「私達は時には冗談を言っては笑い、楽しい雰囲気の中で会を進めておりますが、こうしたささやかな集まりの背後に大きな、そして深刻な目的が託されております。出席される皆さんも、自分達の力でどれ程多くの人々が光明を得ているかをご存知ないでしょう。この霊媒の口から出る言葉は高い界から送られて来るメッセージの一部を私が取り次いでいるのですが、これも皆さんにはすっかりお馴染みとなりました。皆さんの生活の背景として、ごく当たり前の位置を占めるに至っております。最早皆さんにとって私の述べることに取り立てて耳新しいことや革命的なものはなくなりました。
 十数年前、あなた方は精神的並びに霊的な自由を手にされました。永い間尋ね求め、あれを取りこれを拒否し、神から授かった理性で試し検討した末に、遂に私の述べるメッセージを真実のものと認められたわけです。今では私の説く単純素朴な訓えこそ永遠の真理であることを得心しておられます。しかし一方には、永い間暗闇と懐疑と苦悩の中でさ迷っている人、こうした真理が魂の解放のメッセージとなるべき人が大勢いることを忘れてはなりません。気の毒な環境から救い出してあげなければなりません。霊的真理には一人ひとりの人間を束縛から解放する意図が託されているのです。私共の仕事は必ず一個の人間から始めます。人類全体も個が集まって構成されているからです。一人又一人と非常にゆっくりとした根気の要る仕事ではありますが、それ以外に方法がないのです。大勢の人を一度に変えようとしても必ず失敗します。暗示が解け、普通の感覚に戻った時、全てが忘れ去られます。そうした一時の興奮から目覚めた者は気恥ずかしささえ味わうものです。
 ですから私共は、あらゆる反抗と敵意と妨害の中にあっても、点滴岩をも穿つの譬えで、一人又一人と光明が射し真理を悟ってくれることを信じて、素朴ながらも繰り返し繰り返し説いてまいります。その訓えの意味を十分に理解し価値を評価してくださる方は、それ以後は後ろ髪を引かれる思いをすることもなく、それまで永い間魂を束縛して来た古い因襲的信仰に綺麗サッパリと訣別することでしょう。暗闇から這い出て光明の世界へと辿り着いたのです。真実の光を見出したのです。それを理性で確認したのです。私共の言説には人間の理性が納得する筋が通っていること、人間の常識を怒らせる要素がないこと、人間の知性を反発させるものではないことを皆さんはご存知です。寧ろ皆さんはこれ程明々白々たる真実がなぜ受け入れられないか-そのことに悩まされておられるくらいです。
 我々に反抗する大きな勢力がまだまだ存在することを忘れてはなりません。その中でも特に警戒を要するのがキリスト教会という宗教のプロが有する既得の権力です。彼等はそれを振りかざして我々の使命を阻止せんとすることでしょう。彼等には最早何等新しい恩恵は持ち合わせないのです。持ち出すものといえばカビの生えたような古い教説ばかりです。彼等は身は今の世にあっても精神は古き時代に生活し、その過去の栄光を現代に甦らせようとします。今の彼等には他に何の持ち合わせもないからです。教会堂は最早倒れかけた墓の如く陰鬱な空虚さに満ち、およそ神の霊の宿る所では無くなっております。そういう宗教家が我々を非難し悪魔の手先である-信心深いお人好しや妄想にとりつかれ易い人間を騙そうと企んでいると宣伝します。私共はそういう宗教家を見て情けなく思わずにはいられません。彼等は往々にして自分でもそうと気付かずに宗教家としての職責を裏切り、民衆を神へ導くことをせぬどころか神との間に垣根を立て、ただの書物に過ぎないもの、ただの教義に過ぎないもの、ただの建造物に過ぎないものに自らの魂を縛られ、それを真理より大切なものであると信じ切っております。
 私共が酷(きび)しい言葉でその非を指摘するのは、そういう宗教家に対してです。彼等は宗教家として落第したのです。この苦しみと悲しみの海にさ迷う無数の人々を導く資格を失っているのです。最早彼等にとっては宗教がその真の意味を失っているのです。神学という粗悪品を混入して、イエスが折角この世にもたらした素朴な啓示の言葉を忘れてしまっております。私共が説く宗教とはお互いがお互いの為に尽くし合う宗教です。人の為に役立つことが霊の通貨なのです。神の子である同胞の為に自分を役立てるということは、取りも直さず神の為に役立てることであり、それを実行した人は立派に宗教的人間と言えます」

-伝統的宗教に対する我々の態度は寛容的であるべきでしょうか、厳しい態度で臨むべきでしょうか。

 「相手が誰であろうと、恐れず真実を述べることです。あなたも神の僕の一人です。間違いは排斥し虚偽は論破すべきです。恐れてはいけません。恐れる必要は少しもありません。大堂伽藍を建て、妙なる音楽を流し、ステンドグラスで飾り、厳かな儀式を催したからといって、それだけで宇宙を創造した大霊が心を動かされるものではありません。宇宙の大霊すなわち神を一個の建物の中に閉じ込めることは出来ないのです」
 これに関連した質問を受けて更にこう述べた。
 「大衆に目隠しをして暗闇に閉じ込めようと思えば出来ないこともありません。かなり永い年月に亘ってそうすることも可能です。しかし、いつかは大衆も自分達が本来は光の子であることを思い出して真理の光明を求め始めます。その時期を権力によって遅らせることは出来ます。妨害も出来ます。しかし、最後には真理が真理としてあるべき位置に落ち着きます。あなた方人間も霊的存在です。肉体だけの存在ではないのです。無限の可能性を秘め、神性を宿すが故に、その霊的可能性が発現を求め始めます。一時的に無視することは出来ても、永遠に抹殺してしまうことは出来ません。だからこそ真理の普及が急務なのです。人間が霊的存在であるということは、内部に宿る霊はこの驚異に満ちた大宇宙を創造した力の一部であるということです。いかなる宗教的権力をもってしても、霊の声を永遠に封じ込めることは出来ません」

 再び伝統的宗教の失敗と新しい世界の誕生の問題に言及してこう述べている。
 「今地上では古い体制の崩壊と衰亡が進行し、かつて我がもの顔だった説教者達も、最早これでは民衆の心を捉えることは出来ないことを認め始めております。あまりの永きに亘って盲目の民を好きに操った盲目の指導者達、自分達の拵えた教義を押し付け、自分達が創造した神のみを崇拝すべしと説いて来た者達、真実の行進に抵抗し、現代に生きる聖霊の力の存在を否定せんとしてきた者達(心霊現象や心霊治療が霊の力によることを認めないこと-訳者)、そうした者が今その代償-霊的法則の存在を認めようとしなかったことへの代償を払わされつつあります。
 そこに、あなた方にも肝に銘じて頂きたい教訓があります。真理の為に闘う者は最後は必ず勝利を収めるということです。善の勢力を全て封じ込めることは絶対に出来ないからです。一時的に抑えることは出来ます。邪魔することも出来ます。進行を遅らせることも出来ます。しかし真理を永遠に破壊したり、あるべき位置に落ち着くことを阻止し続けることは誰にも出来ません。これは宗教に限ったことではありません。人生のあらゆる面に言えることです。何事につけ誤った説に抵抗し、偽の言説を論破し、迷信に反対する者は決してうろたえてはいけません。全生命を支え、最後の勝利を約束してくれる永遠にして無限の霊力に全幅の信頼を置かなければいけません。
 死を隔てた二つの世界の交信を可能にしてくれる霊的法則の存在を知った多くの人にとって、こうした戦争によって惹き起こされる不利な条件の中で真理を普及していくことがいかに困難であるかは、私もよく承知しております。しかし、何が何でもこの霊的真理にしがみついて行かねばなりません。やがて真理に飢え魂の潤いを渇望する者が次第に増え、いつかは知識の水門が広く開かれる時機が熟します。その時に備えておかねばなりません。対立紛争が終わった時、戦火が消えた時、無数の人々が、今度は知識を土台とした生き方の再構築を望むことでしょう。彼等は宗教の名の下に押し付けられた古い神話にはうんざりしております。戦争という過酷な体験をし、人生の意義を根本から問い直し-つまり〝なぜ生まれて来たのか〟〝いかに生きるべきなのか〟〝いつになったら〟という疑問に直面させられた者は、それを何とか知りたいと思い始めます。真理を渇望し始めます。その時あなた方は、そうした不満の中に渇望を抱いて訪れる魂に理性と確信と論理性と真理と叡智でもって対応し、新しい世界の住民としての生き方を教えてあげられる用意が出来ていなければなりません。
 過ぎ去ったことは、そこから教訓を学ぶ為でなければ、つまり失敗をどう正すか、二度と過ちを犯さない為にはどうすべきかを反省する為でなければ、無闇に振り返るべきものではありません。未来に目をやり、今日行うことを、これから訪れるより立派な日の為の下地としなければなりません。世界中からあなた方を必要とする時代が来ます。無数の人々が希望と慰めとインスピレーションと指導を求めて、あなた方に目を向ける日が来ます。もう教会へは足を運びません。聖職者の下へと訪れません。牧師の下へは行きません。皆さんの方へ足を向けます。なぜなら死と隣り合わせの体験をし、その酷しい現実の中である種の霊的体験をした者は、心の目が開いているからです。目の前を遮っていた靄が晴れたのです。真理を受け入れる用意が出来たのです。ならば、あなた方はそれを授けてあげる用意が出来ていなければなりません」

-新しい世界が生まれつつあるというのは何を根拠に仰るのでしょうか。

 「私には厳とした計画、神の計画が見て取れるのです。私は霊の力こそ宇宙最大の力であると信じています。人間がその働きを歪め、遅らせることは出来るでしょう。妨害し押し止めることは出来るかも知れません。しかし永遠にその地上への顕現を阻止することは出来ません。あなた方が霊的真理についての知識を手にしたということは、人類が抱える全ての問題を解く鍵を手にしたことを意味します。こう申しても、私は決して世に言う社会改革者達-義憤に駆られ、抑圧された者や弱き者へのやむにやまれぬ同情心から悪と対抗し、不正と闘い、物的な神の恵みが全ての人間に平等に分け与えられるようにと努力している人々をないがしろにするつもりは毛頭ありません。ただその人達は問題の一部しか見ていない-物的な面での平等の為に闘っているに過ぎないということです。勿論精神的にも平等であるべきことも理解しておられるでしょう。が人間は何よりもまず〝霊〟なのです。大霊の一部なのです。宇宙を創造した力の一部なのです。決して宇宙の広大な空間の中で忘れ去られている取るに足らぬ存在ではないのです。宇宙の大霊の一部として、常に無限の霊性に寄与しているのです。
 その霊力の息の根を止めることは誰にも出来ません。いつかは必ず表に出て来ます。残酷な仕打ちにも憎しみの行為にも負けません。棍棒で叩かれても、強制収容所へ入れられても、独裁政治で抑えられても、けっして窒息死することはありません。なぜならば人間の霊は人間が呼吸している空気と同じように自由であるのが本来の在るべき姿なのです。それが生来の、神から授かった、霊的遺産なのです。その理想像の素晴らしさを理解した人々、新しい世界の在るべき姿を心に画いた人々は、当然そうあらねばならないことを十分に得心しています。なぜなら、それが人間に息吹を与えて動物から人類へと進化させた、その背後の目的の一部だからであり、それは更に人間を神的存在に向上させていくものです。あなた方の使命はその松明を引き継ぎ、新しい炎を燃え立たせ、次の世代にはより大きな光明が道を照らすようにしてあげることです。基盤は既に出来上がっているのです。何年も前からこちらの世界で基盤作りは終わっているのです。ゆっくりと、苦痛は伴いながらも、各界の名士或いは名も無き男女が、永遠の霊の存在の証言に立ち上がり、神の計画の一刻も早い実現の為に刻苦したのです。新しい世界は必ず実現します」

-その新しい世界は我々人間が自らの努力によって実現しなければならない筈なのに、なぜその基盤作りがあなたの世界で行われたのでしょうか。

 「あなた方の世界は影です。光はこちらから出ているのです。あなた方はこちらで立てられたプランを地上で実行し実現させて行きつつあるところです。オリジナルの仕事-と呼ぶのが適切か否かは別として-は全てこちらで行われます。なぜなら全てのエネルギー、全ての原動力は物質から出るのではなく霊から出るのです。皆さんは、意識するしないに関わらず、霊力の道具なのです。受信して送信する道具なのです。霊的影響力をどこまで受け止められるかによって、成功するしないが決まるのです」

-ということは結局、そちらからの援助を得て私達が努力することから新しい世界が生まれるということでしょうか。

 「その通りです。何事も人間一人では成就し得ません。人間が何かを始める時、そこには必ずこちらからの援助が加味されます。私達は常に道具を求めております。人間の方から霊力の波長に合わせる努力をして頂かねばなりません。完璧はけっして望めません。常に困難を克服し邪魔を排除する仕事は永遠に続きます」

-私達自身の努力で地上の新しい世界を招来しなければならないわけですね。

 「努力して初めて得られるのです。私から申し上げられることは、神の計画の一部として成就しなければならないことは既に決まっているのです。が、それがいつ実現されるかはあなた方人間の協力次第ということです。計画は出来ているのです。しかしその計画は自動的に実現されるわけではありません。それはあなた方人間の自由意志に任されております。あなた方は自由意志をもった協力者です。ロボットでも操り人形でもないのです。宇宙の大霊の一部なのです」

-新しい世界が来ると仰っても、私達にはそれらしい兆しは見当たらないのですが・・・

 「古い秩序が崩壊していくのと同じ速さで新しい秩序が生まれます。現にその目でその崩壊の過程をご覧になったばかりではありませんか。大帝国が崩れ去りました。お金の力が絶対でなくなりました。利己主義では割に合わないことが証明されました。(戦争体験によって)普通一般の男女の力の本当の価値が証明されました。どうか私に対して〝進歩が見られない〟などと仰らないで頂きたい。教訓はあなた方の目の前に幾らでもあります。別の霊眼は必要としません。肉眼で見える所にあります。(これ程の切実な体験をした)現代の人々に新しい世界が訪れて当然です。もしその新しい世界の恩恵に浴せないとしたら、その人はまだ内部の霊的な力を使用するまでに至っていないということです。それだけの努力をした人々は、その犠牲と引き替えに恩恵を受けておられます。私はそれが機械的なプロセスで与えられると申しているのではありません。それだけの用意が整っていると言っているのです。それを受け取るには、あなた方の方でやって頂かねばならない仕事があります。それは一方では霊的知識を広め、他方で古い権力構造の面影に貪欲にしがみ付いている因襲的既得権に対して飽くなき闘いを挑むことです」

 別の日の交霊会で同じく人類の真の自由の獲得の為の闘争についてこう語っている。
 「私達はなくもがなの無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせた筈の我が子が無知の暗闇の中で暮らし、影と靄の中を歩み、生きる目的も方角も分からず、得心のいく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。真に欲する者には存分に分け与えてあげられる無限の知識の宝庫が用意されておりますが、それは本人の魂の成長と努力と進化と発展を条件として与えられます。魂がそれに相応しくならなければなりません。精神が熟さなくてはなりません。心がその受け入れ態勢を整えなくてはなりません。その時初めて知識がその場を見出すのです。それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。目の見えなかった人が見えるようになったとしても、その視力に応じて少しずつ見せてあげなくてはなりません。一気に全部を見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。梯子を一段一段と上るように、一歩一歩、真理の源へ近付き、そこから僅かずつを我がものとしていくのです。
 一旦糸口を見出せば、つまり行為なり思念なりによって受け入れ態勢が出来ていることを示せば、その時からあなたは、その辿り着いた段階に相応しい知識と教訓を受け入れる過程と波長が合い始めます。その後は、もう、際限がありません。これ以上は駄目という限界がなくなります。なぜなら、あなたの魂は無限であり、知識も又無限だからです。しかし闘わねばならない相手は無知だけではありません。永い間意図的に神の子を暗闇に住まわせ、あらゆる手段を弄して自分達のでっち上げた教義を教え込み、真の霊的知識を封じ込めて来た既成宗教家とその組織に対しても闘いを挑まなければなりません。過去を振り返ってみますと、人間の自由と解放への闘争の為に我々が霊界からあらゆる援助を続けて来たにも関わらず、自由を求める魂の自然な欲求を満足させるどころか、逆に牢獄の扉を開こうとする企てを宗教の名の下に阻止しようとする勢力と闘わねばなりませんでした。
 今日尚その抵抗が続いております。意図的に、或いはそうとは知らずに、光明の勢力に対抗し、我々に対して悪口雑言を浴びせ、彼等自ら信じなくなっている教義の誤りを指摘せんとする行為を阻止し、勝手な神聖不可侵思想にしがみつき、自分で勝手に特権と思い込んでいるものがどうしても捨て切れず、すり切れた古い神学的慣習を御生大事にしている者がまだまだ存在します。そこで私共が人間の直ぐ身の周りに片時も休むことなく澎湃(ほうはい)として打ち寄せる、より大きく素晴らしい霊の世界があることを教えに来るのです。そうした障害を破壊し、莫大な霊力、全てに活力を与えるダイナミックな生命力を全ての人間が自由に享受出来るようにする為です。その生命力がこれまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞して来ました。今でも多くの人々に啓示を与えております。そして、これから後も与え続けることでしょう。
 荒廃に満ちた世界には、これから為さねばならないことが数多くあります。悲哀に満ち、悲涙にむせぶ人、苦痛に喘ぐ人に溢れ、何の為に生きているのかを知らぬまま、首をうなだれ行先が分からずにさ迷っている人が大勢います。こうした人々にとって、目にこそ見えませんが、霊の力こそ真の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気付け、導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在であることを、その霊力自らが立証します。
 そこにこそ、霊的知識を授かった人々の全てが参加し、自由の福音、解放の指導原理を広め、人生に疲れ果てて意気消沈した人々の心を鼓舞し、魂の栄光を知らしむべく、この古く且つ新しい真理普及の道具として、一身を捧げる分野が存在します。私達が提供するのは〝霊の力〟です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡智と理解力を顕現せしめ、神の子等に恒久的平和を築かせることが出来るのは、霊の力を措いて他に無いのです」