自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 暫くしてから私はとうとう龍宮界の御門の前にたっていましたが、それにしても私は四辺の光景があまりにも現実的なのを寧ろ意外に思ったのでございました。お爺さんの御話から考えてみましても、龍宮はドウやら一の蜃気楼、乙姫様の思し召しでかりそめに造り上げられる一の理想の世界らしく思われますのに、実地に当たってみますと、それはどこにも危なげのない、いかにもがっしりとした、正真正銘の現実の世界なのでございます。『もしもこれが蜃気楼なら世の中に蜃気楼でないものは一つもありはしない・・・・』私は心の中でそう考えたのでございました。
 龍宮界の大体の見た感じでございますが-さァ一口に申したら、それはお社(やしろ)と言うよりかも、寧ろ一つの大きな御殿と言った感じ、つまり人間味が、たっぷりしているのでございます。そして何処やらに唐風なところがあります。先ずその御門でございますが、屋根は両端が上方にしゃくれて、大そう光沢のある、大型の立派な瓦で葺いてあります。門柱その他は全て丹塗り、別に扉はなく、その丸味のついた入り口からは自由に門内の模様が窺われます。辺りには別に門衛らしいものも見掛けませんでした。
 で、私は思い切ってその門を潜って行きましたが、門内は見事な石畳の舗道になっており、辺りに塵一つ落ちておりませぬ。そして両側の広々としたお庭には、形の良い松その他が程よく植え込みになっており、奥はどこまであるか、ちょっと見当がつかぬ位でございます。大体は地上の庭園とさしたる相違もございませぬが、ただあんなにも冴えた草木の色、あんなにも香ばしい土の匂いは、地上のどこにも見受けることは出来ませぬ。こればかりは実地に行って見るより外に、描くべき筆も、語るべき言葉もあるまいと考えられます。
 御門から御殿まではどの位ありましょうか、よほど遠かったように思われます。御殿の玄関は黒塗りの大きな式台造り、そして上方のひさし、柱、長押(なげし)などは皆眼の覚めるような丹塗り、又壁は白塗りでございますから、全ての配合がいかにも華美で、明朗で、眼が覚めるように感じられました。
 私はそこですっかり身づくろいを直しました。無論心でただそう思いさえすればそれで宜しいので、そうすると今までの旅装束がその場できちんとした謁見の服装に変わるのでございます。そんな事でも出来なければ、たった一人で、腰元も連れずに、龍宮の乙姫さまをお訪ねすることは出来はしませぬ。
 『御免くださいませ・・・・』
 私は思い切ってそう案内を乞いました。すると、年の頃十五位に見える、一人の可愛らしい小娘がそこへ現れました。服装は筒袖式の桃色の衣服、頭髪を左右に分けて、背部の方でくるくると丸めておるところは、どう見ても御国風よりは唐風に近いもので、私にはそれが却って妙に御殿の構造にしっくりと当てはまって、大変美しいように感ぜられました。
 『私は小桜と申すものでございますが、こちらの奥方にお目通りを致したく、わざわざお訪ね致しました・・・・』
 乙姫様とお呼び申すのも何やらおかしく、さりとて神様の御名を申し上げるのも、何やら改まり過ぎるように感じられ、ツイうっかり奥方と申し上げてしまいました。こちらへ来てもやはり私には現世時代の呼び癖がついて回っていたものと見えます。それでも取り次ぎの小娘には私の言葉がよく通じたらしく、『承知致しました。少々お待ちくださいませ』と言って、踵(きびす)を返して急いで奥へ入って行きました。
 『乙姫様に首尾よくお目通りが叶うかしら・・・・』
 私は多少の不安を感じながら玄関前に佇みました。