(シルバーバーチの霊訓5巻より)
本書はほぼ一世紀前に(注)霊界において開始された大々的布教活動-全ての宗教の教義の下に埋もれてしまった必須の霊的真理を掘り起こし、その本来の単純素朴な形で地上に蘇らせる活動の一環として出版されるものである。世界各地で催されている交霊会(ホームサークル)において、民族を異にする霊媒を通じて働きかけている支配霊達が目的としているのは、人間に霊的実在を教え霊的叡智を授けることによってお互いがお互いの為の生活を送り、そうすることによって同胞精神に満ちた新しい世界を招来する一助となるように導くことにある。
(注-1848年のスピリチュアリズムの勃興を指す-訳者)
本書に収められているのは世界的に敬愛されている古代霊からの教訓である。その名をシルバーバーチというが、これは本名ではない。今彼が所属している世界では名前はどうでもよいのだといって明かそうとしないのである。が、いつかは明かす日が来ることを約束している。(注)それまでは私も語られた言葉だけで彼がいかなる人物であるかを判断することで満足するとしよう-誰が語っているかは分からないままそのメッセージを受け入れていくことにしよう。(注-1981年7月のバーバネルの死によってそれも果たされないまま終わった。いつかは明かすと言ったのは、明かしてもよい時期が来たら明かすという意味で言ったのであろう。が、現実にはシルバーバーチという人物像が強烈となるにつれて地上では誰だったのかという興味が次第に薄れ、その詮索が無意味に思われるようになっていったというのが実情である-訳者)
過去九年間ほぼ週に一回の割でこの霊のメッセンジャー(使い)の入神談話を速記してきて-彼は自分のことを上層界の神霊によって派遣されたメッセンジャーに過ぎないと言い、功績を自分のように言われるのを嫌うが-私はシルバーバーチを高貴な個性と明確な視野と表現の流暢さとを兼ね具えた高級神霊の一人として尊敬するようになった。
冷ややかな活字では彼の言葉の温かさ、サークルに出席して個人的に接した者が肌で感じ取る情愛を伝えることは出来ない。一度も交霊会に出席したことがなく活字によってのみシルバーバーチを知る者には、直接にその声を耳にしているメンバー程には彼の人類を思いやる心は感じ取れない。
我々メンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーと全く変わらない実在の人物である。彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌(いさ)めることをしない。しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があれぱいかなる労苦も厭わず、いかに難しい説明も試みてくれる。
初めて出席した招待客が礼を述べると、シルバーバーチは決まって、礼は神に述べなさいと言う。そして〝私は一介の僕に過ぎず、礼を述べて頂くわけにはまいりません。全ては神へ捧げるべきです〟と述べる。と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者達によって影が薄くなってしまっている。従って我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それはいつかはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、遂には本来の使命を台無しにしてしまいかねないというのである。その本来の使命は各自が自分の力で神との直接のつながりを持つべきであり神保者(注)は無用であることを教えることにある。(注-キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者-訳者)
A・W・オースティン(シルバーバーチの霊訓第五巻編者)
本書はほぼ一世紀前に(注)霊界において開始された大々的布教活動-全ての宗教の教義の下に埋もれてしまった必須の霊的真理を掘り起こし、その本来の単純素朴な形で地上に蘇らせる活動の一環として出版されるものである。世界各地で催されている交霊会(ホームサークル)において、民族を異にする霊媒を通じて働きかけている支配霊達が目的としているのは、人間に霊的実在を教え霊的叡智を授けることによってお互いがお互いの為の生活を送り、そうすることによって同胞精神に満ちた新しい世界を招来する一助となるように導くことにある。
(注-1848年のスピリチュアリズムの勃興を指す-訳者)
本書に収められているのは世界的に敬愛されている古代霊からの教訓である。その名をシルバーバーチというが、これは本名ではない。今彼が所属している世界では名前はどうでもよいのだといって明かそうとしないのである。が、いつかは明かす日が来ることを約束している。(注)それまでは私も語られた言葉だけで彼がいかなる人物であるかを判断することで満足するとしよう-誰が語っているかは分からないままそのメッセージを受け入れていくことにしよう。(注-1981年7月のバーバネルの死によってそれも果たされないまま終わった。いつかは明かすと言ったのは、明かしてもよい時期が来たら明かすという意味で言ったのであろう。が、現実にはシルバーバーチという人物像が強烈となるにつれて地上では誰だったのかという興味が次第に薄れ、その詮索が無意味に思われるようになっていったというのが実情である-訳者)
過去九年間ほぼ週に一回の割でこの霊のメッセンジャー(使い)の入神談話を速記してきて-彼は自分のことを上層界の神霊によって派遣されたメッセンジャーに過ぎないと言い、功績を自分のように言われるのを嫌うが-私はシルバーバーチを高貴な個性と明確な視野と表現の流暢さとを兼ね具えた高級神霊の一人として尊敬するようになった。
冷ややかな活字では彼の言葉の温かさ、サークルに出席して個人的に接した者が肌で感じ取る情愛を伝えることは出来ない。一度も交霊会に出席したことがなく活字によってのみシルバーバーチを知る者には、直接にその声を耳にしているメンバー程には彼の人類を思いやる心は感じ取れない。
我々メンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーと全く変わらない実在の人物である。彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌(いさ)めることをしない。しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があれぱいかなる労苦も厭わず、いかに難しい説明も試みてくれる。
初めて出席した招待客が礼を述べると、シルバーバーチは決まって、礼は神に述べなさいと言う。そして〝私は一介の僕に過ぎず、礼を述べて頂くわけにはまいりません。全ては神へ捧げるべきです〟と述べる。と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者達によって影が薄くなってしまっている。従って我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それはいつかはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、遂には本来の使命を台無しにしてしまいかねないというのである。その本来の使命は各自が自分の力で神との直接のつながりを持つべきであり神保者(注)は無用であることを教えることにある。(注-キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者-訳者)
A・W・オースティン(シルバーバーチの霊訓第五巻編者)