自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 順序として、これからボツボツ龍宮界のお話を致さねばならなくなりましたが、元々口の拙(つたな)い私が、私よりももっと口の拙い女の口を使って通信を致すのでございますから、さぞ全てがつまらなく、一向に他愛のない夢物語になってしまいそうで、それが何より気掛かりでございます。と申して、この話を省いてしまえば私の幽界生活の記録に大きな孔(あな)が開くことになって筋道が立たなくなるおそれがございます。まあ致し方がございませぬ、せいぜい気をつけて、私の実地の観たまま、感じたままをそっくり申し上げることに致しましょう。
 ここでちょっと申し添えて置きたいのは、私の修行場の右の山の半腹に在る、あの小さい龍神の祠(やしろ)のことでございます。私は龍宮行きをする前に、しょっちゅうそのお祠へ参拝したのでございますが、それがつまり私にとりて龍宮行きの準備だったのでございました。私はそこで乙姫様から色々と有り難い教訓やら、お指図やら、又お優しい慰めのお言葉やらを頂きました。お蔭で私は自分でも気がつく程めきめきと元気が出てまいりました。『その様子なら汝も近い内に乙姫様のお目通りが出来そうじゃ・・・・』指導役のお爺さんもそんなことを言って私を励ましてくださいました。
 ここで私が龍神様のお祠へ行って、色々お指図を受けたなどと申しますと、現世の方々の中には何やら異様にお考えになられる者がないとも限りませぬが、それば現世の方々が、まだ神社というものの性質をよく御存知ない為かと存じます。お宮というものは、あれはただお賽銭を上げて、拍手を打って、首を下げて引き下がる為に出来ている飾り物ではないようでございます。又心籠めて一生懸命に祈願をすれば、それが直ちに神様の御胸に通じ、同時に神様からもこれに対する応答が降り、時とすればありありとそのお姿までも拝ませて頂けるのでございます・・・。つまり、全ては魂と魂との交通を狙ったもので、こればかりは実に何とも言えぬほど巧い仕組みになっているのでございます。私が山の修行場に居りながら、どうやら龍宮界の模様が少しずつ判りかけたのも、全くこの有り難い神社参拝の賜物でございました。勿論地上の人間は肉体という厄介なものに包まれておりますから、いかに神社の前で精神の統一をなされても、そう容易に神様との交通は出来ますまいが、私共のように、肉体を棄ててこちらの世界へ引越したものになりますと、殆ど全ての仕事はこの仕掛けのみによりて行なわれるのでございます。ナニ人間の世界にも近頃電話だの、ラジオだのという、重宝な機械が発明されたと仰るか・・・・それは大変結構なことでございます。しかしそれなら尚更私の申し上げる事がよくお判りの筈で、神社の装置もラジオとやらの装置も、理屈は大体似たものかも知れぬ・・・。
 まあ大変つまらぬ事を申し上げてしまいました。では早速これから龍宮行きの模様をお話させて頂きます・・・。