である)

-潜在意識の影響を全く受けない通信は有り得ないということでしょうか。

 「その通りです」

-全てが脚色されているということですか。

 「どうしてもそうなります。いかなる形式をとろうと、霊界との交信は生身の人間を使用しなくてはならないからです。人間を道具としている以上は、それを通過する際に大なり小なり着色されます。人間である以上その人間的性質を完全に無くすことは出来ないからです」

-神が完全なる存在であるならば、なぜもっと良い通信手段を用意してくれないのでしょうか。

 「本日は難しい質問をお受けしますと申し上げたら本当に難しい質問をしてくださいましたね。結構です。さて、私達が使用する用語にはそれをどう定義するかという問題があることをまず知って頂かねばなりません。
 仰る通り神は完全です。ですがそれは神が完全な形で顕現されているという意味ではありません。神そのものは完全です。つまりあなたの内部に種子として存在する神は完全性を具えているということです。ですが、それは必ずしも物質的形態を通して完全な形で表現されてはいません。だからこそ無限の時間をかけて絶え間ない進化の過程を経なければならないのです。進化とは内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させる為に不純物という不完全性を除去し磨いていくことです。その進化の過程においてあなたが手にされる霊的啓示は、あなたが到達した段階(霊格)に相応しいものでしかありません。万一あなたの霊格よりずっと進んだものを先取りされても、それは所詮あなたの理解を超えたものですから、何の意味もないことになります」

-では人間が更に進化すれば機械的な通信手段が発明されるかも知れないわけですか。

 「その問題についての私の持論は既にご存知の筈です。私は、いかなる機器が発明されても霊媒をヌキにしては完全とはなり得ないと申し上げております。そもそも何の為にこうして霊界から通信を送るのかという、その動機を理解して頂かねばなりません。それは何よりもまず、〝愛〟に発しているのです。肉親、知人、友人といったかつて地上で知り合った人から送られて来るものであろうと、私のように人類の為を思う先輩霊からのものであろうと、霊的メッセージを送るという行為を動機付けているものは愛なのです。
 愛こそが全ての鍵です。たとえ完全でなくても、何等かの交信がある方が何もないよりは大切です。なぜなら、それが愛の発現の場を提供することになるからです。しかしそれを機械によって行うとなると、どう工夫したところで、その愛の要素が除去されることになります。生き生きとした愛の温もりのある通信は得られず、ただの電話のようなものになります」

-電話でも温かみや愛が通じ合えるのではないでしょうか。

 「電話機を通して得られるかも知れませんが、電話機そのものに温かみはありません」

-大切なのはそれを通して得られるものではないでしょうか。

 「この場合は違います。大切なのは霊媒という〝電話機〟と、メッセージを受ける人間に及ぼす影響です。それに関わる人全部の霊性を鼓舞することに意図があります」

-霊媒も含めてですか。

 「そうです。なぜなら最終的にはいつの日か地上の人類も霊と霊とが自然な形で直接交信出来るまでに霊性が発達します。それを機械を使って代用させようとすることは進化の意図に反することです。進化はあくまで霊性の発達を通して為されねばなりません。霊格を高めることによって神性を最高に発揮するのが目的です」

-ということは、最高の(死後存続の)証拠を得たいと思えば霊性の発達した霊媒を養成しなければならないということでしょうか。

 「私は今〝証拠〟の問題を念頭に置いて話しているのではありません。人類の発達ということを念頭に置いて話しているのです。人生は螺旋状のサイクルを描きながら発達するように計画されており、その中の一つの段階において次の段階の為の霊性を身に付け、その積み重ねが延々と続けられるのです。お分かりでしょうか」

-はい、分かります。

 「最高の成果を得る為には顕幽両界の間にお互いに引き合うものがなければなりません。その最高のものが愛の力なのです。両界の間の障害が取り除かれて行きつつある理由は、その愛と愛との呼びかけ合いがあるからです」

-霊媒の仕事が金銭的になり過ぎると上手く行かないのはその為でしょうか。

 「その通りです。霊媒は止むに止まれぬ献身的精神に燃えなければなりません。その願望そのものが霊格を高めて行くのです。それが何よりも大切です。なぜなら、人類が絶え間なく霊性を高めて行かなかったら、結果は恐ろしいことになるからです。霊がメッセージを携えて地上へ戻って来るそもそもの目的は人間の霊性を鼓舞する為であり、潜在する霊的才能を開発して霊的存在としての目的を成就させる為です」

-他界した肉親が地上へ戻って来る-例えば父親が息子の下に戻って来る場合、その根本にあるのは戻りたいという一念でしょうか、それとも今仰った目的で霊媒を通じてメッセージを送りたいからでしょうか。

 「戻りたいという一念からです。ですが一体なぜ戻りたいと思うのでしょう。その願望は愛に根ざしています。父親には息子への愛があり、息子には父親への愛があります。その愛があればこそ父親はあらゆる障害を克服して戻って来るのです。困難を克服して愛の力を証明し、愛は死を超えて存続していることを示すことによって息子は、父親の他界という不幸を通じて魂が目を覚まし霊的自我を見出します。かくして、単なる慰めのつもりで始まったことが霊的発達のスタートという形で終わることになります」

-成る程、そういうことですか。言い換えれば神は進化の計画の為にありとあらゆる体験を活用するということですね?

 「人生の究極の目的は、地上の死後も、霊性を開発することにあります。物質界に誕生するのもその為です。その目的に適った地上生活を送れば霊はしかるべき発達を遂げ、次の生活の場に正しく適応出来る霊性を身に付けた時点で死を迎えます。そのように計画されているのです。こちらへ来てからも同じ過程が続き、その都度霊性が開発され、その都度古い身体から脱皮して霊妙さを増し、内部に宿る霊の潜在的な完全さに近付いてまいります」

-人間の身体を見てもその人の送っている邪悪な生活が反映している人をよく見かけます。

 「当然そうなります。心に思うままがその人となります。その人の為すことがその人の本性に反映します。死後のいかなる界層においても同じことです。身体は精神の召使ではなかったでしょうか。初めは精神によって拵えられたのではなかったでしょうか」

-霊界の視点からすれば心で犯す罪は行為で犯す罪と同じでしょうか。

 「それは一概にはお答え出来ません。霊界の視点から、と仰るのは進化した霊の目から見てという意味でしょうか」

-そうです。ある一つの考えを心に抱いた時、それは実行に移したのと同じ邪悪性を持つものでしょうか。

 「とても難しい問題です。何か具体的な例を挙げて頂かないと、一般論としてお答え出来る性質のものではありません」

-例えば誰かを殺してやりたいと思った場合です。

 「それはその動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、真っ先に考慮すべきことは〝それは霊にとっていかなる影響をもつか〟ということです。ですから、この際も〝殺したいという考えを抱くに至った動機ないしは魂胆は何か〟ということです。
 さて、この問題には当人の気質が大きく関わっております。と申しますのは、人をやっつけてやりたいとは思っても手を出すのは怖いという人がいます。本当に実行するまでに至らない-言わば臆病なのです。心ではそう思っても実際の行為には至らないというタイプです。
 そこで、殺してやりたいと心で思ったら実際に殺したのと同じかというご質問ですが、勿論それは違います。実際に殺せばその霊を肉体から離してしまうことになりますが、心に抱いただけではそういうことにならないからです。その視点からすれば、心に思うことと実際の行為とは罪悪性が異なります。
 しかしそれを精神的次元で捉えた場合、嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみといった邪念は身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方が遙かに強烈です。このように、この種の問題は事情によって答えが異なります」

-誰かを殺してやりたいと思うだけなら、実際の殺人行為程の罪悪ではないと仰いました。でも、その念を抱いた当人にとっては殺人行為以上に実害がある場合があり得ませんか。

 「あり得ます。これも又、場合によりけりです。その邪念の強さが問題になるからです。忘れないで頂きたいのは、根本において支配しているのは因果律だということです。地上における身体的行為が結果を生むのと同じように、精神的及び霊的次元においてそれなりの結果を生むように仕組まれた自然の摂理のことです。邪念を抱いた人が自分の精神又は霊に及ぼしている影響は、あなた方には見えません」

-誰かを、或いは何かを憎むということは許されることでしょうか。あなたは誰かを、或いは何かを憎むということがありますか。

 「後のご質問は答えが簡単です。私は誰も憎みません。憎むことが出来ないのです。なぜなら私は神の子の全てに神性を認めるからです。そしてその神性が全く発揮出来ずにいる人、或いはほんの僅かしか発揮出来ずにいる人をみて、いつも気の毒に思うからです。ですが、許せない制度や強欲に対しては憎しみを抱くことはあります。残虐行為を見て怒りを覚えることはあります。強欲、悪意、権勢欲等が生み出すものに対して怒りを覚えます。それに伴って、様々な思い-あまり褒められない想念を抱くことはあります。でも忘れないでください。私もまだ極めて人間味を具えた存在です。誰に対しても絶対に人間的感情を抱かないというところまでは進化しておりません」

-いけないと知りつつも感情的になることがありますか。

 「ありますとも」

 別のメンバーが〝憎むということは別の問題で、これは恐ろしい行為です〟と言うと、先のメンバーが〝人を平気で不幸にする邪悪な人間がいますが、私はそういう人間にはどうしても憎しみを抱きます〟と言う。するとシルバーバーチが-

 「私は憎しみを抱くことは出来ません。摂理を知っているからです。神は絶対に誤魔化せないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来てから支払わされます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることは出来ません。ですから、いかにみすぼらしくても、いやしくても、神の衣を纏っている同胞を憎むということは私には出来ません。ですが、不正行為そのものは憎みます」

-でも実業界には腹黒い人間が沢山います。

 「でしたら、その人達のことを哀れんであげることです」

-私はそこまで立派にはなれません。私は憎みます。

 別のメンバーが〝私はそれ程の体験はないのですが、動物の虐待を見ると腹が立ちます〟と言うとシルバーバーチが-
 「そういう行為を平気でする人は自らの進化の低さの犠牲者であり、道を見失える哀れな盲目者なのです。悲しむべきことです」