「霊媒能力は、別の分野なら(学問的・芸術的)天才という形で発揮されるものが、霊的な分野で発揮されたものである。霊の導きとインスピレーションに対して開かれた耳をもつ天才であり、それが次第に霊的現象へと移行したのです。教訓が忠実にそして明瞭に伝達される為には、霊媒本人の個性は滅却しなければなりません。今の貴殿の場合がそうです。それ故今こうして与えられるメッセージは人間的誤謬を最大限排除した、霊の声ということです。
一言にして言えば、霊的存在である人間が霊的影響力の流入口を開く-それが霊媒能力である。あくまで霊的な目的の為に使用しなければならない。営利目的の為、単なる好奇心の満足の為、或いは低劣な、無意味な目的の為に使用してはなりません。
霊媒能力を発揮する人間の特質はその人の霊にあるのであって、肉体にあるのではない。そのことは、霊媒現象がありとあらゆる体質と体格の霊媒において起きている事実を見ても分かるであろう。男性と女性、磁気的体質と電気的体質、背が低くて頑健な体質と細くて華奢な体質、年輩の人と若い人、等々。こうした事実だけで霊媒能力が肉体だけの問題でないことが分かるであろう。
更に、死後も尚その能力が存在しているという事実がそれを裏書している。地上で霊媒だった者は肉体の死後もその能力を維持していて、それを我々との協力の中で使用する。地上へ派遣されるのはそうした霊が最も多い。交信が容易なのである。お蔭でその種の能力を欠く霊も地上界と交信出来る。貴殿が地上の霊媒である如く、その種の霊は霊界の霊媒というわけです。
忘れてならぬことは、全ての霊的才能、霊媒能力は、進化にとって測り知れない価値を有するということである。祈りにも似た注意をもって培い、大切にすべきものであり、それを誤用又は悪用した時は恐ろしい代償を支払わねばならない。これを言い換えれば、霊能の所有者は普通一般の者より神とその天使の近くに存在していることである。天使からの働きかけに反応し易いということである。
しかし同時に、悪の勢力からの攻撃にも晒され易いことになる。善を志向する影響力の感化を受け易いのであるから、普通一般の人より一層強力な熱意をもってその才能を大事にし、守らねばならない」
「俗世的なものには、可能な限り、囚われぬよう心掛けることである。個人的見解というものも持たぬ方がよい。我々にとって障害にしかなりません。ひたすらに永遠にして不変なるものへ向けて歩を進めることです。自分一個に関わることは往々にして利己的でケチ臭いものとなり易い。そうしたものはまず我々は関心を向けません。これまで我々は貴殿を宗教的側面に関わる教えに注意を向けさせてきた。全ては我々の指導によって行なわれて来たことであり、これからも(現象的なものよりも)その種の問題に関心を向けて欲しく思う」
-確かに、あなたの計画の後を辿ってみますと、私のすることは何もかもご存知なので不思議でなりません。漸く私も、全ての行為が導かれていること、全人生が目に見えない力によって形作られて行っていることが分かって来ました。
「貴殿は我々に絶対的真理を啓示することが可能であるか否かを問い、これまで数々の霊が述べたものには矛盾があるところから、絶対的真理などは有り得ず、それを得ようとするのは時間の無駄であると述べている。
もしも貴殿の言う〝真理〟が本質的に人間的理解力を超えた問題についての正確無比な叙述を意味するとすれば、我々には、否、他のいかなる者にも、絶対的真理を啓示することは不可能です。人間には到底理解出来ないからである。が、もしも人間が知っておくべき事実に関するより高度な啓示-知性を発達させ、より次元の高い知識へと誘うものを意味するとすれば、我々がこうして地上へ降りて来たそもそもの目的は、そうした真理の啓示が目的であると答えよう。それこそが我々の使命の目的なのです。
我々はいたずらに人間を喜ばせたり驚かせたりする為に参ったのではない。教訓を授け、向上させんが為です。我々の為すことには一つ一つに目的がある。すなわち絶対的真理についてより高度にして幅広き見解を啓示することです」
(注)-モーゼスが述べたことと、それを受けてインペレーターが述べていることとが、一見、噛み合っていないように思える。が、それはこの一部分のみを抜粋するからそう映るのであって、インペレーターはこうした霊的通信がいずれ書物となって広く世界の人間に読まれることを考慮して、局所的な質問に対しても大局から見た答え方をすることが多い。それはシルバーバーチの場合も同じである。要するにスピリチュアリズムは地球全体に関わる計画に基づいた霊的活動であり、従ってその霊媒となる人物のことは誕生時から全てを知り尽くしていることを言っている。
-〝私と父とは一つである〟というイエスの言葉を説明してください。
「その言葉には自分は神であるという意味は少しも含まれていません。とんでもない誤解というべきです。その意図は我々が主張するところと全く同じです。すなわち我々は神の使者、特別なメッセージの証人として参っているのである。そして、イエスがそうしたように、そのメッセージの神性とその証拠としての現象に目を向けさせています。異論の多い問題はなるべく避けたい。例えば貴殿は他の(キリスト教の)僚友と同様に、バイブルの中の用語に虚構の重要性を付すという過ちを犯している。又、ヨハネの書の翻訳の中の一語句を引っ張り出して、その上に不吉なドグマを築き上げている(後注)。バイブルも一般の書物と同じように公正な解釈を施すべきです。又神学で大袈裟に取り上げている言葉も、現代とは異なる時代の異なる民族に対して語られたもので、その伝えられ方の正確さも様々です。それらは思想においても必要性においても生活習慣においても、現代とは全く異なる人間に対して語られたもので、しかも、そうでなくても欠点だらけであるところに、それを大なり小なり不正確な〝翻訳〟を通じて読むという新たな危険を冒して来ている。
貴殿が引用した一文には本来、神とイエスという二人の人物が一体であるという意味はありません。抽象的な意味しかありません。人物による一体ではなく目的において一つ、意図することにおいて一つということである。〝イエスなる私は、授かれる仕事において父と一体である〟ということである」
(注)-これはヨハネ黙示録に出ているハルマゲドンのことを言っていると思われる。元来は善と悪との最後の決戦場として出ているだけであるが、それが地球の壊滅的な動乱と救世主イエスの再臨ということに発展している。『シルバーバーチの霊訓』第二巻に次のような問答がある。
「ハルマゲドンが急速に近付きつつあるという予言は本当でしょうか」
「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意して頂きたいのは、バイブルの編纂に当たった人達は大なり小なり心霊能力を持っていて、そのインスピレーションをシンボルの形で受け取っていたということです。
そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象付けは絵画的な翻案によって行ないます。それをどう解釈するかは人間側の問題です。所謂ハルマゲドン、地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それと共に人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終わりもありません」
-でも、その他にも自分のことを神であると言っているかに受け取れる言葉が沢山ありますが、それはどう解釈したらよろしいでしょうか。
「我々の見るところによれば、イエスの言葉は地上時代において既に誇張されて伝えられていました。つまり弟子達がイエスの言葉をイエスが意図した意味より遙かに誇張して記録したのです。確かにイエスは自分が神の使いであることを宣言しましたし、事実そうだった。それを東方教会流の誇張した比喩を用いて表現した。それを無知にして教養に欠ける弟子達が〝十字架の死〟と〝復活〟、及びそれに付随して起きた様々な不思議な現象と結び付けて、必要以上に大袈裟に表現した。それが遂には理知的人間には付いて行けない驚異的な次元へと発展してしまったのである」
一言にして言えば、霊的存在である人間が霊的影響力の流入口を開く-それが霊媒能力である。あくまで霊的な目的の為に使用しなければならない。営利目的の為、単なる好奇心の満足の為、或いは低劣な、無意味な目的の為に使用してはなりません。
霊媒能力を発揮する人間の特質はその人の霊にあるのであって、肉体にあるのではない。そのことは、霊媒現象がありとあらゆる体質と体格の霊媒において起きている事実を見ても分かるであろう。男性と女性、磁気的体質と電気的体質、背が低くて頑健な体質と細くて華奢な体質、年輩の人と若い人、等々。こうした事実だけで霊媒能力が肉体だけの問題でないことが分かるであろう。
更に、死後も尚その能力が存在しているという事実がそれを裏書している。地上で霊媒だった者は肉体の死後もその能力を維持していて、それを我々との協力の中で使用する。地上へ派遣されるのはそうした霊が最も多い。交信が容易なのである。お蔭でその種の能力を欠く霊も地上界と交信出来る。貴殿が地上の霊媒である如く、その種の霊は霊界の霊媒というわけです。
忘れてならぬことは、全ての霊的才能、霊媒能力は、進化にとって測り知れない価値を有するということである。祈りにも似た注意をもって培い、大切にすべきものであり、それを誤用又は悪用した時は恐ろしい代償を支払わねばならない。これを言い換えれば、霊能の所有者は普通一般の者より神とその天使の近くに存在していることである。天使からの働きかけに反応し易いということである。
しかし同時に、悪の勢力からの攻撃にも晒され易いことになる。善を志向する影響力の感化を受け易いのであるから、普通一般の人より一層強力な熱意をもってその才能を大事にし、守らねばならない」
「俗世的なものには、可能な限り、囚われぬよう心掛けることである。個人的見解というものも持たぬ方がよい。我々にとって障害にしかなりません。ひたすらに永遠にして不変なるものへ向けて歩を進めることです。自分一個に関わることは往々にして利己的でケチ臭いものとなり易い。そうしたものはまず我々は関心を向けません。これまで我々は貴殿を宗教的側面に関わる教えに注意を向けさせてきた。全ては我々の指導によって行なわれて来たことであり、これからも(現象的なものよりも)その種の問題に関心を向けて欲しく思う」
-確かに、あなたの計画の後を辿ってみますと、私のすることは何もかもご存知なので不思議でなりません。漸く私も、全ての行為が導かれていること、全人生が目に見えない力によって形作られて行っていることが分かって来ました。
「貴殿は我々に絶対的真理を啓示することが可能であるか否かを問い、これまで数々の霊が述べたものには矛盾があるところから、絶対的真理などは有り得ず、それを得ようとするのは時間の無駄であると述べている。
もしも貴殿の言う〝真理〟が本質的に人間的理解力を超えた問題についての正確無比な叙述を意味するとすれば、我々には、否、他のいかなる者にも、絶対的真理を啓示することは不可能です。人間には到底理解出来ないからである。が、もしも人間が知っておくべき事実に関するより高度な啓示-知性を発達させ、より次元の高い知識へと誘うものを意味するとすれば、我々がこうして地上へ降りて来たそもそもの目的は、そうした真理の啓示が目的であると答えよう。それこそが我々の使命の目的なのです。
我々はいたずらに人間を喜ばせたり驚かせたりする為に参ったのではない。教訓を授け、向上させんが為です。我々の為すことには一つ一つに目的がある。すなわち絶対的真理についてより高度にして幅広き見解を啓示することです」
(注)-モーゼスが述べたことと、それを受けてインペレーターが述べていることとが、一見、噛み合っていないように思える。が、それはこの一部分のみを抜粋するからそう映るのであって、インペレーターはこうした霊的通信がいずれ書物となって広く世界の人間に読まれることを考慮して、局所的な質問に対しても大局から見た答え方をすることが多い。それはシルバーバーチの場合も同じである。要するにスピリチュアリズムは地球全体に関わる計画に基づいた霊的活動であり、従ってその霊媒となる人物のことは誕生時から全てを知り尽くしていることを言っている。
-〝私と父とは一つである〟というイエスの言葉を説明してください。
「その言葉には自分は神であるという意味は少しも含まれていません。とんでもない誤解というべきです。その意図は我々が主張するところと全く同じです。すなわち我々は神の使者、特別なメッセージの証人として参っているのである。そして、イエスがそうしたように、そのメッセージの神性とその証拠としての現象に目を向けさせています。異論の多い問題はなるべく避けたい。例えば貴殿は他の(キリスト教の)僚友と同様に、バイブルの中の用語に虚構の重要性を付すという過ちを犯している。又、ヨハネの書の翻訳の中の一語句を引っ張り出して、その上に不吉なドグマを築き上げている(後注)。バイブルも一般の書物と同じように公正な解釈を施すべきです。又神学で大袈裟に取り上げている言葉も、現代とは異なる時代の異なる民族に対して語られたもので、その伝えられ方の正確さも様々です。それらは思想においても必要性においても生活習慣においても、現代とは全く異なる人間に対して語られたもので、しかも、そうでなくても欠点だらけであるところに、それを大なり小なり不正確な〝翻訳〟を通じて読むという新たな危険を冒して来ている。
貴殿が引用した一文には本来、神とイエスという二人の人物が一体であるという意味はありません。抽象的な意味しかありません。人物による一体ではなく目的において一つ、意図することにおいて一つということである。〝イエスなる私は、授かれる仕事において父と一体である〟ということである」
(注)-これはヨハネ黙示録に出ているハルマゲドンのことを言っていると思われる。元来は善と悪との最後の決戦場として出ているだけであるが、それが地球の壊滅的な動乱と救世主イエスの再臨ということに発展している。『シルバーバーチの霊訓』第二巻に次のような問答がある。
「ハルマゲドンが急速に近付きつつあるという予言は本当でしょうか」
「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意して頂きたいのは、バイブルの編纂に当たった人達は大なり小なり心霊能力を持っていて、そのインスピレーションをシンボルの形で受け取っていたということです。
そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象付けは絵画的な翻案によって行ないます。それをどう解釈するかは人間側の問題です。所謂ハルマゲドン、地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それと共に人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終わりもありません」
-でも、その他にも自分のことを神であると言っているかに受け取れる言葉が沢山ありますが、それはどう解釈したらよろしいでしょうか。
「我々の見るところによれば、イエスの言葉は地上時代において既に誇張されて伝えられていました。つまり弟子達がイエスの言葉をイエスが意図した意味より遙かに誇張して記録したのです。確かにイエスは自分が神の使いであることを宣言しましたし、事実そうだった。それを東方教会流の誇張した比喩を用いて表現した。それを無知にして教養に欠ける弟子達が〝十字架の死〟と〝復活〟、及びそれに付随して起きた様々な不思議な現象と結び付けて、必要以上に大袈裟に表現した。それが遂には理知的人間には付いて行けない驚異的な次元へと発展してしまったのである」