十九世紀半ばから始まった科学的心霊研究、そしてその結果としてスピリチュアリズムの名の下に盛んになり始めた霊的知識は、既成宗教界の侮辱と弾圧の中にあっても着実に普及して来ている。スピリチュアリズムの発端からほぼ百年の歩みを振り返ってシルバーバーチはこう述べた。(本書の初版は1941年-訳者)
「私達の仕事が始まった当初、(その表面の現象だけを見て)世間の人は何とたわいも無いことをして、と軽蔑の眼差しで見たものでした。〝テーブルラッパー〟(注)-彼等はサークルのメンバーをそう呼んで軽蔑し嘲笑しました。しかし、そういう現象も実は大きな目的をもった一大計画に組み込まれていたのです。私達の意図した影響力は次第に大きくなり世界中へ広がって行きました。各分野で名声を得ていた名士を次々とその影響下に誘って行きました。偏見によって目隠しをされ理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言が全ての人に尊重されるという考えからそういう手段を選んだのです。(注-初期の頃はテーブルの叩音(ラップ)による通信が盛んに行われた-訳者)
その後もますます多くの人材が同じ霊的影響下に置かれて行きました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学、医学、思想、宗教、その他ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時既に猛威を振るっていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命観を示唆する霊的事実、唯物思想の終焉を予告する目に見えない力の存在へ目を向けさせました。ほどなくして-実に短期間の内に-そのテーブルラッパー達は宗教を腐敗から守る運動の旗手となって行ったのです。
僅か百年足らずの間にどれだけのことが成就されたか、それをこうした経過の中から読み取り、それを教訓としてこれ以後どれだけのことが成就出来るか、そこに皆さんの先見の明を働かせてください。しかし私達が今まさに欲しているのは、もっと多くの道具-背後から導き鼓舞してくれる霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟りそれを他の同胞の為に使用してくれる人、真理を暗い生活の灯として持ち歩いてくれる人です。
私達が望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らがそれを日常生活において体言し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目に成る程神のメッセンジャーであることを認識させることです。それから今度は積極的に世に出て社会生活の全ての面にそれを応用して行って欲しいのです。つまり、まず自らが身を修め、それから他人の為に自分を役立てる仕事に着手するということです。これまでもあなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先に成就されていく可能性に較べれば、それは物の数ではありません。
世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使いものにならない教義やドグマの崩壊が見て取れる筈です。誤った信仰の上に築かれた構築物が至る所で崩壊しつつあります。私達の説く霊的真理(スピリチュアリズム)は(心霊学という)知識を土台として築かれております。その土台はいかなる嵐にもビクともしません。なぜなら事実-霊的事実-を土台としているからです。あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなた方が(死んで)物質界に感応しなくなった後も、あなた方の奮闘努力の記念碑として末永くその勇姿を失うことはないでしょう」
同じテーマについて別の交霊会で-
「真理は前進し、暗黒と無知と迷信と混迷を生む勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。これが私達が繰り返し繰り返し宣言しているメッセージです。あなた方は今まさに地上に新しい存在の秩序を招来する為に貢献しておられるということです。ゆっくりとではありますが変革が生じつつあります。新しいものが旧いものと取って替わる時数々の変動は避けられません。それも神の計画の内に組み込まれているのです。
常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭に置き、その上に宗教観、科学観、哲学観、倫理観、道徳観を打ち立ててください。直ぐにご大層なことを想像なさる御仁に惑わされてはなりません。私達の説く真理は至って単純であるが故に、誰にでも分かり誰にでも価値を見出すことが出来ます。神の子としての人間の有るがままの姿を何の虚飾もなく説いているからです。すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊の絆によって結ばれているという意味において真に同胞であり、人類全体が一大霊的家族であり神の前に平等であるということです。
霊の目をもって見る者は民族、国家、気候、肌の色、宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つに繋ぐ霊の絆を見てとります。地上世界は今こそそうした単純な真理を見直す必要があります。あまりに永い間教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質ないしは生命の大霊とは何の関係もないものに躓いて来ました。
私は魂をより意義有る生活へ誘うものでない限り教義、信条、ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心がないのです。根本的に重要なのは日常生活の生き方だからです。いかなる教義もいかなるドグマもいかなる儀式も、原因と結果の関係を寸毫だに変えることは出来ません。霊性を一分たりとも増すことも減らすことも出来ません。それは日常生活によってのみ決定付けられるものだからです。私達が忠誠を捧げるのは宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理であって、教義でもなく書物でもなく教会でもありません。
今や霊の力がこうして地上に顕現する新しい手掛かりが出来たことを喜んでください。真理を普及する為の新しい人材が次々と霊力の支配下に導かれていることに着目してください。新しい通信網が出来たことに着目してください。人類の進歩を妨げてきた既成権力が崩され傷害が取り除かれて行きつつあることに目を向けてください。私達は刀剣や銃を手にせず愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神でもって闘っている大軍の一翼を担っております。私達の武器は真理と理性です。そして目指すのは人間として当然受け取るべきものを手に出来ずにいる人々の生活に豊かさと美しさをもたらしてあげることです。
神とその子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと容赦は致しません。地上に神の王国を築く為には地上のいずこであろうと赴く決意は決して揺らぎません。これまでも数々の虚言、中傷、敵意、迫害に遭ってまいりました。が、勇気ある心の持ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘って来てくれたお蔭で、こうして霊の力が地上に顕現することが出来たのです。今も新しい世界の前哨地に多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は皆さんに、元気をお出しなさい、と申し上げるのです。心に迷いを生じさせてはなりません。変転きわまりない世の中の背後にも神の計画を読み取り、あなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っていることを自覚してください。真理は絶え間なく前進しているのです。
意気消沈した人、悲しげにしている人に元気を出すように言ってあげてください。先駆者達の努力の賜物をこれから刈り入れるのです。そしてそれが明日を担う子供達により大きな自由、より大きな解放をもたらす地ならしでもあるのです。不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの心理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐をもってしても挫かせることは出来ないとの自信です。
私がお教えしているのはごく単純な真理です。しかし単純でありながら大切この上ない真理です。地上人類が自らの力で自らを救い、内在する神性を発揮するようになる為には、そうした霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。あなた方はその貴重な霊的な宝を手にされていること、それが全ての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信をもって生きてください。しかし同時に、知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊力を無視した生き方をする人は、知らない為に霊的真理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります。
その知識を賢明にそして有効に生かしてください。一人でも多くの人がその知識を手にすることが出来るように、それによって魂を鼓舞され心が開かれる機縁となるように配慮してあげてください。私達の方でも一人でも多くの人の涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真理を見えなくしている目隠しを取り除いてあげようとの態勢でいるのです。親である神を子等に近付かせ、子等を神に近付かせ、人生の奥義に関わる摂理を実践に移させようとして心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影を潜め、生命の充足感を地上に生きる人の全てが味わえることになるでしょう」
ここでメンバーの一人がこうした心霊知識の普及を既成宗教の発端と同列に並べて考えようとする意見を聞いて、シルバーバーチはこう説いた。
「私達はこれまで確かに成功を収めてまいりました。しかし、そうしたスピリチュアリズムの発端を私達は他の宗教と同列に並べて考えていないことを銘記してください。私達にとってスピリチュアリズムというのは宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信仰箇条とすべき性質の教えではありません。キリスト教とて当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし仏教もそうです。その他地上に誕生した宗教の全てが最初はそうでした。それぞれの教祖が霊覚でもってその時代の民衆の成長、発展、進化、慣習、鍛練、理解力等の程度に相応しいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。それが更に受け入れる用意のある者に受け継がれて行きました。それは一部とはいえ真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、そのささやかな真理が(人間的夾雑(きょうざつ)物の下に)埋もれてしまいました。
真理のもつ純粋な美しさを留めることが出来なかったのです。周りに世俗的信仰、神学的概念、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。やがて神性が完全に影を潜めてしまいました。そして新たにそれを掘り起こし蘇生させる必要性が生じたのです。過去の宗教は全て-例外なしに-今日こうして地上へ届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり一欠片なのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。それらを比較して、どちらがどうということは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるのです。例えば今日の世の中ですと、昔では考えられなかった通信手段が発達しています。伝達し合うことにあなた方は何の不自由も感じません。何秒と掛からずにお互いが繋がり、メッセージを送り、地球を一周することが出来ます。
これまでの啓示と異なるところは、入念な計画に従って組織的な努力が始められたということです。それが地上の計算でいけば約百年前のことでした。今度こそは何としてでも霊的知識を地上に根付かせ、いかなる勢力をもってしても妨げることの出来ない態勢にしようということになったのです。その計画は予定通りに進行中です。そのことは、霊的知識が世界各国で盛んに口にされるようになって来ていることで分かります。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。
ご承知のように私は常に、一人でも多くの霊媒が輩出することの必要性を強調しております。霊界からの知識、教訓、愛、慰め、導きが地上に届けられる為には、是非とも霊媒が必要なのです。一人の霊媒の輩出は物質万能思想を葬る棺に打ち込まれる釘の一本を意味します。神とその霊的真理の勝利を意味するのです。霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。両界を繋ぐ媒体だからです。知識と光と叡智の世界から私に届けられるものをこうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる(バーバネルという)霊媒を見出したことを嬉しく思うのも、そこに理由があります」
こうした霊媒を仲介役として始められたスピリチュアリズムに対する抵抗がよく話題にされるが、その中から典型的なシルバーバーチの霊言を紹介しよう。
「私達はほぼ一世紀に亘って、霊的真理を基本とした訓えを地上に根付かせようと努力してまいりました。それこそがこれから築かれて行く新しい秩序の土台である以上、何としてでも困難を切り抜けなくてはならないからです。本来は最大の味方であるべき陣営の抵抗と敵意に耐え抜き闘い抜いてまいりました。宗教的分野において子羊達を導こうとする人間(キリスト教の指導者)ならもろ手をあげて歓迎すべきものなのに、逆に自分達の宗教の始祖(イエス)の教えであるとして広めんとしてきた主義・信条の全てに自ら背いて、そういう立場の人間にあるまじき酷い言葉で我々を批難して来ました。そこには愛も寛容心も見られません。それどころか、私達を悪魔の使いであると決め付け、神の子羊を正義の道から邪な行為、不道徳、利己主義へ誘惑せんとする闇の天使であるとして、悪口雑言の限りを浴びせます。
しかし、そうした激しい抵抗の中にあっても、私達の説く真理は今や世界中に広がり、これまで抵抗して来た勢力は退却の一途を辿っております。私達は現今のキリスト教が基盤としている教説を否認する者です。愛と正義と慈悲と叡智の根源である大霊が地上人類に対して呪うべき行為を働く筈がないことを主張する者です。神の怒りを鎮めるのに残酷な流血の犠牲(いけにえ)が必要であった、などという言い訳は断じて認めません。いかなる権力をもってしても自然の摂理に介入出来たためしは一度もないことを主張します。神学の基盤と構造の全てを否定する者です。なぜならば、それは人類の進歩の時計を逆回りさせ、その狭苦しい一人よがりの世界に合わないものはいかなる発見も発明も進歩も拒絶して来たからです。
そうしたものに代わって私は、啓示というものが常に進歩的であること、かつての指導者の一人ひとりが神の叡智の宝庫から一握りずつを地上へもたらして来たこと、そしてその一連の系譜の最後を飾ったのがかのナザレのイエスであり、私達はそのイエスを鼓舞したのと同じ霊の力の直系の後継者として、同じ福音、同じ真理を説いている者であることを宣言します。人間に贖い主はいらないのです。神との仲介者は不要なのです。自分の荷は自分で背負う義務があり、日々の生活の中の行為によって霊的生命を高めもすれば傷付けもするのです。内部に神性を宿していることは今も、そしてこれから先も永遠に変わりません。変わるのは程度の上下であって、本質は決して変わりません。向上進化というのはその潜在的神性をより多く顕現して行く過程に他ならないのです。
いかなる教義、いかなる信条をもってしても、過った行為がもたらす結果を捻じ曲げることは出来ません。私達の説く神は永遠・不変の法則によって宇宙を統治しており、その法則の働きによって地上の人間は地上で送る人生によって自らを裁くようになっていると説くのです。かつて地上においてこうした真理を説き、それ故に迫害を受けた先駆者達に対して私達は、今や彼等の努力が実りの時代を迎え、古き秩序が廃れ新しき秩序の下に霊的生命が芽生え始めている兆しを地上の至る所に見ることか出来るようになった事実をお知らせしております。
永い間真理の太陽を遮って来た暗雲が足早に去りつつあります。そして光明が射して無数の人々の生活を明るく照らし、今度はその人達が、自分を自由にしてくれた真理の伝道者となって行きます。それだけの備えが出来ている人達です。私共は地上の人々が自らの力で自らを救い、死せる過去と訣別し、精神と霊を物質による奴隷的束縛から解放する方法をお教えする為に戻ってまいりました。古くからの教えだからといって有り難がってはいけない-知的な目をもって真理を探求し、常識に反し理性を反発させるものは一切拒絶しなさい、と申し上げているのです」
しばしの休暇の後に再開された交霊会でシルバーバーチは年二回開かれるという霊界での指導霊の総会(注)に出席していたと言い、〝光の世界から影の世界へ、実在の世界から幻影の世界へ戻って来るのは気が進まないものです〟と述べてからこう続けた。(注-これはスピリチュアリズム思想推進の為に経過報告と次の計画の指示を仰ぐ為の会合で、世界的規模で行われる。これが年に二回ということであるが、この他にも実質的に地上の経綸に当たっている霊界の上層部において慣例的に行われる〝讃仰の為の集い〟もある。オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻に、通信霊のアーネルがその会場に入った時の雰囲気を〝音が無いという意味での静けさではなく静寂という実体が存在する〟と表現している。又モーゼスの『霊訓』にはイムペレーターからの通信が暫く途絶えたのでモーゼスがその理由を尋ねると〝地上の用事とは別の用事があって留守にしていた〟と言い、霊界の上層部における神への厳かな崇拝と讃迎の祈りを捧げる為に他の多くの霊と共に一堂、終結したのだと言う。その時の通信の日付が十月十二日となっている。日本で十月のことを神無月と呼ぶことには〝神の月〟と〝神がいなくなる月〟の二つの説があるようであるが、私は両者は詰まるところ同じことに帰すると思う。古代の日本人はそれを直感していたのである-訳者)
「そもそも私がこの利己主義と残酷に満ちた地上へ降りて来ることになったのは、人類への愛と使命があったからです。そこでこの度も(総会を終えた後)こうしてあなた方の下へ戻ってまいりました。私なりの出来る限りの援助を与える為です。人類を霊的奴隷状態から解放し、神性を宿す者が当然我がものとすべき神の恩寵-霊的生活、精神的生活、そして身体的生活における充足-を得させるという(地球規模の)大使命の推進の一翼を担う者として戻ってまいりました。
その使命の成就を妨げんとするものは何であろうと排除しなければなりません。私達が目指す自由は(霊的・精神的・身体的の)あらゆる面での自由です。その道に立ちはだかる既成の特権と利己主義の全勢力に対して、永遠の宣戦を布告します。あなた方より少しばかり永く生きて来たこの私、あなた方がこれより辿らねばならない道を知っている先輩としての私からあなた方に、どうか勇気をもって邁進されるよう申し上げます。お一人おひとりがご自分で思っておられる以上に貢献なさっておられるからです」
更に地球規模の霊的活動における指導霊と交霊会の役割に言及して-
「過去数年の間に私達は数多くの人々を知識の大通りへと案内してまいりました。しかしまだまだ大きな仕事が為されます。世界各地で数多くの心霊治療家によって行われている霊的治療の成果に目を向けてください。大地に再び視界が開けて行く様子を思い浮かべてください。予言者の声が再び地上にこだまするようになり、夢かと紛うものを見るようになります。先見の明が開け始めます。病める人々が癒され、肉親の死を悲しんでいる人々が慰められつつあります。あなた方は本当に恵まれた方達です。人間が永遠の魂の旅の中にあってほんの束の間をこの地上という生活の場で過ごしている、永遠にして無限の霊的存在であることをご存知だからです。
私はそのメッセージをあなた方の助力を得ながら広め、私を地上へ派遣した霊団の使命を推進したいと望んでおられます。私達は今勝利へ向けて前進しております。誤謬と利己主義、迷信と無知、自惚れと悪逆無道の勢力を蹴散らし過去のものとしなければなりません。
最早そうしたものが許される時代は終わったのです。真理が理解されるに従って暗闇が光明へとその場を譲ってまいります。人々はその目を上へ向けて新しい世界の夜明けを待ち望んでおります。新しい世界は新しい希望と新しい悟りを与えてくれます。
神のみ恵みの多からんことを」
「私達の仕事が始まった当初、(その表面の現象だけを見て)世間の人は何とたわいも無いことをして、と軽蔑の眼差しで見たものでした。〝テーブルラッパー〟(注)-彼等はサークルのメンバーをそう呼んで軽蔑し嘲笑しました。しかし、そういう現象も実は大きな目的をもった一大計画に組み込まれていたのです。私達の意図した影響力は次第に大きくなり世界中へ広がって行きました。各分野で名声を得ていた名士を次々とその影響下に誘って行きました。偏見によって目隠しをされ理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言が全ての人に尊重されるという考えからそういう手段を選んだのです。(注-初期の頃はテーブルの叩音(ラップ)による通信が盛んに行われた-訳者)
その後もますます多くの人材が同じ霊的影響下に置かれて行きました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学、医学、思想、宗教、その他ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時既に猛威を振るっていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命観を示唆する霊的事実、唯物思想の終焉を予告する目に見えない力の存在へ目を向けさせました。ほどなくして-実に短期間の内に-そのテーブルラッパー達は宗教を腐敗から守る運動の旗手となって行ったのです。
僅か百年足らずの間にどれだけのことが成就されたか、それをこうした経過の中から読み取り、それを教訓としてこれ以後どれだけのことが成就出来るか、そこに皆さんの先見の明を働かせてください。しかし私達が今まさに欲しているのは、もっと多くの道具-背後から導き鼓舞してくれる霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟りそれを他の同胞の為に使用してくれる人、真理を暗い生活の灯として持ち歩いてくれる人です。
私達が望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らがそれを日常生活において体言し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目に成る程神のメッセンジャーであることを認識させることです。それから今度は積極的に世に出て社会生活の全ての面にそれを応用して行って欲しいのです。つまり、まず自らが身を修め、それから他人の為に自分を役立てる仕事に着手するということです。これまでもあなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先に成就されていく可能性に較べれば、それは物の数ではありません。
世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使いものにならない教義やドグマの崩壊が見て取れる筈です。誤った信仰の上に築かれた構築物が至る所で崩壊しつつあります。私達の説く霊的真理(スピリチュアリズム)は(心霊学という)知識を土台として築かれております。その土台はいかなる嵐にもビクともしません。なぜなら事実-霊的事実-を土台としているからです。あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなた方が(死んで)物質界に感応しなくなった後も、あなた方の奮闘努力の記念碑として末永くその勇姿を失うことはないでしょう」
同じテーマについて別の交霊会で-
「真理は前進し、暗黒と無知と迷信と混迷を生む勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。これが私達が繰り返し繰り返し宣言しているメッセージです。あなた方は今まさに地上に新しい存在の秩序を招来する為に貢献しておられるということです。ゆっくりとではありますが変革が生じつつあります。新しいものが旧いものと取って替わる時数々の変動は避けられません。それも神の計画の内に組み込まれているのです。
常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭に置き、その上に宗教観、科学観、哲学観、倫理観、道徳観を打ち立ててください。直ぐにご大層なことを想像なさる御仁に惑わされてはなりません。私達の説く真理は至って単純であるが故に、誰にでも分かり誰にでも価値を見出すことが出来ます。神の子としての人間の有るがままの姿を何の虚飾もなく説いているからです。すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊の絆によって結ばれているという意味において真に同胞であり、人類全体が一大霊的家族であり神の前に平等であるということです。
霊の目をもって見る者は民族、国家、気候、肌の色、宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つに繋ぐ霊の絆を見てとります。地上世界は今こそそうした単純な真理を見直す必要があります。あまりに永い間教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質ないしは生命の大霊とは何の関係もないものに躓いて来ました。
私は魂をより意義有る生活へ誘うものでない限り教義、信条、ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心がないのです。根本的に重要なのは日常生活の生き方だからです。いかなる教義もいかなるドグマもいかなる儀式も、原因と結果の関係を寸毫だに変えることは出来ません。霊性を一分たりとも増すことも減らすことも出来ません。それは日常生活によってのみ決定付けられるものだからです。私達が忠誠を捧げるのは宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理であって、教義でもなく書物でもなく教会でもありません。
今や霊の力がこうして地上に顕現する新しい手掛かりが出来たことを喜んでください。真理を普及する為の新しい人材が次々と霊力の支配下に導かれていることに着目してください。新しい通信網が出来たことに着目してください。人類の進歩を妨げてきた既成権力が崩され傷害が取り除かれて行きつつあることに目を向けてください。私達は刀剣や銃を手にせず愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神でもって闘っている大軍の一翼を担っております。私達の武器は真理と理性です。そして目指すのは人間として当然受け取るべきものを手に出来ずにいる人々の生活に豊かさと美しさをもたらしてあげることです。
神とその子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと容赦は致しません。地上に神の王国を築く為には地上のいずこであろうと赴く決意は決して揺らぎません。これまでも数々の虚言、中傷、敵意、迫害に遭ってまいりました。が、勇気ある心の持ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘って来てくれたお蔭で、こうして霊の力が地上に顕現することが出来たのです。今も新しい世界の前哨地に多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は皆さんに、元気をお出しなさい、と申し上げるのです。心に迷いを生じさせてはなりません。変転きわまりない世の中の背後にも神の計画を読み取り、あなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っていることを自覚してください。真理は絶え間なく前進しているのです。
意気消沈した人、悲しげにしている人に元気を出すように言ってあげてください。先駆者達の努力の賜物をこれから刈り入れるのです。そしてそれが明日を担う子供達により大きな自由、より大きな解放をもたらす地ならしでもあるのです。不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの心理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐をもってしても挫かせることは出来ないとの自信です。
私がお教えしているのはごく単純な真理です。しかし単純でありながら大切この上ない真理です。地上人類が自らの力で自らを救い、内在する神性を発揮するようになる為には、そうした霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。あなた方はその貴重な霊的な宝を手にされていること、それが全ての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信をもって生きてください。しかし同時に、知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊力を無視した生き方をする人は、知らない為に霊的真理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります。
その知識を賢明にそして有効に生かしてください。一人でも多くの人がその知識を手にすることが出来るように、それによって魂を鼓舞され心が開かれる機縁となるように配慮してあげてください。私達の方でも一人でも多くの人の涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真理を見えなくしている目隠しを取り除いてあげようとの態勢でいるのです。親である神を子等に近付かせ、子等を神に近付かせ、人生の奥義に関わる摂理を実践に移させようとして心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影を潜め、生命の充足感を地上に生きる人の全てが味わえることになるでしょう」
ここでメンバーの一人がこうした心霊知識の普及を既成宗教の発端と同列に並べて考えようとする意見を聞いて、シルバーバーチはこう説いた。
「私達はこれまで確かに成功を収めてまいりました。しかし、そうしたスピリチュアリズムの発端を私達は他の宗教と同列に並べて考えていないことを銘記してください。私達にとってスピリチュアリズムというのは宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信仰箇条とすべき性質の教えではありません。キリスト教とて当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし仏教もそうです。その他地上に誕生した宗教の全てが最初はそうでした。それぞれの教祖が霊覚でもってその時代の民衆の成長、発展、進化、慣習、鍛練、理解力等の程度に相応しいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。それが更に受け入れる用意のある者に受け継がれて行きました。それは一部とはいえ真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、そのささやかな真理が(人間的夾雑(きょうざつ)物の下に)埋もれてしまいました。
真理のもつ純粋な美しさを留めることが出来なかったのです。周りに世俗的信仰、神学的概念、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。やがて神性が完全に影を潜めてしまいました。そして新たにそれを掘り起こし蘇生させる必要性が生じたのです。過去の宗教は全て-例外なしに-今日こうして地上へ届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり一欠片なのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。それらを比較して、どちらがどうということは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるのです。例えば今日の世の中ですと、昔では考えられなかった通信手段が発達しています。伝達し合うことにあなた方は何の不自由も感じません。何秒と掛からずにお互いが繋がり、メッセージを送り、地球を一周することが出来ます。
これまでの啓示と異なるところは、入念な計画に従って組織的な努力が始められたということです。それが地上の計算でいけば約百年前のことでした。今度こそは何としてでも霊的知識を地上に根付かせ、いかなる勢力をもってしても妨げることの出来ない態勢にしようということになったのです。その計画は予定通りに進行中です。そのことは、霊的知識が世界各国で盛んに口にされるようになって来ていることで分かります。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。
ご承知のように私は常に、一人でも多くの霊媒が輩出することの必要性を強調しております。霊界からの知識、教訓、愛、慰め、導きが地上に届けられる為には、是非とも霊媒が必要なのです。一人の霊媒の輩出は物質万能思想を葬る棺に打ち込まれる釘の一本を意味します。神とその霊的真理の勝利を意味するのです。霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。両界を繋ぐ媒体だからです。知識と光と叡智の世界から私に届けられるものをこうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる(バーバネルという)霊媒を見出したことを嬉しく思うのも、そこに理由があります」
こうした霊媒を仲介役として始められたスピリチュアリズムに対する抵抗がよく話題にされるが、その中から典型的なシルバーバーチの霊言を紹介しよう。
「私達はほぼ一世紀に亘って、霊的真理を基本とした訓えを地上に根付かせようと努力してまいりました。それこそがこれから築かれて行く新しい秩序の土台である以上、何としてでも困難を切り抜けなくてはならないからです。本来は最大の味方であるべき陣営の抵抗と敵意に耐え抜き闘い抜いてまいりました。宗教的分野において子羊達を導こうとする人間(キリスト教の指導者)ならもろ手をあげて歓迎すべきものなのに、逆に自分達の宗教の始祖(イエス)の教えであるとして広めんとしてきた主義・信条の全てに自ら背いて、そういう立場の人間にあるまじき酷い言葉で我々を批難して来ました。そこには愛も寛容心も見られません。それどころか、私達を悪魔の使いであると決め付け、神の子羊を正義の道から邪な行為、不道徳、利己主義へ誘惑せんとする闇の天使であるとして、悪口雑言の限りを浴びせます。
しかし、そうした激しい抵抗の中にあっても、私達の説く真理は今や世界中に広がり、これまで抵抗して来た勢力は退却の一途を辿っております。私達は現今のキリスト教が基盤としている教説を否認する者です。愛と正義と慈悲と叡智の根源である大霊が地上人類に対して呪うべき行為を働く筈がないことを主張する者です。神の怒りを鎮めるのに残酷な流血の犠牲(いけにえ)が必要であった、などという言い訳は断じて認めません。いかなる権力をもってしても自然の摂理に介入出来たためしは一度もないことを主張します。神学の基盤と構造の全てを否定する者です。なぜならば、それは人類の進歩の時計を逆回りさせ、その狭苦しい一人よがりの世界に合わないものはいかなる発見も発明も進歩も拒絶して来たからです。
そうしたものに代わって私は、啓示というものが常に進歩的であること、かつての指導者の一人ひとりが神の叡智の宝庫から一握りずつを地上へもたらして来たこと、そしてその一連の系譜の最後を飾ったのがかのナザレのイエスであり、私達はそのイエスを鼓舞したのと同じ霊の力の直系の後継者として、同じ福音、同じ真理を説いている者であることを宣言します。人間に贖い主はいらないのです。神との仲介者は不要なのです。自分の荷は自分で背負う義務があり、日々の生活の中の行為によって霊的生命を高めもすれば傷付けもするのです。内部に神性を宿していることは今も、そしてこれから先も永遠に変わりません。変わるのは程度の上下であって、本質は決して変わりません。向上進化というのはその潜在的神性をより多く顕現して行く過程に他ならないのです。
いかなる教義、いかなる信条をもってしても、過った行為がもたらす結果を捻じ曲げることは出来ません。私達の説く神は永遠・不変の法則によって宇宙を統治しており、その法則の働きによって地上の人間は地上で送る人生によって自らを裁くようになっていると説くのです。かつて地上においてこうした真理を説き、それ故に迫害を受けた先駆者達に対して私達は、今や彼等の努力が実りの時代を迎え、古き秩序が廃れ新しき秩序の下に霊的生命が芽生え始めている兆しを地上の至る所に見ることか出来るようになった事実をお知らせしております。
永い間真理の太陽を遮って来た暗雲が足早に去りつつあります。そして光明が射して無数の人々の生活を明るく照らし、今度はその人達が、自分を自由にしてくれた真理の伝道者となって行きます。それだけの備えが出来ている人達です。私共は地上の人々が自らの力で自らを救い、死せる過去と訣別し、精神と霊を物質による奴隷的束縛から解放する方法をお教えする為に戻ってまいりました。古くからの教えだからといって有り難がってはいけない-知的な目をもって真理を探求し、常識に反し理性を反発させるものは一切拒絶しなさい、と申し上げているのです」
しばしの休暇の後に再開された交霊会でシルバーバーチは年二回開かれるという霊界での指導霊の総会(注)に出席していたと言い、〝光の世界から影の世界へ、実在の世界から幻影の世界へ戻って来るのは気が進まないものです〟と述べてからこう続けた。(注-これはスピリチュアリズム思想推進の為に経過報告と次の計画の指示を仰ぐ為の会合で、世界的規模で行われる。これが年に二回ということであるが、この他にも実質的に地上の経綸に当たっている霊界の上層部において慣例的に行われる〝讃仰の為の集い〟もある。オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻に、通信霊のアーネルがその会場に入った時の雰囲気を〝音が無いという意味での静けさではなく静寂という実体が存在する〟と表現している。又モーゼスの『霊訓』にはイムペレーターからの通信が暫く途絶えたのでモーゼスがその理由を尋ねると〝地上の用事とは別の用事があって留守にしていた〟と言い、霊界の上層部における神への厳かな崇拝と讃迎の祈りを捧げる為に他の多くの霊と共に一堂、終結したのだと言う。その時の通信の日付が十月十二日となっている。日本で十月のことを神無月と呼ぶことには〝神の月〟と〝神がいなくなる月〟の二つの説があるようであるが、私は両者は詰まるところ同じことに帰すると思う。古代の日本人はそれを直感していたのである-訳者)
「そもそも私がこの利己主義と残酷に満ちた地上へ降りて来ることになったのは、人類への愛と使命があったからです。そこでこの度も(総会を終えた後)こうしてあなた方の下へ戻ってまいりました。私なりの出来る限りの援助を与える為です。人類を霊的奴隷状態から解放し、神性を宿す者が当然我がものとすべき神の恩寵-霊的生活、精神的生活、そして身体的生活における充足-を得させるという(地球規模の)大使命の推進の一翼を担う者として戻ってまいりました。
その使命の成就を妨げんとするものは何であろうと排除しなければなりません。私達が目指す自由は(霊的・精神的・身体的の)あらゆる面での自由です。その道に立ちはだかる既成の特権と利己主義の全勢力に対して、永遠の宣戦を布告します。あなた方より少しばかり永く生きて来たこの私、あなた方がこれより辿らねばならない道を知っている先輩としての私からあなた方に、どうか勇気をもって邁進されるよう申し上げます。お一人おひとりがご自分で思っておられる以上に貢献なさっておられるからです」
更に地球規模の霊的活動における指導霊と交霊会の役割に言及して-
「過去数年の間に私達は数多くの人々を知識の大通りへと案内してまいりました。しかしまだまだ大きな仕事が為されます。世界各地で数多くの心霊治療家によって行われている霊的治療の成果に目を向けてください。大地に再び視界が開けて行く様子を思い浮かべてください。予言者の声が再び地上にこだまするようになり、夢かと紛うものを見るようになります。先見の明が開け始めます。病める人々が癒され、肉親の死を悲しんでいる人々が慰められつつあります。あなた方は本当に恵まれた方達です。人間が永遠の魂の旅の中にあってほんの束の間をこの地上という生活の場で過ごしている、永遠にして無限の霊的存在であることをご存知だからです。
私はそのメッセージをあなた方の助力を得ながら広め、私を地上へ派遣した霊団の使命を推進したいと望んでおられます。私達は今勝利へ向けて前進しております。誤謬と利己主義、迷信と無知、自惚れと悪逆無道の勢力を蹴散らし過去のものとしなければなりません。
最早そうしたものが許される時代は終わったのです。真理が理解されるに従って暗闇が光明へとその場を譲ってまいります。人々はその目を上へ向けて新しい世界の夜明けを待ち望んでおります。新しい世界は新しい希望と新しい悟りを与えてくれます。
神のみ恵みの多からんことを」