しかし、そうした幸せなスピリットが従事している仕事の中に、迷える不幸なスピリットを更生させることが含まれているという話がよく出て来る。その為に彼等は〝降りて行く〟という表現を用いて、低界層のスピリットに自分達と同じレベルの波動の生活に耐え得るだけの霊性を身に付けさせるように援助してやるのだという。それは丁度、学業の遅れの目立つ生徒の為に、上級生が面倒を見てやるのと同じなのかも知れない。
 そのことをイエスは、たった一人の罪深き者を悔い改めさせることの方が、99人の善人のことを喜ぶよりも、天界における喜びが大きいと述べているが、これは地上の罪人のことではなく、死後の低界層にいる罪深きスピリットを救出して一段と高い界層へ向上させてあげることを意味しているものと思われる。
 ところで、この〝罪〟とは何ぞやという問題であるが、科学の発達した現代において、近代的道義と公正の感覚をもってこれを考察すれば、中世のあの得体の知れない不条理極まる化け物のようなものでないことは明白である。現代人は、あんな、えこひいきの激しい神による、みっともないお情けなどは求めない。もっともっと厳しい目で自己を見つめるようになっている。