-死んでそちらへ行ってから役に立つわけですか。

 「そうです。何一つ無駄にはなりません。神の法則は完璧です。長年霊界で生きて来た私共は神の法則の完璧さにただただ驚くばかりです。神なんかいるものかといった地上の人間のお粗末な啖呵を聞いていると、全く情けなくなります。知らない人間程己の愚かさを曝け出すのです」

-睡眠中に仕事で霊界へ行くことがありますか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的ですか。

 「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけの能力をもった人がいるわけです。しかし大抵は死後の準備の為です。物質界で体験を積んだ後霊界でやらなければならない仕事の準備の為に、睡眠中にあちこちへ連れて行かれます。そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。地上時代に霊的知識を予め知っておくと、こちらへ来てから得をすると言うのはその辺に理由があるわけです。随分長い期間眠ったままの人が大勢います。予め知識があれば直ぐに自覚が得られます。丁度ドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光の眩しさにまず慣れなければなりません。闇の中にいて光を見ていない人は慣れるのに随分時間がかかります。それは赤ん坊と同じです。ハイハイしながら進むような状態です。地上の体験を思い出すことはあっても、大半は夢見るような状態で思い出します。しかし地上での体験も霊界での体験も、一つとして失われることもありません。そのことを忘れないでください。あらゆる思念、あらゆる行為、あなた方の心から発した善意の願いは、必ずどこかの誰かの役に立ちます。その願いのあるところには必ずそれを支援する霊が引き寄せられるからです」

-霊的知識なしに他界した者でも、こちらからの思いや祈りの念が届くでしょうか。

 「死後の目覚めは理解力が芽生えた時です。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも我々は無知と誤解と迷信と過った教義と神学を無くすべく闘わねばならないのです。それが霊界での目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれない限り、魂は少しずつ死後の世界に慣れて行く他はありません。長い長い休息が必要となるのです。又、地上に病院があるように、魂に深い傷を負った者をこちらで看護してやらねばなりません。反対に人の為によく尽くした人、他界に際して愛情と祈りを受けるような人は、そうした善意の波長を受けて目覚めが促進されます」

-死後の生命を信じず、死ねばお終いと思っている人はどうなりますか。

 「死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてからその事実に直面する他ないわけです。目覚めるまでにどの程度の時間がかかるかは霊格の程度によって違います。つまりどれだけ進化しているか、どれだけ新しい環境に順応出来るかにかかっています」

-そういう人、つまり死んだらそれでお終いと思っている人の死には苦痛が伴いますか。

 「それも霊格の程度次第です。一般的に言って死ぬということに苦痛は伴いません。大抵は無意識だからです。死ぬ時の様子が自分で意識出来るのは、よほど霊格の高い人に限られます」

-善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎めを受けますか。

 「私にはその善人とか悪人とかの意味が分かりませんが、要はその人が生きて来た人生の中身、つまりどれだけ人の為に尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有った方がマシです。がその人の真の価値は毎日をどう生きて来たかに尽きます」

-愛する人とは霊界で再会して若返るのでしょうか。イエスは天国では嫁に行くとか嫁を貰うといったことはないと言っておりますが・・・・。

 「地上で愛し合った男女が他界した場合、もしも霊格の程度が同じであれば霊界で再び愛し合うことになりましょう。死は魂にとってはより自由な世界への入口のようなものですから、二人の結び付きは地上より一層強くなります。が二人の男女の結婚が魂の結び付きでなく肉体の結び付きに過ぎず、しかも両者に霊格の差がある時は、死と共に両者は離れて行きます。それぞれの界へ引かれて行くからです。若返るかというご質問ですが、霊の世界では若返るとか年を取るといったことでなく、成長、進化、発達という形で現れます。つまり形体ではなく魂の問題になるわけです。イエスが嫁にやったり取ったりしないと言ったのは、地上のような肉体上の結婚のことを言ったのです。男性といい女性といっても、あくまで男性に対する女性であり、女性に対する男性であって、物質の世界ではこの二元の原理で出来上がっておりますが、霊の世界では界を上るにつれて男女の差が薄れて行きます」

-死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪が一番多いですか。

 「勿論私達も罪を犯します。それは利己主義の罪です。ただ、こちらの世界ではそれが直ぐに表面に出ます。心に思ったことがすぐさま他に知られるのです。因果関係が直ぐに知れるのです。従って醜い心を抱くと、それがそのまま全体の容貌に表れて、霊格が下がるのが分かります。そうした罪を地上の言語で説明するのはとても難しく、先程言ったように、利己主義の罪と呼ぶより他に良い表現が見当たりません」

-死後の世界が地球に比べて実感があり立派な支配者、君主又は神の支配する世界であることは分かりましたが、こうしたことは昔から地上の人間に啓示されて来たのでしょうか。

 「霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。ただ誤解しないで頂きたいのは、こちらの世界には地上でいうような支配者はおりません。霊界の支配者は自然法則そのものなのです。又地上のように境界線によってどこかで区切られているのではありません。低い界から徐々に高い界へと繋がっており、その間に断絶はなく、宇宙全体が一つに融合しております。霊格が向上するにつれて上へ上へと上昇してまいります」

-地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか。

 「いえ、いえ、そんなことはありません。そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来れば又新たな生活があり、愛する者、縁あるものとの再会もあります」

-シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロといった歴史上の人物に会うことが出来るでしょうか。

 「特に愛着を感じ、慕っている人物には、大抵の場合会うことが出来るでしょう。共感の絆が両者を引き寄せるのです」

-この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。

 「地上より遙かに実感があり、しっかりしてます。本当は地上の生活の方が実感がないのです。霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。こちらへ来られるまでは本当の実体感は味わっておられません」

-ということは地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。

 「だから言ってるでしょう。地上よりもっと実感がある、と。こちらの方が実在なのですから・・・。あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられて、物質という壁で仕切られて、小さな鉄格子の窓から外を覗いているだけです。地上では本当の自分のホンの一部分しか意識していないのです」

-霊界では意念で通じ合うのですか、それとも地上の言語のようなものがあるのですか。

 「意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます」

-急死した場合、死後の環境に直ぐに慣れるでしょうか。

 「魂の進化の程度によって違います」

-呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのですか。

 「魂に意識のある場合(高級霊)は、エーテル体が肉体から抜け出るのが分かります。そして抜け出ると目が開きます。周りに自分を迎えに来てくれた人達が見えます。そして直ぐそのまま新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は看護に来た霊に助けられて適当な場所-病院なり休息所なり-に連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで看護されます」

-愛し合いながら宗教的因習などで一緒になれなかった人も死後は一緒になれますか。

 「愛をいつまでも妨げることは出来ません」

-肉親や親戚の者とも会えますか。

 「愛が存在すれば会えます。愛がなければ会えません」

-死後の生命は永遠ですか。

 「生命は全て永遠です。生命とはすなわち神であり、神は永遠だからです」

-霊界はたった一つだけですか。

 「霊の世界は一つです。しかしその表現形態は無限です。地球以外の天体にもそれぞれに霊の世界があります。物的表現の裏側には必ず霊的表現があるのです」

-その分布状態は地理的なものですか。

 「地理的なものではありません。精神的発達程度に応じて差が生じているのです。もっとも、ある程度は物的表現形態による影響を受けます」

-ということは、私達人間の観念でいうところの界層というものもあるということですか。

 「その通りです。物質的条件によって影響される段階を超えるまでは人間が考えるような〝地域〟とか〝層〟が存在します(地球に隣接した幽界の下層界のこと-訳者)

-各界層が地球や太陽や惑星を取り巻いているのでしょうか。

 「取り巻いているのではありません。地理的に分けられているのではありません。球体つまり天体のような形で存在しているのでもありません。宇宙という大きな広がりの中の一部としての生活の場を構成しているのです。宇宙にはあらゆる次元の生活の場があって互いに重なり合い融通し合っています。あなた方はその内の幾つかを知られたわけですが、まだまだご存知ない世界が沢山あります。地上の天文学で知られていない生活が営まれている惑星が他に幾つもあります」

-各界を構成している成分は地球のようにマテリアルなものですか。(material には〝物質的〟〝実質的〟〝実体のある〟等々様々な意味があり、それを観念的に理解して頂く為に敢えて訳さずにおいた-訳者)

 「私という存在はマテリアルでしょうか。男女の愛はマテリアルでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルでしょうか。こうした質問に対する答えはマテリアルという言葉の意味によって違って来ます。あなたの仰るのが実感があるのか、実体があるのかという意味でしたら答えは〝イエス〟です。なぜなら霊こそ生命の実在そのものであり、あなた方が物質と呼んでいるもの、すなわち物質の世界はその実在を包んでいる殻に過ぎません」

-霊界も地球の電磁場或いは重力場の影響を受けて地球や太陽と運動を共にしているのでしょうか。

 「私達の世界は地球の回転の影響は受けません。昼と夜の区別がないのです。エネルギーも地球に生命を賦与している太陽から受けているのではありません。引力は物質だけが受けるのであって、霊的なものは影響を受けません。霊的な法則とは関係がありません」

-霊の動く速さに限界がありますか。

 「私達スピリットの動きに時間・空間による制約はありません。霊界生活に慣れてくると全く制約を受けなくなります。この地球のどの地域でも思念の速さで行き着くことが出来ます、思念が私達にとって現実の存在なのです。但し、霊的発達段階による制約は受けます。その段階を超えたことは出来ません。霊的成長によって到達した段階より速く動くことは出来ません。それがその霊にとっての限界ということです。ともあれ、霊的生活での霊自身による制約に過ぎません」(地上のように外的条件による制約はないということ-訳者)

-生命の住む天体には必ず霊界もあるのでしょうか。

 「あなた方が霊界と呼んでいるものも宇宙の霊的側面に過ぎません。宇宙はあらゆる界層のあらゆる生命を包含します」