(シルバーバーチの霊訓第七巻・巻末付録・訳者近藤千雄解説)

 七章に出ている霊媒ヘレン・ダンカンの投獄事件は〝世紀の裁判〟として当時の新聞を賑わし、〝暗黒時代〟の再来かという不安をスピリチュアリストに抱かせたものである。シルバーバーチが〝あなた方は暗黒時代へ引き戻されたわけではありません〟と言い、〝私は少しも心配していません〟と述べているのはその為であるが、更に〝もっともっと不自由な思いをさせられる方が身の為です〟と言うに至ってはいかにもシルバーバーチらしくて、私は訳していて苦笑を禁じ得なかった。これ程の事件にそれなりの意味がないわけがなく、それが見えているからそういうセリフも出て来るのであろう。そして、確かにシルバーバーチの言う通り犠牲者らしい犠牲者はダンカン夫人一人だけで終わり(とばっちりを受けた者もいたことはいたが)大方の心配は杞憂に終わったのだった。
 ではその〝世紀の裁判〟とはいかなるものだったのか。これまで断片的な資料は入手していたが、この度折よく、ブリーリー女史の『ヘレン・ダンカンの二つの世界』 The Two Worlds of Helen Duncan by Gena Brealey というのが出版され、その中に裁判に関する詳細な記録が紹介されている。これからそれを必要な限り紹介しようと思うが、その前にヘレン・ダンカンという霊媒の霊媒能力について述べておきたい。
 ダンカン女史の得意とするところは物質化現象で、その印象があまりに強い為に他の能力の影が薄く感じられるが、実際は霊視、霊聴を始めとしてオールラウンドな霊能を具えていた。しかしやはりヘレン・ダンカンといえば物質化現象専門の霊媒と言ってよく、それが又女史をスピリチュアリズム史上最初で最後の『殉死者』にしてしまったのだった。バーバネルはダンカン女史によるある日の交霊会の様子を次のように綴っている。

 「ヘレン・ダンカン女史の交霊会で私は、キャビネットの中で物質化像が出来上がるところを特別に見せて頂いたことがある。かつてキャビネットの外で、エクトプラズムの像が次第に縮んで行って、しまいには小さな光の球のようになり、最後は床を突き抜けて沈むように消えて無くなるところを見たことがある。
 そのキャビネットの中で見た現象であるが、女史の鼻と口と耳から発光性のエクトプラズムが大量に波のように出て来て、やがて六フィートの背丈の女史の支配霊アルバートの姿となった。同じ現象を見た(霊魂説否定派の最右翼である)心霊研究家のハリー・プライスは、ダンカンは前もってチーズクロス(ガーゼ状の布)を呑み込んでおいてそれを吐き出すのだと言う、途方もない説を出した。これが荒唐無稽の説であることを証明する為にダンカン女史は自らX線検査を求めた。プライスの〝説〟ではダンカン女史の腹には牛と同じ反芻用の第二の胃袋があることになっていたが、検査結果は全く〝正常〟だった。
 私は一度ならず女史の交霊会でエクトプラズムが出て来たところを直接触らせて頂いたことがあるが、その時既にカラカラに乾いていて一種独特の固体性を具えていた。これは反芻されて出て来たものではあり得ないことを証明している。
 私は決定的ともいえる実験をしたことがある。ダンカン女史を始め出席者全員にメチレンブルー(青色塩基性染料の一種)の錠剤を飲んで頂いたのである。胃袋の中のものが青味を帯びる効果を狙ったのであるが、その後出現した物質化像はいつもの通り真っ白だった。
 次に、それらとは全く対照的な現象-非物質化現象を紹介したい。ダンカン女史には封書読み(リーディング)の能力もある。ある時エステル・ロバーツ女史(バーバネルが英国一の折り紙をつけた霊媒-訳者)がそのことに興味を抱き、一度試してみたいと言うので私が取り計らってあげた。席上私はロバーツ女史に一枚の紙切れを渡して、誰にも見られないように一つの質問を書かせた。それを折り畳んで封書に入れ、封をしてダンカン女史に手渡した。
 それを早速ダンカン女史が読み始めた。ところが、八つの単語から成るその質問文の六つまで読んだところで〝なくなりました〟と言う。(ダンカン女史は文字通りその用紙が消えて無くなったと言っているのであるが、ロバーツ女史は読み取ったつもりの記憶が消えたという意味に受け取って)〝上出来です。お判りにならないのは最後の二言だけで、後は正確に読んでおられます〟と言うと、又ダンカン女史が〝なくなりました!〟と言う。するとロバーツ女史が再び〝お読みになられたところまでは全部正確でしたよ〟と言いながら、念の為にその封書を開けてみた。すると驚いたことに質問を書いた用紙が消えて無くなっているのである。封書の中が空っぽだったのである。そしてそれきりその用紙はどこからも出てこなかった。
 後でロバーツ女史はこの不可思議な現象の意味が分かったと言って私に話してくれた。実はあの質問は他界したばかりのある人について何か情報を得られないかどうかを尋ねたものであるが、気が付いてみると、その人については支配霊のレッド・クラウドからある時期が来るまで情報を求めてはならぬと言いつけられていたのだそうで、まだその時期が来ていなかったというわけである」

 さて、ではダンカン女史は一体いかなる罪状で訴えられたのだろうか。起訴状によると大要は次のようなことになっている。
 「被告人ヘレン・ダンカンは1933年1月4日及び5日の両日、(場所省略)男女八名の者に対して自分は霊媒であると偽り、自分を通じて死者の霊を出席者の目に見え語りかけ会話を交わすことが出来る状態で物質化させうること、もし一人十シリングを支払えばそうした催しを行う用意があると偽り、同日同場所において右の八名の者が出席して費用を支払うと、その場所で偽りの交霊会を催し、ペギーと名乗る幼児を含む幾名かの死者の霊を物質化させると偽り、そこで出席者の目に見え耳に聞こえたものが死者達の姿であり声であるかの如く見せかけた。しかし実は本人も承知している如くペギーの物質化と称したのはメリヤス地のベスト(チョッキ)であり、それを被告人が手にして操作してそれらしく見せかけたものであり、その声は被告人本人の声であった。被告人は総額四ポンドにのぼる費用を着服し、八人の出席者一人につき十シリングを詐取せしものである」(傍点は訳者。尚ポンドもシリングも現在の十進法以前のもの)

 では問題の交霊会はどういう経緯で告発されたのだろうか。そのあらましを紹介すると、ある日ダンカン女史の下に届けられた手紙の中にミス・ソールズという女性からの交霊会開催の依頼状があり、悲しみのどん底にある友人の為に是非ともお願いしたいとあった。実はこの女性は後で出て来るミス・モールと共に警察の巧妙な、というよりは強引な仕掛けの手先となっていた。指定された場所はロンドンの心霊研究センターで、ダンカン女史もよく知っていたので、早速予約受付係のような役をしていた夫のヘンリーに伝え、ヘンリーも直ぐに〝受諾〟の返事を出した。が、後になって同じ日に別の交霊会の予約があったことに気付いたヘンリーが取り消しの通知を出そうかと言ったところダンカン夫人は、苦しい思いをしている人の為なのだからと、同じ日に二つの交霊会を催すことにし、その代わり少し予定より時刻が遅れることだけを伝えておいて欲しいと頼んだ。二つの場所がかなり離れていたからである。
 さて当日であるが、グラスゴーでの交霊会を無事終えたダンカン女史は娘のリリアンと共に次の開催地であるエジンバラへ向かったのであるが、実はグラスゴーでの交霊会で支配霊のアルバートが、常連の一人であるドリスデール夫人に(ダンカン女史は入神状態なので何も分からない)次の交霊会は用心するようにと警告している。事件が迫っていることは背後霊団には分かっていたのである。交霊会の終わり際にもう一度アルバートはドリスデール夫人に〝忘れずにヘレンに伝えてくださいよ〟と念を押した。入神から覚めてアルバートの警告を聞かされたダンカン夫人は、次の交霊会へ行く途中を用心しろ-つまり交通事故に気をつけろという意味に受け取ったという。
 グラスゴーからエジンバラまではかなりの距離があるので、一つでも早い列車に乗ろうと、ダンカン夫人は旅行用の衣服に着替える暇もなく、上にコートをはおっただけで列車に飛び乗った。そこに又一つ悲劇の種が隠されていた。訴状にある〝メリヤス地のベスト〟に着替えなかったことである。
 駅からタクシーに乗ってセンターの前で降りると、一人の女性(ミス・モール)が待っていて、〝実は会場が急に変更になりましたので〟と言い、理由も言わずに二人を隣接するホールへ案内した。その間その女性は一言も喋らなかった。そして階段を二段上がったところでいきなり〝コートをお預かりしましょう〟と言うので、〝いえ、結構です。それより娘を待たせておく部屋へ案内してやってください〟と言うと、〝かしこまりました。直ぐに戻ってまいりますので〟と言ってリリアンを連れてその場を去った。
 待っている間にダンカン夫人はコートを脱ぎ、壁のコート掛けにかけ、その下に旅行用の鞄を置いた。そこへその女性が戻って来て交霊会の催される部屋へ案内した。入ってみると中央に四つの椅子が用意してあり、片隅のキャビネットへ向けて半円状に並べてある。
 〝何か他にお入用のものがございますかしら?〟と出席者の一人が尋ねた。
 〝お水を一杯お願いします。終わってから頂きますので。どうもご親切に〟とダンカン夫人が言った。
 それから間もなく交霊会が始められた。ダンカン夫人が入神した。後で夫人が述懐して言うには、朦朧とした意識の中で誰かが自分を引っ張って〝さあ、つかまえた!これがあんたのいうペギーでしょう!〟と叫ぶ声がやっと聞こえたという。
 ペギーというのはアルバートと共によく物質化して出て来る子供の背後霊の名前である。少し意識が戻って来たダンカン夫人が〝一体何事ですか〟と聞くと〝今警察を呼んでいます。詐欺の現行犯で逮捕します〟と言う。これがミス・モールである。
 〝これを見なさい〟と言ってミス・モールが女性用のベストを差し上げて見せた。
 〝それはどこにありました?〟と、すっかり意識が戻ったダンカン夫人が聞いた。
 〝これがあなたのいうペギーなのですね?これを衣服の下から突き出そうとしているところを捕まえたのです〟と言った。これは明らかにでっち上げである。その時ダンカン夫人はそのベストを身に付けておらず、鞄の中に入れたままである。それをミス・モールが盗み出して持ち込んだのである。
 事の次第が分かったダンカン夫人は怒りを爆発させ、〝このウソツキ女!〟と叫んで掴みかかろうとしたが、二人の女性に止められ、その場にしゃがみ込んで泣いた。そこへ警官が入ってきて取り押さえ警察署へ連行した。そして治安を乱したかどで正式に起訴された。反訴する権利もあることを知らされたが、ダンカン夫人はそれを拒否した。気が動転していたせいもあるかも知れないが、私の想像では夫人は多分、裁判官を相手に交霊実験をやってみせれば簡単に疑いは晴れると考えていたのであろう。いずれにせよ、その時適用されたのが〝魔法行為取締法〟だった。
 ついでであるが、この取締法の成立過程には極めて興味深い経緯があるので紹介しておきたい。
 そもそもの発端は時の王ジェームズ一世(1567~1625)が花嫁をデンマークから呼び寄せようとして、それが北海の悪天候の為に阻止されたことにあった。当時は魔法が法律でも〝事実〟として認められ、ジェームズ一世自身も〝鬼神学〟に関する書物を著していた程である。そこで北海の荒波は何者かの魔法の為せる業であるという見解が公式に採択され、早速魔法行為を取り締まる為の法律が1603年に議会を通過した。
 当時は魔法が〝事実〟であったから、その法律は〝まじない、魔法、及び悪霊・邪霊の類を扱う行為を取り締まる〟という趣旨になっていた。それが1735年になって〝魔法を事実として認めない〟という見解に変化した為に法律の表現が改められ、魔法を行う如く偽った行為をした時、ということになった。ダンカン夫人に適用されたのはそれだった。
 しかし、それをスピリチュアリズムに適用するのは筋違いである。なぜなら当時はまだスピリチュアリズムは誕生していなかったからである。交霊会等によって霊媒や霊能者が心霊現象を演出したり超能力を披露するようになったのは1848年以降のことで、二百年以上も後のことである。本書の編者が七章の冒頭で〝埃を被った公文書保管所から持ち出されて・・・〟云々、と表現したのはその為である。
 しかし警察がこうした囮を使った方法で詐欺行為をでっち上げて直ぐスピリチュアリズムを弾圧しようとした背後には、シルバーバーチが七章の最後のところで暗示しているように、国教会が警察権力と裁判官を利用してまで弾圧しようとする陰湿な企みがあったのであろう。そのことはダンカン夫人が潔白の唯一の証明手段として出した〝是非一度交霊会を催させて欲しい。見て頂けば全て分かります〟という訴えが却下されたことに如実に表れている。
 その間には証人としてモーリス・バーバネルやハンネン・スワッハーを筆頭に二十六名が証言台に立ったが、そもそもの目的が大物霊媒であるヘレン・ダンカンを見せしめにすることによってスピリチュアリズムの信頼を失墜させようということにあったのであるから、全てが空しい努力に終わるしかなかった。結局ダンカン夫人は九ヶ月の刑に処せられた。スワッハーは心霊誌「リーダー」の中でこう述べている。
 「もしも同じ〝魔法行為取締法〟が行使されていたらウィリアム・クルックス卿はフロレンス・クックを研究したかどで、ビクトリア女王はジョン・ブラウンを呼んで交霊会を催させたかどで、オリバー・ロッジ卿はオズボーン・レナードの交霊会に出席したかどで、ダウディング卿はエステル・ロバーツの交霊会に出席したかどで、それぞれ罪人とされていたことであろう。私などはこの度の判決文に従えば何百回も罪を犯したことになる。
 かの〝イギリスの戦い〟(1940年の英国軍とドイツ軍との大空中戦)において総指揮をとったダウディング卿は今英国中を回って、その空中戦での戦死者の遺族に卿自身が交霊会で受け取った戦死者からのメッセージを伝えて歩いている。卿のお陰で悲しみの涙を止めることが出来た人が沢山いる。数々の交霊会に出席することによってそれが叶えられた以上は、ヘレン・ダンカンと〝共謀〟したかどで有罪とされたポーツマスの人達と同じく卿も明らかに有罪ということになる。
 なぜ二百年以上も前の〝魔法行為取締法〟がこの1944年という年になって国権によって掘り起こされたのだろうか。恐らくどこかで〝隠れた手〟が動いているのでは・・・・?」
 実はダンカン女史への迫害はこれ一回で終わったのではなかった。
 1956年のことであるが、ある著名な足病専門医の自宅で催されたダンカン女史による交霊会が二人の警官の急襲を受けた。二人は宙を飛ばんばかりの勢いでキャビネットへ突進し、カーテンを開けるなり写真を撮った。そのフラッシュで部屋中が光の海となった。入神中のダンカン夫人はそのショックでその場に倒れた。
 知人のハミルトンがかばおうとすると〝公務執行妨害でお前も逮捕するぞ〟と怒鳴りつけられた。
 〝でも、この人は死にかかっているのですよ!〟と絶叫するハミルトン夫人の言葉に警官は何の返事もしない。
 〝せめて医者を呼んでください!〟と更に夫人が言った。
 が、警官は黙ったまま昏睡状態のダンカン夫人を部屋から連れ出して寝室へと運んだ。
 そうしている内にも続々と警官が裏口から屋敷内へ入って来た。まるで暴動騒ぎでも起きたかの様になった。
 主任の刑事がハミルトン夫人に尋問した。
 〝ダンカン夫人との関係は?〟
 〝友人です〟
 〝共犯者ですね?〟
 〝何の共犯者ですか?〟
 〝今日の詐欺行為です。さあ、マスクと布はどこに隠したか言いなさい〟
 〝何のことを仰ってるのか、さっぱり分かりません。私は何も隠してなんかいません。これまでずっと女性の警官に見張られていたのです。医者を呼んでください。今直ぐにです。あの方は重態なのです〟
 そこで医者を呼ぶことを許され、電話を入れた。
 医者が来るまでハミルトン夫人はその家の滞在中ずっとダンカン夫人と共に過ごしていた部屋へ行ってみると、スーツケースが全部開けられ、衣服が放り出されたままになっていた。
 やがてドアのベルが鳴った。階下へ下りてみると医者だった。主任刑事も来て、何やら勝手な説明をしながらダンカン夫人が横になっている部屋へ案内した。
 夫人が重態であることは医者でなくても分かる程だった。脈を取り聴診器を当てた後、その医者は深刻そうな顔で刑事に、
 〝で、私にどうしろとおっしゃるのです?〟と聞いた。
 〝膣と肛門を調べて欲しい。幽霊に見せかける為のマスクと布が隠されている筈だから〟
 〝何ということを!あなたはこの患者が今大変なショック状態にあることがお分かりにならないのですか。ちょっと動かすだけでも死ぬかも知れない程です。そんなことは私はお断りします〟
 そう言ってからインシュリンの注射を打った。そこでハミルトン夫人が部屋に入ることを許された。夫人は駆け寄ると直ぐさま医者にどんな状態かを尋ねた。
 〝重態です。とても重態です〟と静かに答え、更に、
 〝私にはこれ以上の手当は出来ません。申し訳ありませんが・・・〟と言って部屋を出て行った。