「これまでに為し遂げてこられたことは確かに立派ですが、まだまだ頂上は極められておりません」
 世界的に知られる心霊治療家のハリー・エドワーズ氏が助手のジョージ・バートン夫妻と共に交霊会を訪れた時にシルバーバーチがそう語りかけた。(訳者注-今はもう三人共この世にいないが、〝ハリー・エドワーズ心霊治療所〟Harry Edwards Healing Sanctuary はその名称のままレイ・ブランチ夫妻が引き継ぎ今も治療活動を続けている)
 シルバーバーチは続けてこう語る-
 「あなた方のこれまでの努力がまさに花開かんとしております。これまでのことは全てが準備でした。バプテスマのヨハネがナザレのイエスの為に道を開いたように、これまでのあなた方の過去は、これから先の仕事の為、つまりより大きな霊力が降りてあなた方と共に活動していく為の準備期間でした。
 ほぼ完璧の段階に近付いているあなた方三人の信頼心と犠牲的精神とそれを喜びとする心情は、それ自らが結果をもたらします。霊の力と地上の力との協調関係がますます緊密となり、それがしばしば〝有り得ぬこと〟と思えることを成就しております。条件が整った時に起きるその奇跡的治療のスピードに注目して頂きたいと思います」

エドワーズ「何度も目の当たりにしております」

 「大いなる進歩がなされつつあること、多くの魂に感動を与え、それが更に誘因となって他の大勢の人々にもその次元での成功(単なる病気治療に留まらず魂の琴線に触れさせること)を収める努力が為されつつあります。常にその一つに目標を置いてください。すなわち魂を生命の実相に目覚めさせることです。それが全ての霊的活動の目標、大切な目標です。他は一切構いません。病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、様々な霊的現象も、究極的には人間が例外なく神の分霊であること、すなわち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めて意義があり、神から授かった霊的遺産を我がものとし宿命を成就する為には、是非その理解が必要です。
 それが困難な仕事であることは私もよく承知しております。が、偉大な仕事程困難が伴うものなのです。霊的な悟りを得ることは容易ではありません。とても孤独な道です。それは当然のことでしょう。もしも人類の登るべき高所がいとも簡単に辿り着くことが出来るとしたら、それは登ってみる程の価値はないことになります。安易さ、呑気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難儀の中にあって初めて目を覚まします。これまで、魂の成長が容易に得られるように配慮されたことは一度たりともありません。
 あなた方が治療なさる様子を見ていとも簡単に行っているように思う人は、表面しか見ていない人です。今日の頂上に到達するまでには、その背景に永年の努力の積み重ねがあったことを知りません。治療を受ける者が満足しても、あなた方は満足してはなりません。一つの山頂を極めたら、その先に又別の山頂が聳(そび)えていることを自覚しなくてはいけません。いかがでしょう、私の話は参考になりますでしょうか。あなた方は既によくご存知のことばかりでしょう」

エドワーズ「分かってはいても改めて認識することは大切なことです」

 「こうした会合の場は、地上の人間でない私共があなた方地上の人間に永遠の原理、不滅の霊的真理、顕幽の区別なく全ての者が基盤とすべきものについての認識を新たにさせることに意義があります。物質界に閉じ込められ、物的身体に関わる必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。
 肉体こそ自分である、今生きている地上世界こそ実在の世界であると思い込み、実は地上世界は影であり肉体はより大きな霊的自我の道具に過ぎないことを否定することは実に簡単なことです。もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみることを忘れなければ、どんなにか事が楽に収まるだろうにと思えるのですが・・・残念ながら現実はそうではありません。
 こうした霊界との協調関係の中での仕事に携わっておられる人でさえ、ややもすると基本的な義務を忘れ、手にした霊的知識が要求する規範に適った生き方をしていらっしゃらないことがあります。知識は大いなる指針となり頼りになるものですが、手にした知識をどう生かすかという点に大きな責任が要請されます。
 治療の仕事に携わっておられると、様々な問題-説明出来ないことや当惑させられること-に遭遇させられることでしょうが、それは当然のことです。私共は地上と霊界の双方の人間的要素に直面させられ通しです。治療の法則は完全です。が、それが不完全な道具を通じて作用しなければなりません。人間を通して働かねばならない法則がいかなる結果を生み出すか、数学的正確さをもって予測することは不可能ということになります。
 たとえ最善の配慮をもって拵えた計画さえも挫折させる程の事情が生じることがあります。この人こそと思って選んで開始した何年にも亘る準備計画が、本人の自由意志による我侭によって水の泡となってしまうことがあります。しかし全体として見れば霊力の地上への投入が大幅に増えていることを喜んでよいと思います。現実にあなた方が患者の痛みを和らげ、或いは治療してあげることが出来ているという事実、苦しむ人々を救うことが出来ているという事実、お仕事が広がる一方で衰えることがないという事実、たとえ藁を掴む気持からではあっても、あなた方の下へ大勢の人々が救いを求めて来ているという事実、こうした事実は霊力がますます広がりつつあることの証拠です。霊力によって魂が一旦目を覚ましたら、その人は二度と元の人間には戻らないという考えがありますが、私もそう考えている一人です。言葉には説明し難い影響、本人も忘れようにも忘れられない影響を受けているものです」

エドワーズ「その最後の段階で病気の治癒と真理の理解との兼ね合いが上手くいって欲しいのですが、霊的高揚というのは中々望めないように思います」

 「見た目にはそうです。が、目に見えない影響力が常に働いております。霊力というのは磁気性を持っており、一旦出来上がった磁気的繋がりは決して失われません。一個の人間があなたの手の操作を受けたということは-〝手〟というのは象徴的な意味で用いたまでです。実際には身体に触れる必要はありませんから-その時点でその人との磁気的繋がりが出来たということです。つまり霊の磁石がその人の〝地金〟を引きつけたということで、その関係はけっして切れることはありません。
 その状態を霊の目すなわち霊視力で見ますと、小さな畑の暗い土の中で小さな灯りが灯ったようなものです。理解力の最初の小さな炎でしかありません。種子が芽を出して土中から頭をもたげたようなものです。暗闇の中から初めて出て来たのです。
 それがあなた方の為すべき仕事です。身体を治してあげるのは結構なことです。それに文句をつける人はいません。が、魂に真価を発揮させること、聖書流に言えば魂に己を見出させることは、それより遙かに大切です。魂を本当の悟りへの道に置いてあげることになるからです」
 ここでサークルのメンバーの一人が述べた-「心霊治療で治った人の中には魔術的なものが働いたと考える人がいます。つまり治療家を一種の魔術師と考え、神の道具とは考えません」

 「それは困ったことだと思います。なぜかと言えば、そういう受け取り方は折角のチャンスによるもっと大切な悟りの妨げになるからです。霊的な力が治療家を通して働いたのだということを教えてあげれば、病気が治ったということだけで全てが終らずに、それを契機にもっと深く考えるようになるのですが」

エドワーズ「治療後も霊的な治癒力が働き続けている証拠として、時折、その時は効果が見えなかった人から一年も経ってから〝あれから良くなってきました〟という手紙を受け取ることがあります」

 「当然そうあってしかるべきです。霊的な成長だけは側からどうしようもない問題なのです。このことに関しては以前にも触れたことがありますが、治療の成功不成功は魂の進化という要素によって支配されております。それが決定的な要素となります。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具わらない限り絶対に治らないということです。身体は魂の僕です。主人ではありません」

エドワーズ「未発達の魂は心霊治療によって治すことが出来ないという意味でしょうか」

 「そういうことです。私が言わんとしているのは、まさにそのことです。ただ、〝未発達〟という用語は解釈の難しい言葉です。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。それが完璧な型(パターン)にはめられております。但し法則の裏側に又別の次元の法則があるというふうに、幾重にもなっております。しかるに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることは出来ません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くということになります。
 物質界の人間は肉体に宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階にあります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。肉体は霊が到達した発達段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治癒エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことは出来ないということです。
 苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものは全て摂理の中に組み込まれているのです。話は又私がいつも述べていることに戻って来ました。日向と日蔭、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在し得ません」

メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」

 「〝摂理を破る〟という言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言ってください。確かに人間は時として摂理への背反を通して摂理を学ぶ他はないことがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらす様々な〝境遇〟に身を置いてみることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは、魂は成長しません。
 摂理が働かないことは絶対にありません。もし働かないことがあるとしたら、神は神でなくなり、宇宙に調和もリズムも目的もなくなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼を置かねばなりません。なぜなら、人間には宿命的に知ることの出来ない段階があり、それは信仰心でもって補う他ないからです。私は知識を論拠として生まれる信仰はけっして非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでも直ぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識の全てを手にすることが出来ない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。といって、その結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。仕方ない〟などと言うようになって頂いては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中において本来の霊的責務を果たしていることになるからです」
 幾つかの質問に答えた後、更に-
 「魂は自ら道を切り開いて行くものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。この二重の関係が常に続けられております。しかし優位に立っているのは魂です。魂は絶対です。魂とはあなたという存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然至極のことです」

エドワーズ「それはとても基本的なことであるように思います。先程心霊治療によって治るか治らないかは患者自身の発達程度にかかっていると仰いましたが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療の方に力を入れるべきであるということになるのでしょうか」

 「訪れる患者の魂に働きかけないとしたら、他に何に働きかけられると思いますか」

エドワーズ「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されるということでしょうか」

 「そうです。私はそう言っているのです」

エドワーズ「では私達治療家は通常の精神面を構う必要はないということでしょうか」

 「精神もあくまで魂の道具に過ぎません。従って魂が正常になれば自ずと精神状態も良くなる筈です。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も起こりません。魂が更に発達する必要があります。つまり魂の発達を促す為の色んな過程を体験しなければならないわけです。それには苦痛を伴います。魂の進化は安楽の中からは得られないからです」

エドワーズ「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法はないのでしょうか」

 「その点は地上も霊界も同じです」

メンバーの一人「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」

 「真理は真理です。その真理を何と名付けようと、私達霊界の者には何の違いもありません。要は中身の問題です。仮にクリスチャン・サイエンスの信者が霊の働きかけを得て治り(クリスチャン・サイエンスはそれを否定する-訳者)、それをクリスチャン・サイエンスの信仰のお蔭だと信じても、それはそれで良いのです」

エドワーズ「私達治療家も少しはお役に立っていることは間違いないと思うのですが、治療家を通じて患者の魂にまで影響を及ぼすというのはとても難しいことです」

 「あなた方は少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなた方地上の治療家がいなくては私達も仕事になりません。霊界側から見ればあなた方は私達が地上と接触する為の通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路というわけです」

エドワーズ「流れるというのは何に流れるのですか。肉体ですか、魂ですか」

 「私達は肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのでしょう」

エドワーズ「生理状態です」

 「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのでしょう」

エドワーズ「無くなっています。病気に負けて病的状態になっています」

 「その活力が再びそこを流れ始めたらどうなりますか」

エドワーズ「腕の動きも戻ると思います」

 「その活力を通わせる力はどこから得るのですか」

エドワーズ「私達の意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」

 「腕を無理矢理動かすだけでは駄目でしょう?」

エドワーズ「力ではどうにもなりません」

 「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れられていた機能が回復すれば、腕は自然に良くなるということです」