自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 『何やら昔の香織らしい面影が残っておれど、それにしては随分老け過ぎている・・・・』私が、そう考えて躊躇しておりますと、先方では、さも待ち切れないと言った様子で、膝をすり寄せてまいりました。-
 『姫さまは私をお忘れでございますか・・・・香織でございます・・・・』
 『やはりそうであったか。-私はそなたがまだ息災で現世に暮らしているものとばかり思っていました。一体いつ亡くなったのじゃ・・・』
 『もう、かれこれ十年位にもなるでございましょう。私のようなつまらぬものは、とてもこちらで姫さまにお目にかかれまいと諦めておりましたが、今日図らずも念願が叶い、こんな嬉しいことはございませぬ。よくまァ御無事で・・・・ちッとも姫さまは往時とお変わりがございませぬ。お懐かしう存じます・・・・』現世らしい挨拶を述べながら、香織はとうとう私の体にしがみついて、泣き入りました。私もそうされてみれば、そこはやはり人情で、つい一緒になって泣いてしまいました。
 心の昂奮が一応鎮まってから、私達の間には四方八方の物語が一しきり弾みました。-
 『そなたは一体、どこが悪くて亡くなったのじゃ?』
 『腹部の病気でございました。針で刺されるようにキリキリと毎日悩み続けた末に、とうとうこんなことになりまして・・・・』
 『それは気の毒であったが、どうしてそなたの死ぬことが、私の方へ通じなかったのであろう・・・。普通なら臨終の思念が感じて来ない筈はないと思うが・・・』
 『それは皆私の不心得の為でございます』と香織は面目なげに語るのでした。『日頃私は、死ねば姫さまの形見の小袖を着せてもらって、直ぐお側に行ってお仕えするのだなどと、口癖のように申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを忘れてしまったのでございます。どこまでも執着の強い私は、自分の家族のこと、とりわけ二人の子供のことが気にかかり、中々死に切れなかったのでございます。こんな心懸けの良くない女子の臨終の知らせが、どうして姫さまのお許に届く筈がございましょう。何もかも皆私が悪かった為でございます』
 正直者の香織は、涙ながらに、臨終に際して、自分の心懸けの悪かったことをさんざん詫びるのでした。暫くして彼女は言葉を続けました。-
 『それでもこちらへ来て、色々と神様からお諭しを受けたお蔭で、私の現世の執着も次第に薄らぎ、今では修行も少し積みました。が、それにつれて、日増しに募って来るのは姫さまをお慕い申す心で、こればかりはどうしても我慢がし切れなくなり、幾度神様に、会わせて頂きたいとお頼みしたか知れませぬ。でも神様は、まだ早い早いと仰せられ、中々お許しが出ないのでございます。私はあまりのもどかしさに、よくないことと知りながらもツイ神様に喰ってかかり、さんざん悪口を吐いたことがございました。それでも神様の方では、格別お怒りにもならず、内々姫さまのところをお調べになっておられたものと見えまして、今度いよいよ時節が来たとなりますと、御自身で私を案内して、連れて来て下すったのでございます。-姫さま、お願いでございます、これからは、どうぞお側に私を置いてくださいませ。私は、昔の通り姫さまのお身の回りのお世話をして上げたいのでございます・・・・』
 そう言って香織は又もや私に縋りつくのでした。
 これには私もほとほと持ち扱いました。
 『神界の掟としてそればかりは許されないのであるが・・・・』
 『それは又どういう訳でございますか?私は是非こちらへ置いて頂きたいのでございます』
 『それは現世ですることで、こちらの世界では、そなたも知る通り、衣服の着替えにも、頭髪の手入れにも、少しも人手は要らぬではないか。それに何とも致し方のないのはそれぞれの霊魂の因縁、めいめいきちんと割り当てられた境涯があるので、たとえ親子夫婦の間柄でも、自分勝手に同棲することは出来ませぬ。そなたの志は嬉しく思いますが、こればかりは諦めてたもれ。会おうと思えばいつでも会える世界であるから何処に住まなければならぬということはない筈じゃ。それほど私のことを思ってくれるのなら、そんな我儘を言ふ代わりに、みっしり身相応の修行をしてくれるがよい。そして思い出したらちょいちょい私の許に遊びに来てたもれ・・・・』
 最初の間、香織は中々腑に落ちぬらしい様子をしていましたが、それでも漸く聞き分けて、尚暫く語り合った上で、その日は暇を告げて自分の所へ戻って行きました。
 今でも香織とは絶えず通信も致しまするし、又たまには会いも致します。香織はもうすっかり明るい境涯に入り、顔なども若返って、自分に相応しい神様の御用に勤しんでおります。