動物は死後どうなるのか-これは誰しも一度は考えてみたことのあるテーマであろう。ある日の交霊会で、そのテーマを本格的に扱った本を執筆中のシルビア・バーバネル女史がシルバーバーチに集中的に質問した。(訳者注-後にそれが When Your Animal Dies と題されて出版され、スピリチュアリストに限らず動物問題に関心のある人達の間でも大反響を呼んだ。それを読んで死後の存在に確信をもつに至った人も少なくないという。オースティンの原典にはその日の交霊会の記録の十分の一程度しか紹介されていないので、本章にはバーバネル女史の原典からそっくり引用させて頂いた)

問「動物は死後もずっと飼主と一緒に暮らすのでしょうか、それともいずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」

 「どっちとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関わっているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かはその動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼主-この飼主(Owner)という言葉は好きではありません。他の生命を我がものとして所有する(own)などということは許されないのですから-その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主の所で暮らします。愛のある場所が住処となるわけです。愛が両者を強く結び付けるのです。その場合は住処がありますから動物界へ行く必要はありません。
 動物界に住むのは飼主より先に霊の世界へ来た動物に限られます。誰かに世話をしてもらわなくてはならないからです。さもないと、心を温めてくれただけでなく一時的にせよ〝不滅性〟の要素を吹き込んでくれた〝愛〟から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。地上で人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けた飼主より先に他界した場合は、その主人が来るまで動物界へ行ってそこで面倒をみてもらいます。それは丁度あなた方が遠出をする時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

問「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」

 「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは、法則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達して来ました。その段階で人間は判断力というものを身に付けたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部初めから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何等かの形で潜在していたのです。それが目覚めるには神の息吹が必要でした。
 さて、そうして神が動物に霊性の息吹を吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込む能力を具えています。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命の全ての鍵です。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。又愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同志でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物-犬、猫、その他のペット類-へ向けられる愛は死と共に終わるのではありません。愛
があればこそ生命は進化するのです」

問「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

 「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。より大きな光明へ向けて絶え間なく向上していく人間のペースについて行けなくなる時が来ます。人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、言い換えれば自分を地上と結び付けていた絆が切れたことを自覚すると、向上進化を求める欲求、内部の神性を発揮しようとする欲求が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力を他の生命の進化を援助する方向へと発揮しようとします。そうやって人間が霊的に向上すればする程、動物はそのスピードについて行けなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、遂には動物はその所属する種の類魂の中に融合して行きます」

問「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか」

 「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、最早動物ではなくなり、人間の段階に到達したことになります。ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけですから、その愛の糸が切れてしまえば、元の類魂の中に戻る他はありません」

問「折角人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛が無駄に終わったことになりませんか」

 「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。共通の蓄えに対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体の為に個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多い程類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化して行きます」

問「その時点で人間界へと誕生するわけですか」

 「人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻って来る場合と、〝新しい霊〟が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」

問「一人の人間としてですか」

 「そうです。双方とも霊魂(スピリット)です。双方とも自我意識をもった霊であり個性をもった霊的存在です。ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成の為にどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやって来るのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、今漸く人間へと達したのです」

問「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね」

 「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのは止めてください。私はそういうものに一切関心がありません。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ知りません。それはさて措いて、あなた方はまさか蜘蛛を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程において遙かに遅れていることを本能的に直感するからです。一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の近親感を意識するからです。もう直ぐ人間として生まれ代わって来る段階まで近付いて来ている為に、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」

問「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもう直ぐ人間に生まれ代わるということを意味するのでしょうか」

 「進化にも、突然変異的な枝分かれ、所謂前衛と、後戻りする後衛とがあります。つまり前に行ったり後に下がったりしながら全体として進化して行きます。中には例外的なものも生じます。動物で知的な面で随分遅れているものもいれば、小鳥でも犬より知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」

問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか」

 「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わっては類魂全体の為に体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。全体として再生する必要はありません。それでは進化になりません」

問「我々人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物の全てに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか」

 「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低い程反応も少なくなります。あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、妬み、嫉み等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」

問「動物が漸く人間として誕生しても、その人生が惨めな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」

 「そういうことはありません。一旦人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのです」

問「屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償-所謂埋め合わせの法則はどうなっていますか」

 「勿論それにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働きます。進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」

問「シラミとかダニの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれは埃とか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・」

 「その埃や病気は一体何が原因で生じるのでしょうか。原因を辿れば人間の利己心に行き着くのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。確かに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、埃とか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、更にその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行き着きます。これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示します。そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするような真似を止め、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」

問「それは、例えばハエのようなものには当てはまらないでしょう」

 「いいですか。大自然全体は今尚進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればする程、自然界の暗黒が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化は有り得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。人間は神によって創造されたものであると同時に、神の一部として、宇宙の進化の推進者であり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも支配する自然法則に影響を及ぼします。
 私は今、人間と自然界の進化は大体において平行線を辿ると言いました。両者にはどうしても少しずつズレが出て来るのです。なぜなら、過去の世代が残した業は必ず処理して行かねばならないからです」

問「今仰ったことは恐ろしい野獣についても当てはまるのでしょうか」

 「一応当てはまります。ただ忘れないで頂きたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないことです。色々と変化をしながら永遠に続くのです。原始的なものからスタートして低い段階から高い段階へと進むのですが、かつては低い所にいたものが次第に追い抜いて今では高い所にいたり、今高い所に位置しているものが、将来は低い方になることもあります」

問「では進化にも後戻りということがあるわけですか」

 「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは一種の円運動(サイクル)、現代の思想家の言葉を借りれば螺旋(スパイラル)を画きながら進むものだからです。どちらの言い方でも構いません。要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解して頂けばよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」

問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」

 「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればする程地上から残忍性と野蛮性が消えて行きます。愛と慈しみと寛容の精神が地上に漲った時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと子羊が仲良く寄り添うようになります」

問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか」

 「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でも随分残忍性が減って来ているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」

問「大人しい動物の中にも絶滅したものがいますが・・・」

 「進化の一番の指標が残忍性に出ると言っているのです。太古でも進化上の枝分かれが幾つもありました。それらは進化の先進者とでも言うべきものです。進化というのはどの段階においても一定の型にはまったものではありません。優等生もおれば劣等性もおり、模範生もおれば反逆児もおります。大人しい動物はさしずめ〝火を吐く怪獣〟を追い抜いた優等生だったわけです」

問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入って行くのですか」

 「違います」

問「動物の類魂は一つだけではないということですか」

 「各種族にそれぞれの類魂がいます」

問「それが更に細分化しているわけですか」

 「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊-初めて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です」

問「やはりサイクルを画きながら進化していくのでしょうか」

 「そうです。全てサイクル状に進化します」

問「動物で一番進化しているのは何ですか」

 「犬です」

問「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか」

 「別に害はありません。全体のバランスから見て、殆ど取るに足らぬ勢力ですから。でもこれは普段あまり触れることのない深入りした質問ですよ」

問「動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか」

 「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいということです。場所と位置がいらないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出て来るのです。魂には居住地はいりません。もっとも、形体の中に宿れば別です。類魂そのものには形体はありません。もしも形体を持つとなれば、何等かの表現形態に宿り、その形態で自己表現出来る場が必要になります」