今ここでスピリチュアリズムの勃興と発達の歴史を細かく紹介する余裕はない。全体としての動向は、そのスタートの時点から、これを大変なこととして受け止める派と、真っ向から茶番と決め付ける派とがあった。ヘア教授やグリーリ氏(注1)などは、真っ先に関心を寄せ、その真実性に得心した教養ある少数派であった。それが原因で気の毒な人生を辿った著名人も各界にいた(注2)。そうしたケースは、否定する人達の無理解がいかに非人道的なものであったかを物語るものであって、スピリチュアリズムの非を物語るものではない。

(注1)-Horace Greely (1811~1872)
 ニューヨーク・トリビューン紙の編集者で、初期の米国におけるスピリチュアリズムの重要な存在。1850年6月にフォックス姉妹がニューヨーク市に招かれて実験会を催した時にも出席していて、現象の素晴らしさと姉妹の信頼性を高く評価する記事を載せている。

(注2)-研究成果を公表したことで学界から白い眼で見られたり、牧師職を追われたり、最高裁判事の職を辞任せざるを得なかったというケースが幾つかあるが、こうした場合、確かに〝不遇〟だったかも知れないが、本人はそれを〝不幸〟だとは決して思っていない。内的確信があるからで、寧ろ深い、魂の奥底から湧き出る喜びを味わっているものである。

 否定派は当時の唯物思想に基づくもので、この科学万能の時代にキリストの時代と同じような奇跡的現象が起きてたまるかという考えが、その根本にあった。たとえ紛(まご)う方なき証拠を見せ付けられても、一瞬ドキッとし、たじろぎつつも、〝そんなバカな!〟と闇雲に叫んで否定するだけだった。現代の科学者もやはり根本的には唯物的であり、予想もしなかった新しい事実を目の前にすると、公明正大な学者的態度をどこかへ捨ててしまう。
 例えばマイケル・ファラデーなどは、心霊現象のような新しい分野を検討する際には、予め〝有り得ること〟と〝有り得ないこと〟とを心に用意しておくべきだなどと、とんでもないことを述べている。トーマス・ハックスレーは、霊界通信がたとえ本当にあるとしても、大聖堂のある町の司祭達のゴシップ程の興味もない、と言った。ダーウィンは、そんなものを信じるようになったら、人間ももうお終いだとまで言った。H・スペンサーは、まともな検討もせずに、ただ頭から一蹴しただけだった。
 が、学者の全てがそうだったわけではない。先に紹介したヘア教授に続いて、物理・化学者のクルックス教授、博物学のウェーレス博士、電気技師のC・F・バーレー、天文学者のフラマリオンなど、その世界的名声を危険に晒しながら、真実は真実として主張した勇気ある学者も少なくなかった。彼等は決してお人好しの軽信家ではなかった。それどころか、詐術行為もあることを知っていた。皮肉なことに、それを暴いたのも大半は彼等だったのである。
 シェークスピアだのシーザーだのと名乗って出て来るスピリットを笑い飛ばして、その化けの皮を剥がしたのも彼等だった。人類滅亡の予言をしたり、株投機の時機の予測に霊媒を使用する低俗さを批難したのも彼等だった。
 このように、彼等は交霊会を悪用して詐欺行為をする者がこの世にもあの世にもいることを知っていながら、尚且つその奥には、動かし難い厳然たる真実があることを確信するだけの広いビジョンと健全な平衡感覚を具えていたのである。取り巻きに不純分子がいるからというだけで重大な真実から逃げていく、腑抜けの学者ではなかったのである。