メンバーの一人「治療家の役目は患者が生まれつき具わっている機能にカツを入れるということになるのでしょうか」

 「そうとも言えますが、それだけではありません。というのは、患者は肉体を纏っている以上当然波長が低くなっています。それで霊界からの高い波長の霊波を注ぐには一旦治療家というコンデンサーにその霊波を送って、患者に合った程度まで波長を下げる必要があります。そういう過程を経た霊波に対して患者の魂が上手く反応を示してくれれば、その治癒効果は電光石火と申しますか、所謂奇跡のようなことが起きるわけですが、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果も生じません。例えば曲がってた脚を真直ぐにするのはあなた方ではありません。患者自身の魂の発達程度です」

列席者の一人「神を信じない人でも治ることがありますが・・・・」

 「あります。治癒の法則は神を信じる信じないにお構いなく働くからです」

-先程治癒は魂の進化の程度と関係があると言われましたが・・・・

 「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡で測れるものではありません。行為によって測るべきです。いいですか、あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。ですが、喜んでください。あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。皆が皆治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらないことです。と言って、それで満足して努力することを止めてしまわれては困ります。いつも言っているように、神の意志は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。嵐の日にも神の法則が働いております。成功にも失敗にもそれなりの価値があります。失敗なくしては成功もありません」

-信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識をもった人でも意外に思える程治療に反応を示さない人がいますが、なぜでしょうか。やはり魂の問題でしょうか。

 「そうです。必ず同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂の問題であり、その魂が進化の過程で到達した段階の問題です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けません」

エドワーズ「治療による肉体上の変化は私達にも分かるのですが、霊的な変化は目で確かめることが出来ません」

 「霊視能力者を何人集めても、全員が同じ治療操作を見ることはないでしょう。それ程(患者一人一人に違った)複雑な操作が行われているのです。かりそめにも簡単にやっているかに思ってはなりません。物質と霊との相互関係は奥が深く、かつ複雑です。肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者共それぞれにとても複雑なのですから、その両者を上手く操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行き渡っておりますが、法則の裏に法則があり、その又裏に法則があり、それらが複雑に絡み合っております」

バートン夫人「肉体上の苦痛は魂に影響を及ぼさないとおっしゃったように記憶しますけど・・・」

 「そんなことを言った憶えはありません。肉体が受けた影響は必ず魂にも及びますし、反対に魂の状態は必ず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしには自我の表現は出来ないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます」

バートン夫人「では肉体上の苦痛が大き過ぎて見るに見かねる時、もしも他に救う手がないとみたら、魂への悪影響を防ぐ為に故意に死に至らしめるということもなさるのでしょうか」

 「それは患者によります。実際は人間の気まぐれから自然法則の順序を踏まずに無理矢理肉体から分離させられていることが多いのですが、それさえなれば、霊は摂理に従って死ぬべき時が来て自然に離れるものです」

バートン夫人「でも、明らかに霊界の医師が故意に死なせたと思われる例がありますけど・・・」

 「あります。しかしそれはバランス(埋め合わせ)の法則に則って周到な配慮の上で行っていることです。それでも尚魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが」

バートン夫人「肉体を離れるのが早過ぎた為に生じるショックですか」

 「そうです。物事には必ず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げると必ずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。それがどういうものになるかは個人によって異なります。あなた方治療家の役目は患者の魂に、それだけの資格が出来ている場合に、苦痛を和らげてあげることです。その間に調整がなされ、言わば衝撃が緩和されて、魂がしかるべき状態に導かれます」

エドワーズ「絶対に生き永らえる望みなしと判断した時、少しでも早く死に至らしめる為の手段を講じることは許されることでしょうか許されないことでしょうか」

「私はあくまで〝肉体は死すべき時が来て死ぬべきもの〟と考えています」

エドワーズ「肉体の持久力を弱めれば死期を早めることになります。痛みと苦しみが見るに見かね、治る可能性もない時、死期を早めてあげることは正しいことでしょうか」

 「あなた方の辛い立場はよく分かります。又私としても好んで冷たい態度をとるわけではありませんが、法則はあくまでも法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備が出来た時に来るべきです。それは丁度柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さない内にもぎ取ってはいけません。私はあくまでも自然法則の範囲内で講ずべき手段を指摘しております。例えば薬や毒物ですっかり身体を壊し、全身が病的状態になっていることがありますが、身体は元々そんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。そういう観点から考えて行けば、どうすれば良いかは自ずと決まってくると思います。何事も自然の摂理の範囲内で処置すべきです。本人も医者も、或いは他の誰によってもその摂理に干渉すべきではありません。勿論、良いにせよ悪いにせよ、何等かの手を打てばそれなりの結果が生じます。ですが、それが本当に良いことか悪いことかは霊的法則にどの程度まで適っているかによって決まることです。つまり肉体にとって良いとか悪いとかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」