マグナスと名乗る霊からの通信。
「教育と養成を任務とする霊は、それを授かる人間と霊的な意味において一体です。教師の霊的知識源から生徒が吸収し、そこで一体となる。これが霊と霊との融合です」
-その関係は死後も続くのですか。
「続きます。それは永遠の相互依存の法則です。霊の生活においては孤立という観念は存在しません。それは地上的錯誤です。霊は融和と共存の中で生活しており、互いに依存し合っております。教えた者と教えられた者とは親和関係で結ばれています」
モーゼスが〝キリストの再臨〟について尋ねたのに対してインペレーターが-
「聖書の記録の言い回しにはあまり拘らぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解出来ぬ者が、いい加減な印象を記録した。それが更に拙劣な用語で(英語その他に)翻訳され、結局は間違った概念を伝えることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、特に新たなる啓示について、概略ながら多く存在する。地上にありながら死後再び地上世界へ帰ってくることについて語っていたのである」
-では帰って来るというのは純粋に霊的な意味なのでしょうか。
「その通りである。今まさに主イエスが(新しい啓示を携えて)地上へ帰って来つつあるのである。それを、中継の霊団を通じて行なっておられる。必要とあれば自ら影響力を人間に行使されることもあるかも知れぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主が地上に降りられた時代のそれと類似している。
〝変容の丘〟(マタイ17他)において主は、影響力の通路となっていた二人の霊すなわちモーセとエリヤと現実に語り合った。その二人はこの度のスピリチュアリズム及び歴史上の幾つかの霊的活動に深く関わって来ており、今なお関わっておられる。主イエスの指示の下にこの度の活動を鼓舞し指揮しておられる。これで、我々がスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」
レクター、ドクター、プルーデンスの三人の署名のもとに次のように綴られた。
「ハルマゲドンと呼ばれている地上圏での善と悪との黙示的な戦いは今まさに進行中です。その真っ只中にキリストが立っておられる。我々がこうして新しい霊的真理を告げに戻って来たのは、そのキリストのお出ましに備える為です。と言っても、甦れるキリストが肉体を纏って出現なさるのではなく、霊的影響力としてのキリストの再臨の為の下準備です。
そこのところをよく理解して欲しい。今地上界に再生しつつあるのは、かの歴史上のイエスその人ではなく、〝キリストの原理〟なのである。これまでの物的概念を棄て去り、その黙示的な真理を学んで欲しい。
地上の人間は〝キリストの再臨〟をイエスがもう一度肉体に宿って地上へ出現するかの如く考えていますが、本当の意味はイエスが(二千年前に)地上へ降りて範を垂れた〝キリストの原理〟の甦りであり復興です。
イエスが身をもって範を垂れた原理が地上の人間に顕現されたのは決してそのベツレヘムに誕生した時が最初ではない。いつの時代にも、又いつの民族においても、神は御身を人間に顕現しておられる。救世主(メシヤ)出現の概念が生まれ、具体化し、更にそこへその救済の方法として最後の審判という誤った概念が生まれた。今に至るも、これは変わっておりません。
現代のキリスト教徒も同じ信仰を抱いています。言い換えれば、キリストの再臨について同じ誤解をしています。その昔ユダヤ人はソロモンが再臨して、かつての栄耀栄華を取り戻してくれることを待ち望みました。現代のキリスト教徒は主イエスが天使の大群を従えて天空に現れ、思い通りの世界平和と栄光の治世を開始してくれるものと期待しています。そして又、そのユダヤ人がまさか身分卑しき大工の息子が彼等の待ち望むメシヤであることが信じられなかった如く、現代の聖職者達には今盛んに喧伝されている霊的真理(スピリチュアリズム)がその甦れるキリストからの福音であることが、どうしても信じ切れずにいます。
新しい霊的摂理が今まさに人類に浸透しつつあります。これぞまさしく〝助け舟〟の治世であり、人間に理解しえる最高の真理の発展です。それは地上的天国の設立ではなく、見えざる霊的王国の設立です。
確かに我々が説くキリストの再臨も、キリスト教徒が信じている通り、キリストが帰って来るということにおいては同じです。ただ霊的な影響力として帰って来るということであり、一方、キリスト教徒の考えは地上的であり物質的であるということです」
-イエスはこれまでのところその姿を見せておりませんが、これからそれが有り得ると私は考えるのですが・・・・
「かつて地上に降誕したあのイエスと呼ばれた人物はもう二度と現れません。地上に誕生出来る境涯の彼方へ行かれたからです」
-影響力として帰って来るのでしょうか。
「その通りです。高級神霊界からの霊的影響力として帰ってこられ、それが一時的に貴殿に集中している。それを、貴殿と接触出来る我々が行なっているところです。今貴殿を取り巻いている様々な喧騒は真理の新たな発展に付随して起きる衝突の兆候です。真理の誕生に苦痛と苦悩は付きものです」
「ささやかながらも地上に顕現している霊力の影響は、霊界において着々と進められている霊的作業の反映にすぎません。オペレーションセンターは霊界にあります。我々の努力は貴殿の周囲に調和と平安の為の霊的条件を整えることに集中しているところです。霊の世界こそが原因の世界です。貴殿を嘆かせている喧騒は、霊界で巻き起こっている激しい闘争の微々たる反映に過ぎません。
我々は今、敵対勢力によって大々的に攻勢が仕掛けられる時代を通過しつつあります。その影響力が我々を、そして貴殿を悩ませ障害となっています。偉大にして崇高なる思想が霊の世界から発せられる如く、地上に邪悪と混乱を巻き起こす影響力も又霊の世界から発せられる。全て霊的なものです」
「先に我々は比喩の形で霊が七つの現象界を向上して行く話をしました。そうした過程の中で自らを救済し、地上で蓄積した汚れを取り除くか、或いは来るべき超越界での生活に備えて叡智を身に付けるかのいずれかに努力する。真の実在界、無限と絶対の超越界には完全なる安寧が存在します。その世界の清純無垢なる霊は、その安寧の幾ばくかをもたらす為の余ほどの必要性が生じぬ限り、その境界線を越えて混沌たる現象界へ降りて来ることは、まず有りません。絶無というわけではありません。地球の歴史における霊的大変動期に降臨してその深遠なる叡智により人心を鼓舞した霊は、幾例かあるにはある。しかし極めて稀です。貴殿としては今は、同じ神の火花が貴殿の魂にも宿っており、従って無限の可能性が貴殿の中にあることを知るだけで十分です」
「教育と養成を任務とする霊は、それを授かる人間と霊的な意味において一体です。教師の霊的知識源から生徒が吸収し、そこで一体となる。これが霊と霊との融合です」
-その関係は死後も続くのですか。
「続きます。それは永遠の相互依存の法則です。霊の生活においては孤立という観念は存在しません。それは地上的錯誤です。霊は融和と共存の中で生活しており、互いに依存し合っております。教えた者と教えられた者とは親和関係で結ばれています」
モーゼスが〝キリストの再臨〟について尋ねたのに対してインペレーターが-
「聖書の記録の言い回しにはあまり拘らぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解出来ぬ者が、いい加減な印象を記録した。それが更に拙劣な用語で(英語その他に)翻訳され、結局は間違った概念を伝えることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、特に新たなる啓示について、概略ながら多く存在する。地上にありながら死後再び地上世界へ帰ってくることについて語っていたのである」
-では帰って来るというのは純粋に霊的な意味なのでしょうか。
「その通りである。今まさに主イエスが(新しい啓示を携えて)地上へ帰って来つつあるのである。それを、中継の霊団を通じて行なっておられる。必要とあれば自ら影響力を人間に行使されることもあるかも知れぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主が地上に降りられた時代のそれと類似している。
〝変容の丘〟(マタイ17他)において主は、影響力の通路となっていた二人の霊すなわちモーセとエリヤと現実に語り合った。その二人はこの度のスピリチュアリズム及び歴史上の幾つかの霊的活動に深く関わって来ており、今なお関わっておられる。主イエスの指示の下にこの度の活動を鼓舞し指揮しておられる。これで、我々がスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」
レクター、ドクター、プルーデンスの三人の署名のもとに次のように綴られた。
「ハルマゲドンと呼ばれている地上圏での善と悪との黙示的な戦いは今まさに進行中です。その真っ只中にキリストが立っておられる。我々がこうして新しい霊的真理を告げに戻って来たのは、そのキリストのお出ましに備える為です。と言っても、甦れるキリストが肉体を纏って出現なさるのではなく、霊的影響力としてのキリストの再臨の為の下準備です。
そこのところをよく理解して欲しい。今地上界に再生しつつあるのは、かの歴史上のイエスその人ではなく、〝キリストの原理〟なのである。これまでの物的概念を棄て去り、その黙示的な真理を学んで欲しい。
地上の人間は〝キリストの再臨〟をイエスがもう一度肉体に宿って地上へ出現するかの如く考えていますが、本当の意味はイエスが(二千年前に)地上へ降りて範を垂れた〝キリストの原理〟の甦りであり復興です。
イエスが身をもって範を垂れた原理が地上の人間に顕現されたのは決してそのベツレヘムに誕生した時が最初ではない。いつの時代にも、又いつの民族においても、神は御身を人間に顕現しておられる。救世主(メシヤ)出現の概念が生まれ、具体化し、更にそこへその救済の方法として最後の審判という誤った概念が生まれた。今に至るも、これは変わっておりません。
現代のキリスト教徒も同じ信仰を抱いています。言い換えれば、キリストの再臨について同じ誤解をしています。その昔ユダヤ人はソロモンが再臨して、かつての栄耀栄華を取り戻してくれることを待ち望みました。現代のキリスト教徒は主イエスが天使の大群を従えて天空に現れ、思い通りの世界平和と栄光の治世を開始してくれるものと期待しています。そして又、そのユダヤ人がまさか身分卑しき大工の息子が彼等の待ち望むメシヤであることが信じられなかった如く、現代の聖職者達には今盛んに喧伝されている霊的真理(スピリチュアリズム)がその甦れるキリストからの福音であることが、どうしても信じ切れずにいます。
新しい霊的摂理が今まさに人類に浸透しつつあります。これぞまさしく〝助け舟〟の治世であり、人間に理解しえる最高の真理の発展です。それは地上的天国の設立ではなく、見えざる霊的王国の設立です。
確かに我々が説くキリストの再臨も、キリスト教徒が信じている通り、キリストが帰って来るということにおいては同じです。ただ霊的な影響力として帰って来るということであり、一方、キリスト教徒の考えは地上的であり物質的であるということです」
-イエスはこれまでのところその姿を見せておりませんが、これからそれが有り得ると私は考えるのですが・・・・
「かつて地上に降誕したあのイエスと呼ばれた人物はもう二度と現れません。地上に誕生出来る境涯の彼方へ行かれたからです」
-影響力として帰って来るのでしょうか。
「その通りです。高級神霊界からの霊的影響力として帰ってこられ、それが一時的に貴殿に集中している。それを、貴殿と接触出来る我々が行なっているところです。今貴殿を取り巻いている様々な喧騒は真理の新たな発展に付随して起きる衝突の兆候です。真理の誕生に苦痛と苦悩は付きものです」
「ささやかながらも地上に顕現している霊力の影響は、霊界において着々と進められている霊的作業の反映にすぎません。オペレーションセンターは霊界にあります。我々の努力は貴殿の周囲に調和と平安の為の霊的条件を整えることに集中しているところです。霊の世界こそが原因の世界です。貴殿を嘆かせている喧騒は、霊界で巻き起こっている激しい闘争の微々たる反映に過ぎません。
我々は今、敵対勢力によって大々的に攻勢が仕掛けられる時代を通過しつつあります。その影響力が我々を、そして貴殿を悩ませ障害となっています。偉大にして崇高なる思想が霊の世界から発せられる如く、地上に邪悪と混乱を巻き起こす影響力も又霊の世界から発せられる。全て霊的なものです」
「先に我々は比喩の形で霊が七つの現象界を向上して行く話をしました。そうした過程の中で自らを救済し、地上で蓄積した汚れを取り除くか、或いは来るべき超越界での生活に備えて叡智を身に付けるかのいずれかに努力する。真の実在界、無限と絶対の超越界には完全なる安寧が存在します。その世界の清純無垢なる霊は、その安寧の幾ばくかをもたらす為の余ほどの必要性が生じぬ限り、その境界線を越えて混沌たる現象界へ降りて来ることは、まず有りません。絶無というわけではありません。地球の歴史における霊的大変動期に降臨してその深遠なる叡智により人心を鼓舞した霊は、幾例かあるにはある。しかし極めて稀です。貴殿としては今は、同じ神の火花が貴殿の魂にも宿っており、従って無限の可能性が貴殿の中にあることを知るだけで十分です」