純正な物理現象が行なわれている最中に明らかに誤魔化しと分かる愚にもつかぬ行為が見られることを述べると-
「物理現象に携わる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、誤魔化す意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。特に完全物質化現象は低級霊にしか出来ない現象の一つであるが、霊側は別に誤魔化すつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが一番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれが折角の純正な現象の中にも誤魔化しが混じっているかに思われるのである。
現象によっては、高尚な心を持たない存在、従って道義心というものを持たない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾の悪い動物の行為のように映るであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本物と偽物とが混じっていることに動揺しないことである。
そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者の為に必要なだけであって、我々が神の使者であることの証拠ではなく、又、我々の教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念に囚われている者の為に用意された手段に過ぎないのである。
それにはその演出に最も適切な霊が当てられる。その種の霊は極めて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者が最も強力な働き手となってくれるが、残念ながら彼等には道徳的な見極めがつけられない。
だからといって貴殿が〝たかが家具を移動させる程度のもの〟と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしいことであろう。偉大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発の為に神によって派遣されていたのであり、そのような霊を、物質中心の物の考え方しか出来ない者の為に、証拠として演出してみせるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それ程の霊になれば最早鈍重な物質への影響力は持ち合わせず、直接的に働きかけることは不可能である」
「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。又、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それ故、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究の為の実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬもので、従って、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならならい。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、又彼等の教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気を出来るだけ高めることを目的とすべきである」
-物理現象は止めてしまうべきでしょうか。
「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(せつぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めて行くことを目標として欲しい。霊的なものを物的なものへ引き摺り下ろすことになってはならない」
「病気の時、或いは心配事のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中に一人でも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、一途な真理探究心、こうしたものが我々にとって最高の助けとなる。
何よりも障害となるのは猜疑心から来る不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、全てを手の込んだ誤魔化しであると決めてかかる、覗き見的猜疑心である」
モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。
「交信の為の条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求め過ぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼の置ける通信を得られぬものと思うがよい。
暫しの間我々との交信は中止されよ。是非中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力を我々の方で暫し預かることにしたのである。今の状態で我々の交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分かっていないようである。我々がその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが・・・・」
「物理現象に携わる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、誤魔化す意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。特に完全物質化現象は低級霊にしか出来ない現象の一つであるが、霊側は別に誤魔化すつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが一番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれが折角の純正な現象の中にも誤魔化しが混じっているかに思われるのである。
現象によっては、高尚な心を持たない存在、従って道義心というものを持たない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾の悪い動物の行為のように映るであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本物と偽物とが混じっていることに動揺しないことである。
そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者の為に必要なだけであって、我々が神の使者であることの証拠ではなく、又、我々の教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念に囚われている者の為に用意された手段に過ぎないのである。
それにはその演出に最も適切な霊が当てられる。その種の霊は極めて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者が最も強力な働き手となってくれるが、残念ながら彼等には道徳的な見極めがつけられない。
だからといって貴殿が〝たかが家具を移動させる程度のもの〟と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしいことであろう。偉大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発の為に神によって派遣されていたのであり、そのような霊を、物質中心の物の考え方しか出来ない者の為に、証拠として演出してみせるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それ程の霊になれば最早鈍重な物質への影響力は持ち合わせず、直接的に働きかけることは不可能である」
「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。又、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それ故、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究の為の実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬもので、従って、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならならい。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、又彼等の教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気を出来るだけ高めることを目的とすべきである」
-物理現象は止めてしまうべきでしょうか。
「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(せつぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めて行くことを目標として欲しい。霊的なものを物的なものへ引き摺り下ろすことになってはならない」
「病気の時、或いは心配事のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中に一人でも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、一途な真理探究心、こうしたものが我々にとって最高の助けとなる。
何よりも障害となるのは猜疑心から来る不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、全てを手の込んだ誤魔化しであると決めてかかる、覗き見的猜疑心である」
モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。
「交信の為の条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求め過ぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼の置ける通信を得られぬものと思うがよい。
暫しの間我々との交信は中止されよ。是非中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力を我々の方で暫し預かることにしたのである。今の状態で我々の交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分かっていないようである。我々がその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが・・・・」