インペレーターに代わる。
「地上で精神病者とされている者が実は低級霊の道具にされているに過ぎないことがよくある。その人間の身体を勝手に操作しようとしてそれが上手く行かず、支離滅裂な話をしたり辻褄の合わないことを言ったりすることをすることになる」
「交霊会の雰囲気が乱れる時は、その原因となる人間なり霊なりが必ずその場に存在していると考えるのは間違いである。特に霊感の鋭い人間は単なる思念の放射だけで調子を狂わされることがよくある。我々にとっては思念こそが強力なエンジンなのである。それを色々な形で道具として使用するのである。直感が我々の感覚であり、思念は道具である」
「霊が肉体から離れると思念の行使がずっと容易くなる。こちらでは思念の投射が会話の通常の方法であり、地上との通信や連絡の当たり前の手段である。人間のように身体を携えてその場に赴く必要はない。霊と霊との交信は時間と空間を超越して行なわれる。時間と空間は地上だけの条件である」
「高級霊が自ら出頭せずに下級霊を通じて働きかけることは、よくあることである。実によくあることで、支配霊として交霊の場にいなくても、指示だけが送られて、それに従って会が進行する。が、我々のサークルにおいては、誰それの霊が来ていると述べた時には、実際にその場に来ていると思ってよい。同志を無防備のまま放置しておくようなことはしないと思われよ。が、それでもなお、思念の投射によって会の霊的雰囲気が乱されることがある。どうも思い通りに会が進行出来ない時は、それが原因であることが少なくない。そのような時は会の中止を命じる。
出席者が多い場合も雰囲気が乱れ易い。霊が出現したがるその情念の強さが原因となることもあるし、辺りに集結した邪霊集団の策謀である場合もある。
人間の大半がまだその事実を理解する水準に達していない。その為にスピリチュアリズムは悪魔との交わりであるとか、特殊な精神的ないし身体的病気であるとか、幻覚であるとか、イカサマであるとかの見方をされることにもなるわけである。
それとは別に、霊的真理を正しく理解した少数の者による地道なサークルもある。高次元の交霊の崇高さの確証を手にして、僅か二人ないし三人が信念と誠実さをもって会合し、授かる言葉に耳を傾ける。その種のサークルにおいては精神は純粋にして真摯であり、崇高なる憧憬に溢れ、霊的思想に満ち溢れている。会に先立っての然るべき準備も整えられ、高級霊が訪れる為の環境条件が揃っている。かようなサークルにおいては、成果も又それ相応に高尚なものとなる。
会の雰囲気が純朴な情愛に満ちたものであれば、先に他界した知人もしばしば訪れて身元を明かすことが出来よう。或いは霊的親和性に富む(見知らぬ)霊が訪れて慰安と励ましのメッセージを語ることもある。更には又、我々同様に、真理を希求する者の為の啓発と向上を任務とする霊が訪れて、他の分野にも及ぶ知識を授けることもあろう。
こうしたサークルは、用意周到ささえ怠らなければ、人類の大いなる啓発の為の貴重な機関となるところである。ところが悲しい哉、人間の使命感は脆いものである。支えとなるべき一途な憧憬にやがて倦怠感が訪れる。俗世に心が奪われる。仕事に追いまくられる。取り越し苦労と悩みが入り込む。こうなると、我々の目指すものにとってその霊媒は最早無用のものとなる。或いはサークルの同志の理解力一杯のところまで学んで、関心が衰えて来ることもある。
こうした次第で、サークル活動はよほど稀有な条件が整っていない限り長続きしないものである。中々進歩が見られぬし、色々な障害が邪魔するからである」
「本来、霊の衣服は人間の目には映じないものであり、従って霊姿というものは確認出来ぬものである。そこで我々は人間側が期待しているような形体を装うことになる。仮に霊が地上の友人に姿を見せたければ、多分地上時代によく着ていた衣服に似たものを着て出現するであろう。そして、確証として特徴ある身振り、衣装、或いは表情を特に誇張して注意を引くことであろう。そうやって折角確認して欲しいと思って苦心したのに、友人が得心してくれなかった時の無念さと悲しみは一通りのものではない。
これが、後に残した愛する人の為を思って戻って来る霊に付き纏う無念残念の一つである。付き添って何とか面倒を見ようとするのであるが、どうしても通じない。そこでどこかの霊媒を見つけて、そこへ出席してくれるように誘導する。漸く出席してくれたので、ここぞとばかりに苦心して生前の姿を見せ、死後の存続を証明し、変わらぬ愛を示そうとする。が、悲しい哉、その誠意が空しく物笑いの対象とされ、自分の存在が認めてもらえなかった時の傷心の深さは測り知れないものがある。そして多分、霊界との交信の事実そのものが根拠のない愚かな幻想であると決め付けられる。首尾よく自分が確認してもらえて変わらぬ愛を確かめることが出来た霊の測り知れない喜びとは対照的に、それは霊にとっての測り知れない心の痛みとなる」
モーゼスが自分のサークルにおいてそうしたプライベートな交信が少ないことに残念を表明すると-
「貴殿にはそれとは別の使命があるのである。我々としてはそうしたプライベートな交信にサークルが利用されることは許すわけにはいかない。好奇心の満足、たとえ愛に発するものであっても私情の混じったことの満足の為には絶対に許すわけにはいかない。貴殿のサークルはその程度の目的の為に利用してはならない。もっともっと高尚な目的をもったものなのである。貴殿に託された使命の崇高さについて十分な自覚が芽生えるまで待つ外はない。その時になれば我々がプライベートなものを拒絶する理由が分かるであろう」
-私の使命は主イエス直々のご計画によるものなのでしょうか。
「既に述べた通り、この度の大事業には二人の偉大なる霊、すなわちモーセとエリヤが密接に関わっておられる。私が直接受けるインスピレーションは私の守護霊であるエリヤからのものである。私が地上にあった時も(紀元前五世紀)エリヤが私を鼓舞し、今は私を通じて貴殿に影響力を行使しておられる。が、彼をはじめ、我々は全て人間がイエスと呼ぶ崇高なる霊の配下にある」
-イエスにお会いになったことがありますか。それからモーセとエリヤにも。
「いかにも。私の守護霊たるエリヤと偉大な霊モーセとは早くからお会いしている。会話も交わし、同時に指示を仰いで来ている。
が、イエスと直接の接触に与かったのは、この度の使命との関わりが出来てからのことである。遠大なる大事業の計画を目的とした高級神霊の大集会へのお召しに与った時に初めてお姿を拝した。
私が知る限り、主が再び試練の現象界まで降りて来られたのはごく最近のことである。又その大集会で拝見した高級神霊もやはり最近になって降りて来られた。多分、主がこの度と同じ目的をもって地上へ降誕されて以来、久しぶりのことであろう」
-どの集会のことでしょうか。確かあなたはイエスは一度も戻って来ていないと仰いましたが・・・
「大集会というのは、貴殿も知っての通り、私がサークルを留守にしていた時に開かれたものである。それから、私は自分が定かでないことについて断定的な言い方をしたことはないつもりである。イエスは人間に直接働きかけられる境涯の彼方(超越界)へ行っておられたが、地上時代に肉体に宿って着手された大事業を一段と進める必要があり、再び現象界へと帰って来られたのである」
-私と同じようにその大事業の為に準備された者は他にもいるのでしょうか。あなたが関わっておられる霊媒は他にもいますか。
「私が直接関わっている人間は貴殿以外にはいない。が、使命を担った霊の指導によって着々と研鑽を重ねつつある者は大勢いる。これまでに我々は貴殿の中に高級界と地上界との間に開かれた通路として最も貴重な要素を開発することに成功している。貴殿の精神が冷静になるに連れて他の多くの霊が訪れるようになるであろう。そして貴殿の疑念も晴れることであろう。現在の精神状態ではまだ他の霊には近付くことが出来ぬ。
それはともかくとして、霊界では様々な知識を人類に授ける為の適切な人材を見出すべく、今後とも努力するであろう」