(シルバーバーチの霊訓7巻より)
私はこれまでシルバーバーチの交霊会に何百回も出席しているが、その霊言を聞き飽きたという感じを抱いたことは一度もない。
三千年前に地上で北米インディアンとしての生涯を送ったというシルバーバーチは、現在では大変な高級霊であるらしいことは容易に察しがつくが、その本来の霊的位階をけっして明かそうとしない。その訳は、こうして霊界から戻ってくるのは地上人類の為の使命を遂行する為であって、自分を崇めてもらう為ではないからだという。
その使命とは、聞く耳をもつ者に永遠不変の霊的真理を説くこと、これに尽きる。その説くところは常に単純・素朴であり、そして単刀直入的である。宗派や信条やドグマには一切囚われない。その主張するところは極めて単純・明快である。すなわち、我々の一人一人に神の火花-完全なる摂理として顕現している宇宙の大霊の一部が宿っているのであるから、お互いがお互いの為に尽くし合うのが神に尽くす所以となるというのである。
そうした内容もさることながら、シルバーバーチが語る時のその用語の巧みさ、美しさ、流暢さは、初めて出席した者が等しく感動させられるところである。美辞麗句を並べるというのではない。用語は極めて素朴である。それがいなかる質問に対しても間髪を入れずに流れ出てくる。それを耳にしていて私は時折、シルバーバーチが初めて霊媒(編者の主人モーリス・バーバネル)の口を使って語り始めた時のことを思い出すことがある。
もう二十年以上も前のことになるが、私達夫婦は、あるスピリチュアリストの招きで、ロンドンでも貧民層が集まっている地域のある家で開かれている交霊会に出席した。第一回目の時は女性霊媒を通じて色んな国籍の霊が喋るのを聞いて主人はアホらしいといった気持しか抱かなかったが、第二回目の時にいきなり入神させられ、何やら訳の分からないことを喋った。その時はシルバーバーチとは名乗らなかったが、今のシルバーバーチと同じ霊である。その頃はぎこちない英語、どうにか簡単な単語を繋ぐことしか出来なかった頃のことを思うと、今は何という違いであろう。が、ここまでに至るのには大変な時間と経験を要したのである。
そのシルバーバーチの道具として選ばれた十八歳の青年霊媒は、その後に用意されている仕事の遂行に備えて、様々な試練と訓練を耐え忍ばねばならなかった。その目指す目標はただ一つ-シルバーバーチの語る教説を少しでも遠く広く地上に行き渡らせる為の機会をもつことにあった。
よく知る者から見ればシルバーバーチはよき助言者、よき指導者であると同時に、よき友人でもある。けっして人類から超然とした態度を取らず、世俗的な問題や人間的煩悶に対しても深い同情心を見せてくれる。
当初に比べてシルバーバーチも性格が発達し深みを増した-というよりは、本来の霊的個性がより多く霊媒を通じて発揮出来るようになったといった方が適切であろう。最初の頃はふざけっぽく、時には乱暴なところさえ見せながらも、常に愛すべき支配霊という感じだった。それが次第に今日の如き叡智に長けた、円熟した指導者へと徐々に〝進化〟してきた。声の質も変化して、今では霊媒の声とは全く異質なものとなった。
今でも、続けて出席していないと同一霊であるかどうかを疑うかも知れない程の異質の側面を見せることがある。が、いつも変わらぬ側面がある。特にユーモアのセンスと当意即妙の応答の才能は少しも変わらない。
シルバーバーチの霊言はサイキック・ニーズ紙にずっと連載されてきており、書物にもなっている。その間には第二次世界大戦が勃発したこともあって各地の戦地においても読まれている。そして陸軍・海軍・空軍の兵士から、苦悶と苦難と疑問の中にあってシルバーバーチの言葉から何ものにも替え難い慰めと勇気を得ることが出来たとの喜びの手紙が数多く寄せられた。その内の一つを紹介しておこう。これは陸軍の一下士官からの手紙で、こう述べている。
〝私はたった今 More Teachings of Silver Birch (邦訳シリース第五巻)を読み終えたところです。終わりの部分はオランダを転戦中に読みました。その壮麗な説得力と様々な疑問に対する明快そのものの応答は深い感銘を受けました。
是非シルバーバーチ霊に、こうした戦地においても霊言が愛読され掛け替えのない影響を及ぼしていることを知って頂きたいと思って筆をとりました。どうかシルバーバーチの努力が今後とも何等かの形で認識されていくことを心から祈っております。シルバーバーチ霊に神の祝福のあらんことを!
私はこうした霊的真理を折りある毎に僚友に伝え、それがこの戦地において様々な波紋を呼び起こしております。私がスピリチュアリズムに関心を抱いて十五年にもなりますが、その測り知れない深さと高さを私の魂が身に沁みて味わったのは、やっとこの一、二年のことです云々・・・〟
同じくシルバーバーチを知り尊敬してきた者の一人として、この度新たに本書を編纂することになったのも、私にとっては愛の行為の結実に他ならない。その編纂の作業が終わったのは(第二次大戦の)戦乱が終わって間もなくのことだった。(それから二ヵ月後に日本が降伏して全面的に終結する-訳者)
願わくば戦乱によって傷付いた暗い西洋世界に漸く訪れた平和がシルバーバーチのいう〝新しい世界〟の夜明けであってくれればと祈らずにはいられない。シルバーバーチが〝必ず来ます〟と述べ、その為に我々に求めてきた視野も常にその方角である。そこにおいて初めて真の同胞精神が招来される。シルバーバーチの霊訓の基盤も又そこにあるのである。
1945年6月 シルビア・バーバネル(シルバーバーチの霊訓第七巻編者)
私はこれまでシルバーバーチの交霊会に何百回も出席しているが、その霊言を聞き飽きたという感じを抱いたことは一度もない。
三千年前に地上で北米インディアンとしての生涯を送ったというシルバーバーチは、現在では大変な高級霊であるらしいことは容易に察しがつくが、その本来の霊的位階をけっして明かそうとしない。その訳は、こうして霊界から戻ってくるのは地上人類の為の使命を遂行する為であって、自分を崇めてもらう為ではないからだという。
その使命とは、聞く耳をもつ者に永遠不変の霊的真理を説くこと、これに尽きる。その説くところは常に単純・素朴であり、そして単刀直入的である。宗派や信条やドグマには一切囚われない。その主張するところは極めて単純・明快である。すなわち、我々の一人一人に神の火花-完全なる摂理として顕現している宇宙の大霊の一部が宿っているのであるから、お互いがお互いの為に尽くし合うのが神に尽くす所以となるというのである。
そうした内容もさることながら、シルバーバーチが語る時のその用語の巧みさ、美しさ、流暢さは、初めて出席した者が等しく感動させられるところである。美辞麗句を並べるというのではない。用語は極めて素朴である。それがいなかる質問に対しても間髪を入れずに流れ出てくる。それを耳にしていて私は時折、シルバーバーチが初めて霊媒(編者の主人モーリス・バーバネル)の口を使って語り始めた時のことを思い出すことがある。
もう二十年以上も前のことになるが、私達夫婦は、あるスピリチュアリストの招きで、ロンドンでも貧民層が集まっている地域のある家で開かれている交霊会に出席した。第一回目の時は女性霊媒を通じて色んな国籍の霊が喋るのを聞いて主人はアホらしいといった気持しか抱かなかったが、第二回目の時にいきなり入神させられ、何やら訳の分からないことを喋った。その時はシルバーバーチとは名乗らなかったが、今のシルバーバーチと同じ霊である。その頃はぎこちない英語、どうにか簡単な単語を繋ぐことしか出来なかった頃のことを思うと、今は何という違いであろう。が、ここまでに至るのには大変な時間と経験を要したのである。
そのシルバーバーチの道具として選ばれた十八歳の青年霊媒は、その後に用意されている仕事の遂行に備えて、様々な試練と訓練を耐え忍ばねばならなかった。その目指す目標はただ一つ-シルバーバーチの語る教説を少しでも遠く広く地上に行き渡らせる為の機会をもつことにあった。
よく知る者から見ればシルバーバーチはよき助言者、よき指導者であると同時に、よき友人でもある。けっして人類から超然とした態度を取らず、世俗的な問題や人間的煩悶に対しても深い同情心を見せてくれる。
当初に比べてシルバーバーチも性格が発達し深みを増した-というよりは、本来の霊的個性がより多く霊媒を通じて発揮出来るようになったといった方が適切であろう。最初の頃はふざけっぽく、時には乱暴なところさえ見せながらも、常に愛すべき支配霊という感じだった。それが次第に今日の如き叡智に長けた、円熟した指導者へと徐々に〝進化〟してきた。声の質も変化して、今では霊媒の声とは全く異質なものとなった。
今でも、続けて出席していないと同一霊であるかどうかを疑うかも知れない程の異質の側面を見せることがある。が、いつも変わらぬ側面がある。特にユーモアのセンスと当意即妙の応答の才能は少しも変わらない。
シルバーバーチの霊言はサイキック・ニーズ紙にずっと連載されてきており、書物にもなっている。その間には第二次世界大戦が勃発したこともあって各地の戦地においても読まれている。そして陸軍・海軍・空軍の兵士から、苦悶と苦難と疑問の中にあってシルバーバーチの言葉から何ものにも替え難い慰めと勇気を得ることが出来たとの喜びの手紙が数多く寄せられた。その内の一つを紹介しておこう。これは陸軍の一下士官からの手紙で、こう述べている。
〝私はたった今 More Teachings of Silver Birch (邦訳シリース第五巻)を読み終えたところです。終わりの部分はオランダを転戦中に読みました。その壮麗な説得力と様々な疑問に対する明快そのものの応答は深い感銘を受けました。
是非シルバーバーチ霊に、こうした戦地においても霊言が愛読され掛け替えのない影響を及ぼしていることを知って頂きたいと思って筆をとりました。どうかシルバーバーチの努力が今後とも何等かの形で認識されていくことを心から祈っております。シルバーバーチ霊に神の祝福のあらんことを!
私はこうした霊的真理を折りある毎に僚友に伝え、それがこの戦地において様々な波紋を呼び起こしております。私がスピリチュアリズムに関心を抱いて十五年にもなりますが、その測り知れない深さと高さを私の魂が身に沁みて味わったのは、やっとこの一、二年のことです云々・・・〟
同じくシルバーバーチを知り尊敬してきた者の一人として、この度新たに本書を編纂することになったのも、私にとっては愛の行為の結実に他ならない。その編纂の作業が終わったのは(第二次大戦の)戦乱が終わって間もなくのことだった。(それから二ヵ月後に日本が降伏して全面的に終結する-訳者)
願わくば戦乱によって傷付いた暗い西洋世界に漸く訪れた平和がシルバーバーチのいう〝新しい世界〟の夜明けであってくれればと祈らずにはいられない。シルバーバーチが〝必ず来ます〟と述べ、その為に我々に求めてきた視野も常にその方角である。そこにおいて初めて真の同胞精神が招来される。シルバーバーチの霊訓の基盤も又そこにあるのである。
1945年6月 シルビア・バーバネル(シルバーバーチの霊訓第七巻編者)