現段階では、どういう罪がどういう罰を科せられる、といったことは軽々に挙げることは出来ないが、報いを受ける界層が存在することだけは明らかな事実のようで、霊界と地上界とを隔てている中間地帯-パウロが体外遊離現象で覗いて来たと推察される〝第三の天〟(コリント2・12章)は、どうやら神秘論者のいう〝アストラル界〟、バイブルでいう〝外なる暗黒〟に相当するものと思われる。そこには、世俗的欲望に囚われて霊性がまるで芽生えないまま他界して、そのまま地縛霊として地上圏に留まっているスピリットが集まっている。金儲けばかりに明け暮れた者、野心に駆られて奔走した者、性の快楽のみを求めた者、等々である。そうした種類の人間は、所謂〝悪人〟ではない。例のグラストンベリの修道僧ヨハネスが、修道院への愛着が断ち切れずに、今尚その廃墟の辺りをうろついているといったケースもある。よく騒がれる幽霊現象は、そうしたスピリットがたまたま必要条件が揃った時に、肉眼に映じる程に物質化したケースである。スピリットがそこにいるというだけでは、姿は現れない。単数又は複数の人間がいて、その人体から出るエクトプラズムという特殊な物質を纏う必要がある。立ち合った人が寒気を感じたり髪の毛が立ったりする現象は、心霊法則が作用した時の兆候である。が、そうした現象はいくら追求しても、本書が目標としている、人間とは何か、生命とは何か、という命題と死後の存続を結び付けて論じることとは無縁である。
 実はこの中間境の存在の意義について私がその説明の難しさに突き当たり、何かもっと啓発してくれる資料の必要性を痛感していた時に、偶然の巡り合わせで-私は偶然ではなさそうに思えるのだが-全く知らない方から、四十年近くも前の1880年に出版された本が郵送されてきた。その中に、自動書記で次のような一節が綴られていた。

 《スピリットの中には、その中間領域(ボーダーランド)から先へ進めない者がいます。死後の生命のことなど露程も考えたことがなく、悩みにせよ愉しみにせよ、全てが地上的なことばかりだった者です。学問や教養とは関係ありません。たとえ学識はあっても、霊性に欠け、ただ知性のみで生きていた者は、それ以上は向上しません。要するに、地上生活という修養の好機の過ごし方を誤って、今、その失われた時間を取り戻したいと思い、地上時代を呼び戻しているのです。こちらではそれが出来るのです。が、大変な苦痛を伴います。
 未だに金銭欲が消えず、地上時代に遊び回っていた場所を徘徊する者が少なくありません。その類の者が一番滞在期間が長いようです。というのは、必ずしも不幸とか惨めといった意識は抱いていないのです。寧ろ肉体が無くなって、さっぱりした気分でいます。
 霊性の発達したスピリットも一応はここを通過しますが、通過したことに気付かない者もいます。一瞬の間のことで、休息の必要もなく、次のサマーランド(注)へと進んで参ります・・・・》

 死の直後の中間境についてはこの程度にしておこう。キリスト教にはこれを明確に指摘したものは見当たらない。ただ、異端者やキリスト教を知らない者、子供や白痴などが送られて来るという〝リンボー〟と呼ばれる、訳の分からない界層があるやに述べている。
 死後、安住の地へ行き着くまでにある〝空間〟を通過するという概念は、多くの宗教に共通したもので、ギリシャ・ローマ神話では〝川〟を渡し舟で横切るという寓話の形を取っている。こうしたものをつぶさに見ていくと、遠く歴史を遡った時代にも、しっかりとした霊的啓示があって、それが時と共に不鮮明となり、歪められていったことが窺われる。インドの最初の征服者であるアーリヤ人の信仰を、ミュア博士は次のように纏めている。

 《・・・・しかし、その未完成の部分(霊的身体)が第三の天界のコースを終えるには、邪悪なものを全て地上に捨てて、広大な暗黒の淵を渡らねばならない。更に、先父達が辿った道を進んでから、いよいよ永遠の光の境涯へと飛躍し、そこで初めて輝ける霊体を獲得し、勿体無い住処を授かり、あらゆる願望が叶えられる完成された生活へと入り、やがて神々の御前へと進み、神々の御意の成就の仕事に加わるのである・・・・》
 〝神々〟を〝高級霊〟と置き換えれば、スピリチュアリズムが説くところと少しも変わらない。

 注-Summerland (サマーランド) ボーダーランドすなわち死の直後の中間境が各民族によって様々な形-例えば仏教では〝三途の川〟-を取るように、その境界を通過した後に辿り着く環境も、民族によって様々に描かれてきた。が、スピリチュアリズムによって、第一部第一章の訳注27で指示した通りの構図になっていることが明らかとなってきた。
 ここでいうサマーランドは何もかも願いの叶う境涯で、パラダイス(極楽)と呼ばれているのがこれに相当する。ドイルのいうボーダーランドは地球と接した死の直後の境涯で、トウィーデールが描いたイラストの〝中間境〟そのものとは合致せず、その最下層に位置すると思えばよい。サマーランドないしはパラダイスは相変わらず中間境に属し、本格的な死後の世界ではない。骨休めの一時休憩所のようなところで、全体としてさわやかな青味(ブルー)を帯びていることから、〝ブルーアイランド〟(青い国)と呼んでいる通信もある。