死後の霊体の変化について-
 「地球圏を離れた後霊体は浄化の過程に入り、その過程の中で死に似た変化を幾つも体験する。肉体を捨てた霊体が形態は同じでも肉体より洗練されている如く、魂が向上すると、それまでの霊体を捨てて、更に洗練された霊体に宿ることになる。かくして洗練の過程を続けて、ついには超越界へ突入するに相応しい段階に至る。そこに至るまでには霊的に合わなくなった身体を捨てて新しい身体を纏うことの繰り返しである。その度に死に似た変化が伴う。
 肉体から離れると直ぐ霊は新しい環境から必要な要素を摂取して、肉体とそっくりの霊的身体を纏う。ある意味では常に物的身体に宿っていると言っても間違ってはいない。その物的要素が人間の五感に感応しない性質であるというだけである。人間にとって物質が実感があるように、我々にとってはそれを実感をもって感識出来るのである」

 ドクターに代わる。
 「真の自分である霊体は、地上生活という一時期を、絶え間なく変化する物的原子を纏って過ごします。地上教育の過程を終了すると物的原子は捨て去られます。その時が所謂〝復活〟です。甦り-物質に閉じ込められていた個性の蘇生、蕾の発芽、幽閉され拘束状態にあった霊の解放-それも永い永い眠りの後の遠い未来の話ではなく、即時、即刻に行なわれるのです。
 キリスト教徒が、見当違いとはいえ、毎年イースター(復活祭)を祝うことには不滅の真理が内在しております。ただ人間は、愚かにも、一旦朽ち果てた肉体が再び修復され、蘇生されて、完全な元通りの身体になると想像し、そうした説をでっち上げる中で肝心な真理を見落としてしまいました。部分的にはそれに近いものを含んではいますが・・・
 肉体は一旦自然界へ戻ってしまったら最後、二度と元通りにはなりません。消散してしまえばそれ切りであり、いずれ将来は別の物的形態の構成要素となる。キリスト教が説くような復活はありません。人間にはもう一つの身体があるのです。霊的身体です。それを人間は忘れています。本当の自分であるその霊体が地上から蘇生して、本来の住処へと運ばれるのです」

-キリストの場合はどう解釈したらよいのでしょうか。
 「死後に見せたあの姿も霊体だったのです。それを肉眼で見える程度まで物質化して見せたのです。肉体は絶対に蘇生しておりません」

 死後の向上・進化についての質問にインペレーターが答える。
 「宇宙の全存在が着実に進化しているか、さまなくば退化しているかのいずれかであることは貴殿も理解していよう。地上に生を享けた霊は、肉体に宿ってのその間の行為によって、死後、然るべき境涯に落ち着く。すなわち善なる行為をしたか邪なる行為をしたかによって、高い界へ行く者もいれば低い界へ行く者もおり、又、同じ界でも高い境涯に置かれる者もいれば低い境涯に置かれる者もいる。
 さて、落ち着くべき所に落ち着くと、教育を担当する指導霊によって地上時代の誤った概念が一掃され、犯した罪悪についての内省を迫られ、それがもたらした結果に対して責任を取りたいという欲求をもつように導かれていく。これが進化の第一歩となる。そして浄化は更に続き、より高い境涯へ進むと、そこで又新たな浄化作用が行われ、こうした過程が続けられていく内に、遂に〝浄化〟の境涯を通過して、今度は〝教育〟の境涯へと入って行く。そこで一段と進んだ知識が授けられる。魂は一段と洗練され、ますます物的要素(後注)を振り落とし、更に高度な純化の過程を経ることになる。この過程は物的要素が完全に無くなるまで続けられる。そして、いよいよ超越界、〝無〟の境涯へと突入して行く。そこで我々の視界から消える」

 (注)-ここでいう〝物〟は地上の物質のことではなく、霊が使用する形態のことである。霊が〝有〟の現象界に存在を持つ為には何等かの形態を必要とする。それが無くなれば霊のみの〝絶対無〟の世界の存在となる。

-それから先どうなるかは御存知ないわけですね?個的存在(アイデンティティ)を失うのでしょうか。

 「それは我々にも分からぬ。当然のことながら人間が個的存在という用語から連想するものを多く失うことであろう。一個の人物から連想する形態を失うことであろう。霊はそれに比例して向上し、いよいよ光明と叡智の大根源へ近づけるだけの霊性を身に付けるであろう。そして、恐らくは、個的存在がその大根源に融合して行くことであろう。
 我々に分かるのは、神へ向けての絶え間ない進化が霊性をいやが上にも神の霊性に近づけ、最後は文字通り〝神の子〟となる-神の如く純粋、神の如く無垢-左様、神の無限なる完全性にある程度まで匹敵する完全性を身に付ける、ということだけである。これが我々の栄光の未来像である」

-生命の究極の目的が大根源への没入であるとすれば、それまでの努力は空しいものに思えるのですが・・・・

 「生命!一体貴殿は、生命についてどれ程知ったつもりでいるのであろうか。その真実の意味が貴殿の中では、哀れな程短い地上的生命に囚われてケチ臭きものと成り果てている。超越界に至るまでの数々の境涯における生命の栄光ですら言語に絶するものを、生命の大根源における栄光が貴殿にどれ程知れようぞ!
 全ての束縛から解放された霊が、神々しさと崇高さに満ちた霊との交わりの中で生活する高き境涯での生命活動が貴殿にどこまで想像出来よう。ましてや、更に荘厳さを増した超越界の生命活動、何もかも地上と正反対の世界、一切の形態による束縛から超脱した世界、真実の叡智の大道が無限に延び、〝自己〟その他、囚われるもの一再が永遠に無くなった世界、個人的存在、人物像、その他〝個〟の観念の纏わり付くもの全てが永遠に消滅した世界、そうした世界がどうして今の貴殿に想像出来よう。
 そして、もしも有限なる精神には理解出来ぬ無限の時が遂に尽き果てる時-有限なる叡智の泉が空となり、霊が感覚の世界を全て体験し尽くし、努力と苦悩を通して完全無欠となり、神の栄光の相続権を手中にし、完成せる霊のみの住処にて神と存在を共にする資格を得るに至る-その没我の時が仮に貴殿に寂滅と思えようと、個的存在の喪失と思えようと、或いは永遠なる真理の太陽への没入と思えようと、それが今の貴殿にとりて何の意味があろう。せいぜい、その真理の太陽に目を眩まされぬよう、目を伏せるがよい。
 信じられよ-果てしなく続く生命の旅路において獲得せる叡智は、それまでの努力を償いて余りあるものであることを」

インペレーターの祈り

 永遠なる父よ!至高にして全能なる神よ!待ち焦がれる子等に愛の心を注ぎたまえ。御身と、御身の直属の天使と一体たらしめんが為でございます。
 真理の神よ!御身のものであり御身より出でる真理を求めて歩む子等が、最後まで挫けることになきよう、気概を与えたまえ。
 不変にして永遠なる神よ!子等に熱誠の精神を授けたまえ。不撓不屈の目的意識をもって永遠の光明の泉たる御身へ向けて向上せしめんが為でございます。
 至純なる霊よ!何とぞ子等に汚れなき聖純さを保たせたまえ。思念を浄化し、動機を清め、願望を高めさせたまえ。
 叡智の霊よ!子等の叡智と知識を増し、更に多くを渇望するよう導きたまえ。
 恵み深き神よ!子等にとりて益ありと見做される恵みを限りなく注ぎたまえ。
 子等の過ちを取り除きたまえ。真理への愛を強めたまえ。叡智を吹き込みたまえ。慈愛を注ぎたまえ。進歩を促したまえ。子等の一人ひとりに、それなりの資格において、我等使者と共に御身への讃仰の聖歌に加わらしめんが為でございます。
 至高にして至聖、愛の権化たる御身に、栄光と尊厳と崇敬の念を捧げ奉ります。