その問題に入るに先立って、ここで、とかく見落とされてきたことを一つだけ指摘しておきたい。それは、これまで戦いの歴史を繰り返してきた科学と宗教が、今や互いに欠かせない同盟関係になってきたことである。
かつての教会はただ〝信仰〟を説くのみで、その基盤となるべき知的根拠が極めて曖昧だった。ヒュームやボルテールやギボンなどが合理的思想によって攻撃を開始して以来、教会側に勝ち目はなかった。続いてダーウィンの進化論が出て、キリスト教の根幹ともいうべき〝堕罪説〟に疑問符がつけられた。そこへ、今度は内部から所謂〝高等批評(注)〟が噴出するに及んで、その基盤を揺さぶられるようになった。
かくして教会は後退の一途を辿り、権威を失い、大衆からの支持も失って行ったが、それは同時に、霊的なもの全てに対する不信を助長することにもなっていった。そこへスピリチュアリズムが勃興した。
これには確固とした知識と生きた証拠がある。科学的根拠をそなえているということである。そこには、従来のような宗教との対立はない。堂々と科学の分野に踏み込んで握手をし、その場で個性の死後存続を証明してみせることが出来る。これを心霊科学といい、その目的は既に完全に果たされ、唯物思想の息の根を止めるものをそなえた。
ところが皮肉にも、科学に代わって今度は教会が敵に回った。ローマ・カトリック教会や英国国教会はもとより、非国教会派や無教会派、それに〝科学的不可知論派〟だの〝戦闘的無神論派〟といったわけの分からない宗派が、それぞれの立場からスピリチュアリズムを攻撃している。
その攻撃の論拠は、当然のことながら各宗派まちまちである。が、いずれにしても、科学的根拠を基盤とする宗教的思想であるスピリチュアリズムの敵ではない。
そのことは次章で明らかとなるであろう。
(注)-聖書の資料や成立事情を確定する為の歴史的・文学的研究のこと。これに対して、本文の字句の解釈を専門的に研究するのを〝下部批評〟ないし〝本文批評〟という。
かつての教会はただ〝信仰〟を説くのみで、その基盤となるべき知的根拠が極めて曖昧だった。ヒュームやボルテールやギボンなどが合理的思想によって攻撃を開始して以来、教会側に勝ち目はなかった。続いてダーウィンの進化論が出て、キリスト教の根幹ともいうべき〝堕罪説〟に疑問符がつけられた。そこへ、今度は内部から所謂〝高等批評(注)〟が噴出するに及んで、その基盤を揺さぶられるようになった。
かくして教会は後退の一途を辿り、権威を失い、大衆からの支持も失って行ったが、それは同時に、霊的なもの全てに対する不信を助長することにもなっていった。そこへスピリチュアリズムが勃興した。
これには確固とした知識と生きた証拠がある。科学的根拠をそなえているということである。そこには、従来のような宗教との対立はない。堂々と科学の分野に踏み込んで握手をし、その場で個性の死後存続を証明してみせることが出来る。これを心霊科学といい、その目的は既に完全に果たされ、唯物思想の息の根を止めるものをそなえた。
ところが皮肉にも、科学に代わって今度は教会が敵に回った。ローマ・カトリック教会や英国国教会はもとより、非国教会派や無教会派、それに〝科学的不可知論派〟だの〝戦闘的無神論派〟といったわけの分からない宗派が、それぞれの立場からスピリチュアリズムを攻撃している。
その攻撃の論拠は、当然のことながら各宗派まちまちである。が、いずれにしても、科学的根拠を基盤とする宗教的思想であるスピリチュアリズムの敵ではない。
そのことは次章で明らかとなるであろう。
(注)-聖書の資料や成立事情を確定する為の歴史的・文学的研究のこと。これに対して、本文の字句の解釈を専門的に研究するのを〝下部批評〟ないし〝本文批評〟という。