「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がより一層要請されます。
 地上の至る所に悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解してしまいました。が、その人達の心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。
 人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的自分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。
 教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることは出来なくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のお決まりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。となれば当然、人間が勝手に拵えた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。
 この点に関する限り、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人達の考えが唯物的になっていくのかというと、そうではないのです。というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。(訳者注-物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の〝もの〟の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでも尚そのバイブレーションを構成する究極の要素は突き止められていない。かつては〝これが一番の素〟という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)
 こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気付き、何もかもが改造の為に坩堝(るつぼ)の中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。
 かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。愛は死の淵を超えて届けられます。愛する者を導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。
 そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、その為に取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。一度それを把握したら、一度自分のものにしたら、一度理解してその有り難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、二度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。
 かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人の為に自分を役立てる貴重な手段であることが分かります。煩悶の叫び声を上げている数知れぬ人々は、私達が奮闘すべき場を提供してくれているのであり、一人が光を見出す毎に、一人が無知の闇から抜け出て知識を手にする毎に、一人が悲しみの涙を喜びの笑みに変える毎に、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。
 ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念の下に、この人類にとって掛け替えのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

 この後質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で、〝百人の霊媒の内九十九人までは出鱈目を喋っている〟というショー・デスモンド(注)の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。(注-英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている-訳者)
 「本物の支配霊-支配霊としての仕事を完(まっと)う出来る才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討を経て選ばれ、又その適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証済みだからです。
 そうした本物の支配霊に関する限り今の批判は当たりませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今一つの修業を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。
 そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何かと良からぬ評判が囁かれ、それが皆支配霊のせいにされてしまいます。実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟な為であることがあり、時には霊媒そのものが未熟である為に、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているに過ぎないことがあります。
 ですから支配霊は出鱈目ばかり言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関する限り、そういう言いがかりは不当であると思います。もっとも、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」

 次に読み上げられた質問は、祈りや願い事は誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、及び物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私達はどういう心掛けが大切かについてお教え願えませんか。つまりその人へ私達の思念を直接送ってあげればよいのでしょうか、それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」
 「とても良い質問です。人の為に何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表れです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。
 度々申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私達の意志を神の意志と調和させることであり、神との繋がりをより緊密にすることです。そうすることが結果的に私達の生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表れます。
 何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙を拵えた神にまず自分が一歩でも近付くように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、是非自分をお役立てくださいという祈りの気持で包んであげることです。
 ですが、それを自分が愛着を覚える人のみに限ることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色合いを帯びているものだからです。それよりは寧ろ全人類の為になる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何等かの役に立つということです」

 この後シルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。
 「皆さんに自覚して頂きたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せ付けられた霊的真実への節操が要請されます。
 先程霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんは既にそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反発するような行為を要求したことはありません。
 自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知る程謙虚な気持で満たされるものです。ですが、それでも尚私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚りません。それが私のような者にも与えられているのです。私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれる限り続くことでしょう。
 私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的に自らを御して行くことが出来るのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面を疎かにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面を疎かにするのと同じように愚かしいことです。
 神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を謳歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕し給う美を満喫なさるがよろしい。
 と同時に、その背後にあって私達を道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受する為に心を広く持ちましょう。成る程私達が神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心掛けましょう」

 別の日の交霊会で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。
 「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒と怒号の鳴り止む時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。それに対する手段が十分に整ったことは一度もありませんが、常に何等かの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことは出来ません。届く範囲で努力致しましょう。
 今尚世界大戦の余波が残っております。(注)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序が蔓延り、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私達の手で広げようではありませんか。決して色褪せることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在-一度理解したら人生の全図式を一望の下に見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。(注-この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが1949年、つまり終戦から五年後であることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく-訳者)
 皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部に過ぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。宇宙のいずこにも-人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力を遙かに超えた範囲においても-法則の行き届かない所はありません。
 その法則の中に神の意志が託されているのです。およひ人間の拵える法則というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、全ての条件を満たすものではないからです。が、神の摂理は考え得る限りのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来事というものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。
 科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探求の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落としているからです。
 私達の仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。それとても実は私の望んでいるところの一部に過ぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私達の使命の一部ではあります。しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何の為にこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上の為には何を為すべきか-こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが一番大切なことです。
 これから先にも大きな仕事が私達を待ち受けております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸の為に心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人-私達はこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。
 今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもって我々の方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてこれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることが出来ます。霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処出来ます。
 世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再構築を迫られております。その大渦巻きの中にあって〝これこそ基盤とすべき原理である〟と自信をもって断言出来る人は極めて稀です。
 再構築にはそれに先立っての破壊が必要です。基盤は何度も言って来た通り既に敷かれております。計画(プラン)は出来上がっているのです。今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現し、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。そこには不安や失望の種は何一つありません。為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることが出来ます。
 私達に与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることが出来ることの特権に感謝し、それがその人達にも革命をもたらし、自分が愛と叡智に溢れた神の一部であること、その神は人間が人生から美と喜びと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」