問「動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか」

 「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気を付けて頂きたいのは、どうもあなた方は物的なものと霊的なものとをあまりに区別し過ぎるきらいがあります。地上に存在していても立派に類魂の一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないわけではありません」

問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか」

 「訪れません」

問「では死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか」

 「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけです。飼主が地上にいれば案内出来ません」

問「飼主が先に死んだ場合はどうなりますか」

 「その場合は事情が違って来ます。今述べたのは一般的な話です」

問「人間より動物の方が心霊能力が優れている場合があるのはどうしてですか」

 「〝進化〟の観点から言えばまだ人間となる段階には到達していませんが、人間が今送っているような〝文化生活〟を体験していないからです。人間がもしも文化生活の〝恩恵〟に浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部となっていた筈です。つまり人間は文明と引き替えに心霊能力を犠牲にしたわけです。動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。人間の場合は物的生活の必要性から本来の心霊能力が押さえ込まれてしまったわけです。所謂霊能者というのは進化のコースの先駆者です。いずれは人間の総てが発揮する筈の能力を今発揮しているわけです」

問「動物には所謂第六感というのがあって災害を予知したり、知らない所からでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか」

 「そうです。霊能者にも同じことが出来ます。ただ動物の場合はその種族特有の先天的能力である場合があります。これも一種の進化の先駆けで、その能力だけが特に発達したわけです。ハトのようにどんな遠くからでも帰って来る能力もそれです。本能と呼ばれていますが、一種の〝先見の明〟です」

問「死んだばかりの犬が別の犬と連れ立って出て来ている様子を霊能者が告げてくれることがありますが、犬同士でも助け合うことがあるのですか」

 「ありません。但し地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れ立って出ることはあります」

問「その手助けをする人間の霊が必ずいるのでしょうか」

 「そうです。高い者が低い者を援助することになっているのです。それが摂理です」

問「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」

 「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間と殆ど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物の全てがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことで寂しがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れて来られて、他の動物と一緒に暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。その専門家は永い間動物の研究をして来ていますので、その正しい対処の仕方を心得ており、自然な情愛の発露を動物へ向けることが出来るのです。そこには動物を喜ばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れて来られ、暫しその懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言って騒ぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度に過ぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」

問「動物界で世話をしている人間が連れて来るわけですか」

 「動物界でその管理に当たっている人達で、それ以外の人について戻って来ることはありません。ところで、その世話をしている人はどんな人達だと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人達です。それは丁度子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのと一緒です。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いがもてなかった人間によって世話をされるのです。勿論獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何一つ無駄にはされません」

問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

 「そうです。そうしたチャンスを喜んで引き受けてくれる人が大勢います」

問「動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混じり合っているのですか」

 「種属の別ははっきりしています」

問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」

 「そうです。とにかく自然に出来上がっております。一つの大きなオリの中に飼われているのではありません」

問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」

 「その通りです」

問「特に仲の良かったものは別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」

 「そういうことです。全てが至って自然に出来上がっていると考えてください」

問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」

 「猫です」

問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」

 「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。必ず優等生と劣等性とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」

問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・・」

 「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明出来ません。長い長い進化の道程において、猿はいわば足を滑らせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種族が進化して来ました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうも話が複雑になり過ぎたようです」

問「猿の種族が法則を犯したのでしょうか」

 「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです」

問「では猿と同じように、将来、犬が進化の階段を滑り落ちるということも有り得るのでしょうか」

 「それはもう有り得ないでしょう。というのは、既に何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。種の型が殆ど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。細かい変化は生じても、すっかり形体が変わることはありません。
 例えば人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられません。これが人間の標準の型となったわけです。勿論民族により地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、型は同じです。動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することはあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」

問「猿の転落もやはり自由意志に関連した問題ですか」

 「それは違います。自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです」

問「動物に個体としての意識がないのに、なぜ類魂全体としての判断が出来るのですか」

 「本能による行動と本能の欠如による行動の違いがあります。個々には理性的判断力のない動物でも、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。個々には判断力はなくても、長い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠るという時期があるわけです」

問「それは植物の場合にも言えるわけですか」

 「言えます」

問「それは外的要因によっても生じるのではないですか」

 「それはそうですが、あなたの仰る外的というのは実は内的でもあるのです。それに加えて更に、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません。その霊団も又法則、進取性、進歩といった要素に支配されます」

問「例えば猿の好物であるナッツが豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか」

 「そういうことも考えられますが、ではナッツがなぜ豊富にあったかという点を考えると、そこには宇宙の法則の働きを考慮しなくてはいけません。つまり人間の目には外的な要因のように見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。私の言わんとしているのはその点なのです。人間はとかく宇宙の法則を何か生命のない機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根源において完全にして無限なる叡智によって支配監督されているのです。法則にもまず基本の型というものがあって、それに色々とバリエーション(変化)が生じます。といっても、その基本の型の外に出ることは絶対に出来ません。どんなに反抗してみたところで、その法の枠はどうしようもなく、結局は順応していく他はありません。しかし同じ型の中にあって、努力次第でそれを豊かに意義あるものにして行くことも出来るし、窮屈で味気ないものにしてしまうことも出来ます。別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、或いはみっともない色彩を塗りつけてしまうのもあなた次第ということです。いずれにせよ、最後は型に収まります」

 別の日の交霊会で動物実験が道徳的側面から取り上げられた。

問「動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか」

 「為になる仕事をしようと努力している人は必ず霊界から鼓舞し支援し霊力をもたらそうとしている人達の援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類の為という一途な気持で一生懸命なあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし摂理を犯していることに変わりありません」

問「でもあなたは動機が一番大切であると何度も仰っています。人類の為と思ってやっても罰を受けるのでしょうか」

 「動機は成る程結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何等かの苦痛を受けていることが分かっていながら尚意図的に苦しみを与えるということは、それなりの責務を自覚しているものと見做されます。動機は人の為にということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成出来ません」

問「動物は人類の為に地上に送られて来ているのでしょうか」

 「そうです。同時に人類も動物を助ける為に来ているのです」

問「動物創造の唯一の目的が人類の為ということではないと思いますが」

 「それはそうです。人類の為ということも含まれているということです」

問「動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか」

 「許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。それは私共の教えと全く相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです」

問「動物を実験材料とした研究からは、例えばガンの治療法は発見出来ないという考えには賛成ですか」

 「神の摂理に反した方法からは正しい治療法は生まれません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験では発見出来ません」

問「そうした酷い実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止して頂けないのでしょうか」

 「宇宙が自然法則によって支配されているからです」

 更に別の交霊会で、狐狩りに参加した人が自分は間違ったことをしたのでしょうかと尋ねた。すると-

 「全て生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪うことは許されません」

問「でも、ウチの鶏を二十羽も食い殺したんですが・・・」

 「では、仮に私がその狐に銃を与えて、二十羽も鶏を食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなります。全ての地上の生命にとって必要なものは神がちゃんと用意してくださっています。人間が飢えに苦しむのは狐が悪いのではなく、人間自身が勝手な考えをもつからです。地上の人間が向上進化すれば、そうしたあくどい欲望は無くなります。狐や鶏をあなたが拵えたのなら、これをあなたが食べても誰も文句は言いません。人間が鶏や狐を殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの同胞を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくてはいけません」

問「オーストラリアでは兎の異常繁殖が脅威となっておりますが、これについてはどうでしょうか」

 「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合について文句を言います。私の地上のふるさとである北米インディアンについても同じです。インディアンは元々戦争とか、俗にいう火酒(ウイスキー、ジン等の強い酒)、その他不幸をもたらすようなものは知らなかったのです。白人が教えてくれるまでは人を殺す為の兵器は何も知らなかったのです。その内人間も宇宙のあらゆる生命-動物も小鳥も魚も花も、その一つ一つが神の計画の一部を担っていることを知る日が来るでしょう。神の創造物としてそこに存在していることを知るようになるでしょう」

 更に別の日の交霊会で-

問「イエスの教えの中には動物に関するものが非常に少ないようですが何故でしょうか」

 「その当時はまだ動物の幸不幸を考える程人類が進化していなかったからです」

問「他の国の霊覚者の訓えにはよく説かれているようですが・・・・」

 「それは、全部とは言いませんが大部分はイエスよりずっと後の時代のことです。それはともかくとして、あなた方はイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。イエスはあくまで西欧世界の為の使命を担って地上に降りて来たのであって、人類全体の為ではありません。イエスにはイエスの特殊な使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に愛情をもっていても、使命達成の為に、その教えを出来るだけ制限したのです。その使命というのは、当時の西欧世界を蝕んでいた時代遅れの腐敗した宗教界に楔を打ち込んで、人生の照明灯(サーチライト)として難解なドグマに代わる単純明快な人の道を説くことでした」

問「下等動物への愛を説かない教えは完全とは言えないのではないでしょうか」

 「勿論です。ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。イエスは例の黄金律を説きました。すなわち〝何時の欲するところを人に施せ〟ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にも酷い仕打ちは出来ない筈です」