霊の力-太古において人類を鼓舞し、洞察力と勇気、同胞の為を思う情熱と願望を与えたその力は、今日においても直ぐ身近に発見出来る法則の働きの中に求めようとする心掛け一つで我がものとすることが出来るのです。
 教会の権威、聖典の権威、教理の権威-こうしたものが今悉く支配力を失いつつあります。次第に廃棄されつつあります。しかし霊的真理の権威は永遠に生き続けます。私がこうして戻って来る地上世界は騒乱と混沌に満ちていますが、霊の光が隙間から洩れるようなささやかなものでなしに強力な光輝となって地上全部に行き渡れば、そうしたものはたちどころに治まることでしょう。
 なぜ人間は光明が得られるのにわざわざ暗闇を求めるのでしょう。なぜ知識が得られるのに無知のままでいたがるのでしょう。叡智が得られるのになぜ迷信にしがみつくのでしょう。生きた霊的真理が得られるのに、なぜ死物と化した古い教義を後生大事にするのでしょう。単純・素朴な霊的叡智の泉があるのに、なぜ複雑怪奇な教学の埃の中で暮らしたがるのでしょう。
 外せる筈の足枷を外そうともせず、自由の身になれる筈なのに奴隷的状態のままでいながら、しかもその自ら選んだ暗闇の中で無益な模索を続けている魂がいるのです。思うにそういう人はあまりに永い間鎖に繋がれて来た為に、それを外すことに不安を覚えるようになってしまったのでしょう。永い間カゴの中で飼われた小鳥は、カゴから放たれた時、果して飛べるかどうか不安に思うものです。
 足枷を外すまではいいのです。が外した後に自ら歩むべき道がなくてはいけません。何の道標もなくて戸惑うまま放置されるようなことになってはいけません。私達は彼等の魂の解放を望みますが、その自由が手引きしてくれる方向もよく見極めて欲しいのです。
 永い間束縛の中で生きていると、やっと自由を得た時に、もう何の指図も受けたくないという気持を抱きます。そしてこう言います-〝もう指図を受けるのは御免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り棄てた今、私はもう宗教と名の付くものとは一切関わりたくありません〟と。
 足枷から解放されて迷いが覚めると共に、激しい反動が起きることもあります(例えば神仏の化身として崇めていた教祖がただの人間に過ぎなかったことを知って-訳者)。そこで私は、私という一個人、ただのメッセンジャー(使いの者)に過ぎない者に過度の関心を寄せられるのを好まないのです。私はメッセージそのものに全てを賭けております。地上の人間はあまりに永い間教えを説く人物に関心を寄せ過ぎ、超人的地位に祭り上げ、肝心の教えそのものを忘れて来ました。
 私達の使命は最早そんな、所詮人間に過ぎないものを超人的地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡智をお届けするだけです。私が地上で傑出した指導者であったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでも良いことです。私の述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのはあなた方の理性だけです。
 人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは何一つ要求致しません。人間としての道義に反すること、尊厳に関わること、屈辱感を覚えさせること、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。私達は全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神との繋がり、一つの家族としての地上人類同士の同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。
 これまでのように何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威を振りかざしたりすることは致しません。私達は神から授かっている理性を唯一の拠り所として、それに訴えます。ただ単に聖書に書いてあるからというだけの理由で押し付ける方法はとりません。理性が反発を覚えたら拒否なさって結構です。ただ、よく吟味してくだされば、私達の説くところが霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が間違った古い考えを洗い落とし、代わって、後できっと有り難く思ってくださる筈の大切な真理をお教えすることであることが分かって頂けるものと確信します。地上の所謂宗教は真実を基盤とすべきであり、理性の猛攻撃に抗し切れないようなものは全て廃棄すべきです。
 私達が霊的真理を説く時、それは霊的世界の摂理に関わることとしてのみ説いているのではありません。物的世界に関わることでもあるのです。私達の目から見れば物的世界は神の創造された宇宙の一側面であり、それを無視して、つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいて〝宗教的〟では有り得ません。そういう人達の為に援助の手を差し延べる人は全て偉大なる霊と言えます。真理を普及することのみが人の為の仕事ではありません。他にも色々あります。
 貧困に喘いでいる人々への物的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して内奥の霊性に神の意図された通りに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです。
 私が残念に思うのは、本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させる為に私達スピリットがテーブルを浮揚させたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです。(巻末〝解説〟参照)
 あなた方も一人の例外もなく神の分霊なのです。ということは、あたかも神があなた方にこう語りかけているようなものです-〝私が全ての法則を用意し、あなた方一人ひとりに私の分霊を授けてあります。宇宙を完全なものにする為の道具は全て用意してあります。その全てを利用することを許しますから、自分にとって良いものと悪いものとを自ら選択しなさい。それを私の定めた法則に順応して活用してもよろしいし、無視してもよろしい〟と。
 そこで神の子等はそれぞれ好きなように選択して来ました。しかし他方において、霊界から地上の経綸に当たっている者は神の計画を推進する為に、地上において間違いなく神の御心に感応出来る人材を送り込まねばならないのです。地上の神の子等はこれまで大きく脇道に外れてしまった為に霊的なことにすっかり無関心となり、物的なことしか理解出来なくなっております。
 しかし冷たい冬の風が吹きまくった後には必ず春の新しい生命が芽生えるものです。地面に雪か積もり、全てが寒々とした感じを与える時は、春の喜びは分かりません。が春はきっと訪れるのです。そして生命の太陽はゆっくりと天界を回って、いつかは 生命の壮観がその極みに達する時が参ります。
 今、地上全体を不満の暗雲が覆っています。が、その暗雲を払い除けて夢を抱かせる春、そしてそれを成就させる夏がきっと訪れます。その時期を速めるのも遅らせるのも、あなた方神の子の自由意志の使い方一つに掛かっております。
 一人の人間が他の一人を救おうと努力する時、その背後に数多くのスピリットが群がり寄って、その気高い心を何倍にも膨らませようと努めます。善行の努力が無駄にされることは絶対にありません。奉仕の精神も決して無駄に終わらせることはありません。誰かが先頭に立って藪を開き、後に続く者が少しでも楽に通れるようにしてあげなければなりません。やがて道らしい道が出来上がり、通れば通る程平坦になって行くことでしょう。
 高級神霊界の神が目に一杯涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時折見かけます。今こそと思って見守っていた折角の善行のチャンスが踏み躙られて行く人間の愚行を見て、いつかはその愚かさに目覚める日が来ることを祈りつつ眺めているのです。そうかと思うと、嬉しさに顔を思い切りほころばせておられるのを見かけることもあります。無名の平凡な人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯を灯してくれたからです。
 私は直ぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんが為に、他の大勢の同志と共に波長を物質界に近付けて降りて参りました。その目的は神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったのです。
 物質界に降りて来るのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、鬱陶しくて単調で生命力に欠けています。譬えてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。従って当然、生きる喜びに溢れている人は殆ど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。
 私が住む世界は光と色彩に溢れ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きる喜びが漲り、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神に溢れ、お互いに自分の足らざる所を補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。
 それに引き換え、この地上に見る世界は幸せがあるべき所に不幸があり、光があるべき所に暗闇があり、満たされるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものは全て用意してくださっているのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。
 それを取り除いてくれと言われても、それは私共には許されないのです。私共に出来るのは物質に包まれたあなた方に神の摂理を訓え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えて差し上げるだけです。今日ここにいらっしゃる方には是非、霊的真理を知ればこんなに幸せになれるのだということを身をもって示して頂きたいのです。
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差し上げることが出来たら、これに過ぎる喜びはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことが出来れば、こうして地上に降りて来た苦労の一端が報われたことになりましょう。私達の霊団はけっして本来あなた方人間が果たすべき義務を肩代わりしようとするのではありません。成る程神の摂理が働いているということを身をもって悟って頂ける生き方をお教えしようとしているだけです。
 そう言うとある人はこんなことを言います-〝仰る通りです。だから私達も施しをします。が、施しを受ける者はまず神に感謝しなければいけません〟と。施しをした後、その相手がそのことを神に感謝しようがすまいが、そんなことはどうでも良いことではないでしょうか。お腹を空かしている人がいれば食べ物を与えてあげる-それだけで良いではありませんか。寝る所に困った人に一夜の宿りを提供してあげる。それは良いことですが、〝どうぞウチで泊まっていってください。ですが、ちゃんと神にお祈りをなさってくださいよ〟などと余計なお説教をしてはいけません。
 スピリチュアリズムの真実を知ったあなた方は、その分だけを物的なもので差し引いて勘定してみたことがおありですか。つまりあなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という掛け替えのない高価なものをお持ちになっている。自分が霊的に宇宙の大霊と直結していることを悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神から遣わされた使者の働きかけを受け止める心掛けも会得された。そうしたことに比べれば、俗世的な宝はガラクタも同然です。あなた方はこれから先も永遠に生き続けるのです。すると、この地上で学んだ知識、体験から得た叡智が、俗世で追い求めている物的なものに比して、その永遠の魂にとっていかに大切であるかがお判りになる筈です。
 見かけの結果だけで物事を判断してはいけません。あなた方は〝物〟の目でしか見てないのです。〝霊〟の目でご覧になれば、一人ひとりの人間に完全に公正な配慮がなされていることを知るでしょう。私は時折あなた方を始め他の多くの人間の祈りに耳を傾けることがあります。そしていつもこう思うのです-もしも神がその全てを叶えてあげたら、ゆくゆくはあなた方にとって決して嬉しくない結果をもたらすであろう、と。
 地上を去って霊の世界へ来る人達に私はよく質問してみることがあるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません。(訳者注-これは、全てはなるべくしてそうなっていた、つまり自分が蒔いた種だったということで、〝文句を言う人は一人もいない〟というのは誰しもその事実関係は認めざるをえないことを言っているのであるが、だからみんな直ぐに反省して殊勝な心掛けに立ち帰るという意味ではない。頭でそう認めても心が素直に従うとは限らないのは地上でもよくあることで、地上ならば片意地を張って通すことは出来ても霊界ではそうはいかない。その頑なな心の奥にある恨みや嫉妬などの悪感情がすぐさま身辺の雰囲気に漂い、環境にそぐわなくなり、親和作用によって同じような感情の中で生きる霊ばかりのいる境涯へと引き付けられて行く。そこを地獄という)
 地上世界には今三つの大きな問題があります。一つは無知であり、もう一つは悲劇であり、三つ目は貧困です。この三つは霊についての認識が政治と結び付き、みんながその新しい知識の指し示す方向で思考し、そして生きるようにならない限り、いつになっても無くならないでしょう。
 しかし勝利の潮流が着実に押し寄せて来ます。古い秩序が廃れ、新しい秩序にその場を譲って行きます。新しい世界は近付いております。しかし、新しい世界になったら地上から暗い場所が完全に無くなると思ってはいけません。相変わらず涙を流す人がいることでしょう。心を病める人がいることでしょう。大いなる犠牲が求められることもあるでしょう。
 神の計画に関わる仕事は犠牲なしには成就されないのです。取り壊しなしには建て直しは出来ません。人間は大きな悲劇に遭遇して初めて霊的なことに関心を抱き始め、その拠ってきたる源を探ろうとします。つまり、あれこれと物的手段を試みてその全てが何の役にも立たないことを知ると、藁をも掴む気持でどこかの宗教団体に縋りつき、そしてやがて失望します。
 そうしたことの繰り返しの中で霊的真理が台頭し、新しい世界-神の摂理が正しく機能している世界-の建設が始まります。そうなるまでは何かと大きな問題の絶えることはありません。が、いずれにしても、何も言うことのない完全な世界にはなりません。なぜならば完全に近付けば近付く程、その先により高い完全が存在することを知るからです」

-霊界が地上のスピリチュアリズムの普及に関心があるのなら、なぜもっとマスコミに働きかけないのでしょうか。

 「これは、これは。どうやらあなたは(真理のあり方について)あまり理解がいっていないようですね。知識が普及すること自体は良いことに決まっております。でも、いきなりマスコミを通じての宣伝効果の話を持ち出されるとは驚きました。あなたは魂というものがいついかなる状態で真理に感動するものかをご存知ないようです。
 私達は私達なりの手段を講じております。計画はちゃんと出来ているのです。後はあなた方地上世界の協力を俟(ま)つのみなのです。
 忘れないで頂きたいのは、私達は〝魔法の杖〟は持ち合わせていないということです。〝魔法の呪文〟をお教えするのではありません。宇宙の自然の理法を明かして差し上げようとしているだけです。
 その理法を知って魂が目を覚まし、自分も神の分霊であること、自分を通じて神が地上へ働きかけることも有り得ることを理解してもらいたいと願っているのです。その為に私達なりの普及活動は行っております。が、地上の雑音(マスコミを通じての宣伝)によってそれを行ってみても必ずしも効果は期待出来ません。一個の魂、一つの心に感動を与えていくこと、つまり霊とのより密接な一体化を体験させることによって成就していく他はありません」

-地上の体験、例えば戦争、苦難、精神的並びに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組み込まれているのでしょうか。

 「いえ、そんなことはありません。戦争は神が計画されるのではありません。病気は神が与えるのではありません。人類が自由意志の使用を誤って自ら招来しているのです。その中にも学ぶべき教訓があることは確かです。しかしそれは、何も人類同士で野蛮な行為や恐ろしい残虐行為をし合わなくても学べることです。人間が勝手にやり合っていることを神の行為と取り違えてはなりません」

-今は連邦となっている英国の〝王室〟の存続は有益であると思われますか。

 「そう思います。なぜなら、何であれ国民を一つに結び合わせるものは大切にすべきだからです。世界人類が共存していく為の団結の要素を求め、お互いに近付き合うようにならなければいけません。離反・孤立を求めて争うことを私がいけないと言うのはそこに理由があります。魂が一切の捉われを無くすると、世界中の誰とでも調和した一体化を求めるようになるものです」

-霊界のプランがあることを何度も聞かされておりますが、それらしい明確な証が見当たらないのですが・・・。

 「物的な目をもってご覧になるから見えないのです。あなた方は全体の進歩というものを自分一人の短い生涯との関連において判断されますが、私達は別の次元から眺めております。その私達の目には霊的真理の普及、霊的知識の理解、寛容的精神の向上、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的奴隷状態の障壁の破壊が着実に進行しているのが見えます。
 進歩は突発的な改革のような形でなされるものではありません。絶対に有り得ません。霊的成長はゆっくりとした歩調でなされねばならないからです。どうか失望なさらないでください。なるほど物質万能主義の風潮が蔓延るのを見ていると失望の要素ばかりが目につきますが、他方では、霊的真理がそうした物質万能的な利己主義のモヤに浸透して行くにつれて、希望の光が射し込みつつあります。正しい認識が広まれば真理が勝利を収めます。
 だからこそ私達のメッセージが大切なのです。私達にとって大切なのではありません。あなた方にとって大切なのです。私達は地上の人類がその利己主義に対して、その理不尽な無知に対して、その計画的な残虐行為に対して払わねばならない代償の大きさを認識させるべく努力しているのです。あなた方の為に努力しているのです。何とか力になってあげようとしているのです。その動機はあなた方に対する私達の愛に他なりません。
 私達は人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません。私達はあなた方の品性を汚すことや残忍な行為、或いは罪悪を犯させようとしているのではありません。それどころか、逆にあなた方の内部に宿る神性、神から授かっている霊的能力を認識させ、それを駆使して自分を他人の為に役立てる方法を説き、そうすることによって神の計画の推進に役立たせてあげたいと望んでいるのです」(巻末〝解説〟参照)