『これが心霊(スピリチュアリズム)の世界だ』M・バーバネル著 近藤千雄訳より
聖書によると、初期の教会においては霊視能力など何種類かの超能力の披露は日常的行事としてごく普通に行われていたらしい。コリント前書第十二章を見ると、パウロが信者達に〝知らないままでは済まされない〟霊的能力を幾つか挙げているところがあるが、それはそのまま現代の心霊現象を上手く纏めている観がある。その中でパウロは霊視現象を〝霊の識別〟と呼んでいる。
私の推定では、今日のイギリスでも毎週日曜日の夜には無慮二十五万人もの人が全国で四十程もあるスピリチュアリスト教会のどこかで、その〝霊の識別〟の催しを見ている筈である。
この種の公開交霊会(デモンストレーション)では照明を小さくすることはない。霊視家が霊視したスピリットに縁のある人を会場の中から指名して、そのスピリットからのメッセージを伝える。
このデモンストレーションで最も大切な点は、そのメッセージが確実な証拠性を持つということである。つまりそれを受けた者が直ぐにピンと来る事柄であり、同時にその人しか知らない内容のものでなければならない。それがメッセージを送って来たスピリットの身元(アイデンティティ)を立証することになる。
ある人に言わせると、霊視家はメッセージを受ける人からのテレパシーを受けているのだと言うが、この説には無理がある。大体テレパシーというのは気まぐれな性質をもち、そうやたらに上手くいくものではない。まして何十人何百人もいる会場で特定の数人からの思念を以心伝心(テレパシー)で受け取るなど、まず出来る芸当ではない。メッセージを受けたがっているのはその数人だけではない。列席者の殆どがそう念じているのであるから、そうした全体の念が混じり合って大きな障壁を拵えている筈である。
このことに関して私は興味深い例を見たことがある。J・ベンジャミンという霊視家が大デモンストレーションをやった時のことである。既にスピリットからのメッセージを受けた一人の女性を指差して、
「あなたはさっきの私のメッセージが読心術でやっているのではないかとお疑いのようですね。よろしい。テレパシーと霊視の違いをお見せしましょう。今あなたは心の中でこんなことを思っていらっしゃいませんか」と言って、その女性の抱えている悩みを述べた。女性はその通りだと認めた。
「次に述べることはあなたが考えておられることではありません。これはあなたの亡くなられたお父さんからのメッセージです。お父さんはそれが真実かどうか、あなたご自身、お母さんとご一緒に調べて欲しいと言っておられます」と言ってから、そのお父さんからのメッセージを伝えた。そしてその女性は母親と共に調べてその通りであることを確認した。
実を言うと、この場合、始めに女性の悩みを読み取った時も、必ずしもテレパシーとは言えない。これも霊視家の背後霊から受けていた可能性が十分考えられる。
疑う人間は色んなことを言う。デモンストレーションは全部ペテンで、寄席芸人の読心術と同じだ。聴衆の中にサクラがいて暗号を使って示し合わせているのだ。目隠しも実際は透けて見えるようになっているか、どこかの小さな穴から一部又は全部が見える仕掛けになっているのだ、と。
仮にそうだとしても、では果してそんな誤魔化しが毎週毎週日曜日の夜、時には平日の夜に、全く違う聴衆を相手にして、既にこの世にいない人からの納得のいくメッセージを何年もの間一度もしくじることなく続けられるだろうか。
定期的に行われるスピリチュアリスト教会で同じサクラを相手に同じようなメッセージを送り続けようとしても、決して長続きするものではない。遅かれ早かれ-私は早かれと思うのだが-バレてしまう。
それに、そういうサクラに支払う〝口止め料〟の方が教会から戴く出演料より遙かに多くかかるのではなかろうか。一回の出演料は大抵の場合一ギニー(注9)を超えることはない。私は一流の霊媒を大勢知っているが、打ち明けた話をすれば、彼等の収入はせいぜい慎ましい生活を維持出来る程度に過ぎない。
霊視家の目に映る霊姿は我々人間と同じように実質があり現実的で、自然に見える。決して俗にいう生霊(いきりょう)とか幽霊のように薄ボンヤリとしたものではない。それは小説の世界での話である。かつて私がベンジャミン氏に聞いたところでは、氏は何千何万ものスピリットを見、かつその容姿を描写して来たが、俗にいう幽霊のようなものには一度もお目にかかったことがないとのことであった。
私が今もって感心しているイギリス最大の霊視家の一人にT・ティレルがいる。その能力のあまりの見事さに私は最初その真実性を疑ったものである。あまりに正確過ぎるのである。が実は彼にはそれなりの用意をしていた。つまり彼は支配霊が書いたメモのようなものを読むという方法をとっていたのである。従ってスピリットの姓名は勿論地上時代の住所-それも家や通りの番地から地方や町の名まで-更には死亡時の年齢、死亡年月日まで言い当てることが出来たわけである。
ティレル自身が私に語ってくれたところによると、霊視能力が出始めた時、彼は出来るだけ正確を期することを目指した。そこで支配霊と一つの約束をした。つまりスピリットの身元に関する情報を支配霊がきちんとカードに書いて見せてくれるということで、それを彼が読み取ることにした。
そうやってスピリットの身元を疑いの余地がないまで確認してから、そのスピリットからのメッセージを待つ。こういう方法でやれば、聞き慣れない名前も苦にならない。
それでも時たま迷うことがあったという。例えば、これはバーミンガムでのデモンストレーションの時で私も出席していたが、ティレルがメモを読んでいる途中で詰まってしまった。そしてこんな質問をした。
「この市には Rotten Park Road (注10)というのがあるのでしょうか」
すると「あります」という列席者からの返事であった。
さて霊媒が〝霊の識別〟をする際、その姿なり声なりはどんな風に見えたり聞こえたりするのだろうか。
ロバーツ女史は長年に亘ってこの分野での最も秀れた霊能者の一人と見られているが、女史の話によると、その見え方は主観的と客観的の二種類があるという。主観的な場合は一種の〝霊眼〟を使って内面的なプロセスで見ている感じで、この時は目を閉じていても見えるという。客観的な場合は地上の人間を見るのと同じように実感があるという。
女史の場合は霊聴能力が一緒に働く。スピリットの話す声が自分に話しかけてくるように聞こえるという。スピリットの位置が近い時は唇が動いているのが見える程で、その声は人間の声より柔らかく響くという。
デモンストレーションの時、彼女は完全に別の次元に入ってしまう。遠くに自分の出番を待つスピリットが集まっているのが見える。が、気の毒ではあるが、時間の関係でその全部のお相手をしてあげられないという。スピリット達は一箇所に集まって待っており、必ずしもメッセージを待つ地上の縁故者の側にいるとは限らないそうである。
通信を希望するスピリットは女史の支配霊の許可と援助なしには出られないことを承知している。そして指名を受けると縁故者の直ぐ近くに位置を変える。女史の方ではその位置を見て、どの人が縁故者かを見てとる。すると今度はスピリットが女史にその容姿がよく分かるように女史の直ぐ近くにやって来る。その時点で女史は霊聴能力を働かせて、そのスピリットの言うことを聞く。
一方、レッドクラウドを中心とする背後霊達は女史の周りを囲むように位置する。その役目はスピリットが上手く意思を伝えられるように指導することや、興奮し過ぎたり緊張し過ぎたりした場合にその感情を和らげてやったり、地上時代の容貌や衣服を再現してみせる時に手助けをする。女史が時折スピリットの病気や障害を指摘することがあるが、それは地上時代のものであって、死後も今尚その状態でいるということではない。本人に間違いないことを確認させる為に、そういったことを含めて地上時代の特徴を一時的に再現して見せなければならないことがあるわけである。
本人に間違いないことが分かると、途端にその地上時代の特徴が消え失せ、現在の姿や霊的な発達程度に戻る。女史の話によると霊界で向上進化したスピリット程地上時代の自分を再現するのを嫌がるという。そんな霊は自分の身元が分かってもらえたら、いち早く現在の本来の自分に戻ろうとするので、ロバーツ女史すらこれが同一人物かしらと、一瞬迷うことがあるという。
人は見かけによらぬものという。それは年齢についても同じで、人の年齢を当てるのは中々難しいものだが、ロバーツ女史もスピリットの死亡時の年齢をその容貌から推定しなければならない難しさがある。その確率は我々が他人の年齢を言い当てる確率とほぼ同じ程度といってよいであろう。
死亡時の年齢だけでなく、その後何年経っているかを判断しなくてはならないが、女史はそれをそのスピリットのオーラによって判断する。進化している霊程オーラの輝きが強烈である。あまり強烈過ぎて目が眩み、容姿がぼけて見えて性別すら確認出来ないことがあるという。それは幼くして死亡した霊が長年霊界にいる場合によくあるらしい。
先程レッドクラウドを中心とする背後霊団が取り囲んでいると言ったが、その他にスピリットの指導霊もそれを遠巻きにして見守っている。そうすることによって霊媒の周りに防護網を張り巡らすわけである。というのは心無い霊が潜り込んで来て、通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを(本人は知らないかもしれないが)台無しにしてしまうことがあるのである。ロバーツ女史はこう語る。
「通信霊達はその囲いの中に入れられ、通信を送っている間は完全に外部から隔離されます。しかし、それだけ周到に注意を払っても、その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ません」
女史が壇上に上がって所定の位置まで歩を進め、いよいよデモンストレーションを始めるまでの僅かな間にも、そうしたスピリットが自分に注意を引こうとして、やかましく喚いているそうである。が経験豊富な女史はレッドクラウドが指名したスピリット以外には決して目をくれない。ただ、中にあまりに気の毒そうなスピリットを見かけた時は、心の中で、いつかチャンスが与えられますようにと祈ってあげるそうである。
こうした霊の叫びは確かに哀れを誘うものだが、時にはユーモラスなものもある。ある時その騒然たる叫び声の中、ひときわ大きな声で、ロンドン訛りでこう言った霊がいた。
「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくんなよ。他の連中はみんなやったじゃねえか」
どうやら死んでもロンドンの下町っ子はオックスフォード大学の先生のようにはなれなかったようだ。当たり前の話かも知れないが。
レッドクラウドは、通信する霊は自分の身元の証明はあくまで自分でやるべきであるという考えである。従ってレッドクラウドとその霊団は、手助けはするが、余程の場合を除いて、代わりに身元を証明してやるようなことはしない。たとえ肉親縁者が何人か揃って出て来ても、一人一人が自分の身元を証明しなくてはいけない。
時にはスピリットの言っていることにロバーツ女史が疑問を感じることがある。そんな時はレッドクラウドに確認を求める。するとレッドクラウドはそのスピリットのオーラを見て判断する。経験豊富な霊にはオーラを見ただけで直ぐにその本性が見抜けるのである。オーラだけは絶対に誤魔化しがきかない。
死んだからといって急に物の考え方や本性が変わるわけではない。ロバーツ女史がある時こんな話をしてくれた。
「大勢の霊に会っていると、時には、地上の人間と通信することは神の御心に反することだと大真面目に考えている霊に出くわすことがあります。色んな宗派のスピリットがやって来て〝あなたのやってることは間違いだ〟と言ってくれるんです。それだけでは満足出来ず、通信を求めるスピリットに止めさせようとする者までいるのです」
同時に女史は、上手く連絡が出来なくて落胆する霊を見て胸の張り裂けるような思いをすることもある、とも言った。しかし、上手く通信出来て大喜びする様子を見ていると、やはりスピリット達にとってそれだけのやり甲斐があるのだなと思うそうである。
(注9)-ギニーは1971年の通貨改革まで使用されていたイギリスの貨幣単位で21シリング。現在のほぼ1ポンドに相当。現在の日本円に換算すると約160円。但し本書が書かれた1959年頃のイギリスの貨幣価値は現在の7~8倍。
(注10)-Rotten には腐った、とか壊れそうな、といった意味があるので、直訳すれば〝腐った公園通り〟又は〝壊れそうな公園通り〟ということになる。
聖書によると、初期の教会においては霊視能力など何種類かの超能力の披露は日常的行事としてごく普通に行われていたらしい。コリント前書第十二章を見ると、パウロが信者達に〝知らないままでは済まされない〟霊的能力を幾つか挙げているところがあるが、それはそのまま現代の心霊現象を上手く纏めている観がある。その中でパウロは霊視現象を〝霊の識別〟と呼んでいる。
私の推定では、今日のイギリスでも毎週日曜日の夜には無慮二十五万人もの人が全国で四十程もあるスピリチュアリスト教会のどこかで、その〝霊の識別〟の催しを見ている筈である。
この種の公開交霊会(デモンストレーション)では照明を小さくすることはない。霊視家が霊視したスピリットに縁のある人を会場の中から指名して、そのスピリットからのメッセージを伝える。
このデモンストレーションで最も大切な点は、そのメッセージが確実な証拠性を持つということである。つまりそれを受けた者が直ぐにピンと来る事柄であり、同時にその人しか知らない内容のものでなければならない。それがメッセージを送って来たスピリットの身元(アイデンティティ)を立証することになる。
ある人に言わせると、霊視家はメッセージを受ける人からのテレパシーを受けているのだと言うが、この説には無理がある。大体テレパシーというのは気まぐれな性質をもち、そうやたらに上手くいくものではない。まして何十人何百人もいる会場で特定の数人からの思念を以心伝心(テレパシー)で受け取るなど、まず出来る芸当ではない。メッセージを受けたがっているのはその数人だけではない。列席者の殆どがそう念じているのであるから、そうした全体の念が混じり合って大きな障壁を拵えている筈である。
このことに関して私は興味深い例を見たことがある。J・ベンジャミンという霊視家が大デモンストレーションをやった時のことである。既にスピリットからのメッセージを受けた一人の女性を指差して、
「あなたはさっきの私のメッセージが読心術でやっているのではないかとお疑いのようですね。よろしい。テレパシーと霊視の違いをお見せしましょう。今あなたは心の中でこんなことを思っていらっしゃいませんか」と言って、その女性の抱えている悩みを述べた。女性はその通りだと認めた。
「次に述べることはあなたが考えておられることではありません。これはあなたの亡くなられたお父さんからのメッセージです。お父さんはそれが真実かどうか、あなたご自身、お母さんとご一緒に調べて欲しいと言っておられます」と言ってから、そのお父さんからのメッセージを伝えた。そしてその女性は母親と共に調べてその通りであることを確認した。
実を言うと、この場合、始めに女性の悩みを読み取った時も、必ずしもテレパシーとは言えない。これも霊視家の背後霊から受けていた可能性が十分考えられる。
疑う人間は色んなことを言う。デモンストレーションは全部ペテンで、寄席芸人の読心術と同じだ。聴衆の中にサクラがいて暗号を使って示し合わせているのだ。目隠しも実際は透けて見えるようになっているか、どこかの小さな穴から一部又は全部が見える仕掛けになっているのだ、と。
仮にそうだとしても、では果してそんな誤魔化しが毎週毎週日曜日の夜、時には平日の夜に、全く違う聴衆を相手にして、既にこの世にいない人からの納得のいくメッセージを何年もの間一度もしくじることなく続けられるだろうか。
定期的に行われるスピリチュアリスト教会で同じサクラを相手に同じようなメッセージを送り続けようとしても、決して長続きするものではない。遅かれ早かれ-私は早かれと思うのだが-バレてしまう。
それに、そういうサクラに支払う〝口止め料〟の方が教会から戴く出演料より遙かに多くかかるのではなかろうか。一回の出演料は大抵の場合一ギニー(注9)を超えることはない。私は一流の霊媒を大勢知っているが、打ち明けた話をすれば、彼等の収入はせいぜい慎ましい生活を維持出来る程度に過ぎない。
霊視家の目に映る霊姿は我々人間と同じように実質があり現実的で、自然に見える。決して俗にいう生霊(いきりょう)とか幽霊のように薄ボンヤリとしたものではない。それは小説の世界での話である。かつて私がベンジャミン氏に聞いたところでは、氏は何千何万ものスピリットを見、かつその容姿を描写して来たが、俗にいう幽霊のようなものには一度もお目にかかったことがないとのことであった。
私が今もって感心しているイギリス最大の霊視家の一人にT・ティレルがいる。その能力のあまりの見事さに私は最初その真実性を疑ったものである。あまりに正確過ぎるのである。が実は彼にはそれなりの用意をしていた。つまり彼は支配霊が書いたメモのようなものを読むという方法をとっていたのである。従ってスピリットの姓名は勿論地上時代の住所-それも家や通りの番地から地方や町の名まで-更には死亡時の年齢、死亡年月日まで言い当てることが出来たわけである。
ティレル自身が私に語ってくれたところによると、霊視能力が出始めた時、彼は出来るだけ正確を期することを目指した。そこで支配霊と一つの約束をした。つまりスピリットの身元に関する情報を支配霊がきちんとカードに書いて見せてくれるということで、それを彼が読み取ることにした。
そうやってスピリットの身元を疑いの余地がないまで確認してから、そのスピリットからのメッセージを待つ。こういう方法でやれば、聞き慣れない名前も苦にならない。
それでも時たま迷うことがあったという。例えば、これはバーミンガムでのデモンストレーションの時で私も出席していたが、ティレルがメモを読んでいる途中で詰まってしまった。そしてこんな質問をした。
「この市には Rotten Park Road (注10)というのがあるのでしょうか」
すると「あります」という列席者からの返事であった。
さて霊媒が〝霊の識別〟をする際、その姿なり声なりはどんな風に見えたり聞こえたりするのだろうか。
ロバーツ女史は長年に亘ってこの分野での最も秀れた霊能者の一人と見られているが、女史の話によると、その見え方は主観的と客観的の二種類があるという。主観的な場合は一種の〝霊眼〟を使って内面的なプロセスで見ている感じで、この時は目を閉じていても見えるという。客観的な場合は地上の人間を見るのと同じように実感があるという。
女史の場合は霊聴能力が一緒に働く。スピリットの話す声が自分に話しかけてくるように聞こえるという。スピリットの位置が近い時は唇が動いているのが見える程で、その声は人間の声より柔らかく響くという。
デモンストレーションの時、彼女は完全に別の次元に入ってしまう。遠くに自分の出番を待つスピリットが集まっているのが見える。が、気の毒ではあるが、時間の関係でその全部のお相手をしてあげられないという。スピリット達は一箇所に集まって待っており、必ずしもメッセージを待つ地上の縁故者の側にいるとは限らないそうである。
通信を希望するスピリットは女史の支配霊の許可と援助なしには出られないことを承知している。そして指名を受けると縁故者の直ぐ近くに位置を変える。女史の方ではその位置を見て、どの人が縁故者かを見てとる。すると今度はスピリットが女史にその容姿がよく分かるように女史の直ぐ近くにやって来る。その時点で女史は霊聴能力を働かせて、そのスピリットの言うことを聞く。
一方、レッドクラウドを中心とする背後霊達は女史の周りを囲むように位置する。その役目はスピリットが上手く意思を伝えられるように指導することや、興奮し過ぎたり緊張し過ぎたりした場合にその感情を和らげてやったり、地上時代の容貌や衣服を再現してみせる時に手助けをする。女史が時折スピリットの病気や障害を指摘することがあるが、それは地上時代のものであって、死後も今尚その状態でいるということではない。本人に間違いないことを確認させる為に、そういったことを含めて地上時代の特徴を一時的に再現して見せなければならないことがあるわけである。
本人に間違いないことが分かると、途端にその地上時代の特徴が消え失せ、現在の姿や霊的な発達程度に戻る。女史の話によると霊界で向上進化したスピリット程地上時代の自分を再現するのを嫌がるという。そんな霊は自分の身元が分かってもらえたら、いち早く現在の本来の自分に戻ろうとするので、ロバーツ女史すらこれが同一人物かしらと、一瞬迷うことがあるという。
人は見かけによらぬものという。それは年齢についても同じで、人の年齢を当てるのは中々難しいものだが、ロバーツ女史もスピリットの死亡時の年齢をその容貌から推定しなければならない難しさがある。その確率は我々が他人の年齢を言い当てる確率とほぼ同じ程度といってよいであろう。
死亡時の年齢だけでなく、その後何年経っているかを判断しなくてはならないが、女史はそれをそのスピリットのオーラによって判断する。進化している霊程オーラの輝きが強烈である。あまり強烈過ぎて目が眩み、容姿がぼけて見えて性別すら確認出来ないことがあるという。それは幼くして死亡した霊が長年霊界にいる場合によくあるらしい。
先程レッドクラウドを中心とする背後霊団が取り囲んでいると言ったが、その他にスピリットの指導霊もそれを遠巻きにして見守っている。そうすることによって霊媒の周りに防護網を張り巡らすわけである。というのは心無い霊が潜り込んで来て、通信を正確に伝えるのに必要なデリケートなバイブレーションを(本人は知らないかもしれないが)台無しにしてしまうことがあるのである。ロバーツ女史はこう語る。
「通信霊達はその囲いの中に入れられ、通信を送っている間は完全に外部から隔離されます。しかし、それだけ周到に注意を払っても、その囲いの外から自分の存在を認めてもらおうとして大声で叫んでいる霊を鎮めることは出来ません」
女史が壇上に上がって所定の位置まで歩を進め、いよいよデモンストレーションを始めるまでの僅かな間にも、そうしたスピリットが自分に注意を引こうとして、やかましく喚いているそうである。が経験豊富な女史はレッドクラウドが指名したスピリット以外には決して目をくれない。ただ、中にあまりに気の毒そうなスピリットを見かけた時は、心の中で、いつかチャンスが与えられますようにと祈ってあげるそうである。
こうした霊の叫びは確かに哀れを誘うものだが、時にはユーモラスなものもある。ある時その騒然たる叫び声の中、ひときわ大きな声で、ロンドン訛りでこう言った霊がいた。
「なあ、ねえさん、オレにもやらせてくんなよ。他の連中はみんなやったじゃねえか」
どうやら死んでもロンドンの下町っ子はオックスフォード大学の先生のようにはなれなかったようだ。当たり前の話かも知れないが。
レッドクラウドは、通信する霊は自分の身元の証明はあくまで自分でやるべきであるという考えである。従ってレッドクラウドとその霊団は、手助けはするが、余程の場合を除いて、代わりに身元を証明してやるようなことはしない。たとえ肉親縁者が何人か揃って出て来ても、一人一人が自分の身元を証明しなくてはいけない。
時にはスピリットの言っていることにロバーツ女史が疑問を感じることがある。そんな時はレッドクラウドに確認を求める。するとレッドクラウドはそのスピリットのオーラを見て判断する。経験豊富な霊にはオーラを見ただけで直ぐにその本性が見抜けるのである。オーラだけは絶対に誤魔化しがきかない。
死んだからといって急に物の考え方や本性が変わるわけではない。ロバーツ女史がある時こんな話をしてくれた。
「大勢の霊に会っていると、時には、地上の人間と通信することは神の御心に反することだと大真面目に考えている霊に出くわすことがあります。色んな宗派のスピリットがやって来て〝あなたのやってることは間違いだ〟と言ってくれるんです。それだけでは満足出来ず、通信を求めるスピリットに止めさせようとする者までいるのです」
同時に女史は、上手く連絡が出来なくて落胆する霊を見て胸の張り裂けるような思いをすることもある、とも言った。しかし、上手く通信出来て大喜びする様子を見ていると、やはりスピリット達にとってそれだけのやり甲斐があるのだなと思うそうである。
(注9)-ギニーは1971年の通貨改革まで使用されていたイギリスの貨幣単位で21シリング。現在のほぼ1ポンドに相当。現在の日本円に換算すると約160円。但し本書が書かれた1959年頃のイギリスの貨幣価値は現在の7~8倍。
(注10)-Rotten には腐った、とか壊れそうな、といった意味があるので、直訳すれば〝腐った公園通り〟又は〝壊れそうな公園通り〟ということになる。