以下の文章は、[小桜姫物語]という、霊的知識の書物から抜粋した文章です。また、自殺に関するその他の霊的知識は、[自殺してはならない霊的な理由]に書かれています。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
これは[小桜姫物語]という日本の霊界通信より、昔の時代の自殺した女性の話です。小桜姫物語はこちら
[小桜姫物語]P127より
今度は入れ代わって、或る事情の為に自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、お聞きになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、こう言った物語も現世の方々に、多少の御参考になろうかと存じます。
その方は生前私と大変に仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子・・・・あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。
お母様が大変お美しい方であった為、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御器量で、殊にその生際などは、慄(ふる)えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御器量に生まれて敦子さまは本当に幸せだ・・・・』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御器量が却ってお身の仇となったらしく、やはり女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。
敦子さまの悩みは早くも十七、八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断ってしまうのでした。それには無論訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人・・・・世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に固い約束が出来ていたのでございました。これが望み通り円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人はどうあっても一緒になることが出来ないのでした。
こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかりヤケ気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪れましたので、私から色々言い聞かせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、こういうことは、やはり御両親の許諾を得た方がよい・・・・』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決まっております。これを聞いて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思い返してくれる模様も見えないのでした。
それでも、その後幾年か経って、男の方が諦めて、どこからか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまが確か二十四歳の時でございました。
縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥々三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに幸せなことであろう・・・』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知っている私には、あの美しいお顔のどこやらに潜む、一種の寂しさ・・・新婚を歓ぶというよりか、寧ろ辛い運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。
兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の子が生まれて、少なくとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に侘住居をしていた時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残っております。-
『一体恋しい人と別れるのに、生き別れと死に別れとではどちらが辛いものでしょうか・・・・。事によると生き別れの方が辛くはないでしょうか・・・・。あなたの現在のお身の上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。もしもあの子供がいなかったら、私などはとうの昔に・・・・』
現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。
それから程経て、敦子さまが死んだことだけは何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか会えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を経て、戸外に出て、四辺の景色を眺めておりますと、私の守護霊・・・・この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねて参ります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現れました。
『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか・・・・』
私が近付いて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いたり、顔の色などもどこやら暗いように見えました。私はちょっと手持ち無沙汰に感じました。
すると案内のお爺さんが代わって簡単に挨拶してくれました。-
『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかと思われたが、ただ本人が是非御身に会いたい、一度会わせてもらえば、気持が落ち着いて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも頼んで、今日わざわざ連れて参ったような次第・・・御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、色々とよく言い聞かせてもらいたい・・・・』
そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰ってしまいました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけて優しく申しました。-
『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄・・・・殊にあなたが何回も私の侘しい住居を訪れて色々と慰めてくだされた、あの心尽くしは今も嬉しい思い出の一つとなっております。その御恩返しというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。どうぞ全てを打ち明けて、あなたの相談相手にして頂きます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます・・・・』
敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森(しん)とした、清らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ち着いて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。
『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄り付けはしませぬ・・・』
こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打ち明け話をすることになりましたが、最初想像した通り、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、色々込み入った事情があり、そして結局とんでもない死に方-自殺を遂げてしまったのでした。敦子さまは、こんな風に語り出でました。-
『生前あなたにも、あるところまでお漏らしした通り、私達夫婦の仲というものは、上辺とは大変に違い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、元々よそへ縁づく気持などは少しも無かったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで体だけは良人(おっと)に捧げましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄・・・他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました・・・。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。私が、それもえせずに、どうやら生き永らえておりましたのは、間もなく私が身重になった為で、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜しくもないその日その日を送っていたのでございました。
こんな冷たい妻の心が、何でいつまでも良人の胸に響かぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にも増して、一層大きな溝が出来てしまい、夫婦とはたた名ばかり、心と心とは千里もかけ離れているのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換えのない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気が触れたようになって、何の前後の考えもなく、懐剣で喉を突いて、一図に子供の後を追ったのでございました・・・・』
敦子さまの談話を聴いておりますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応もっともなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。
それから引き続いて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一部始終を物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大変に趣が違いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んでいるものでございました。私は今ここでその全部をお漏らしする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。
敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分惨めなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。-
『死後私は暫くは何事も知らずに無自覚で暮らしました。従ってその期間がどれ位続いたか、無論判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡す限り真っ暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私は直ぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。元々死ぬる覚悟でおったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱ってしまいました。しかもそれがただの暗さとは何となく違うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話になりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いているものが、何れも皆異様の人間なのでございます。-頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷ついているもの・・・・ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私の直ぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きが出来なくされております。すると、そこへ怒りのまなじりを釣り上げた、一人の若い女が現れて、口惜しい口惜しいと喚き続けながら、件の男に飛び掛かって、頭髪をむしったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似を致します。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな呵責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪が段々怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、ひとえにこの暗闇の内部の、世にも物凄い懲戒の賜物でございました・・・・』
敦子さまの物語はまだ色々ありましたが、段々聞いてみると、あの方が何より神様からお𠮟りを受けたのは、自殺そのものよりも、寧ろそのあまりに強情な性質・・・・一旦こうと思えばあくまでそれを押し通そうとする、我儘な気性の為であったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。-
『私は生前何事も皆気随気概に押し通し、自分の思いが叶わなければこの世に生き甲斐がないように考えておりました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打ち明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来ても中々脱けず、御指導の神様に対してさえ、全てを隠そう隠そうと致しました。すると或る時神様は、汝の胸に抱いていること位は、何もかも詳しく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にしておった、ある一つの事柄・・・大概お察しでございましょうが、それをすっぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお赦しを願いました。その為に私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることが出来ました。もっとも私の先祖の中に立派な善行のものがおったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで・・・・。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落とされ、大変に損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折り入ってお侘びしなければならぬことがございます。実はこのお詫びをしたいばかりに、今日わざわざ神様にお頼みして、連れて来て頂きましたような次第で・・・・』
敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それは詰まらないことでございました。-
『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ち明けた時、あなたは私に向かい、自分同志が良いのも結構だが、こういうことはやはり両親の許諾を得る方がよい、と仰いました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大変にあなたを軽視したのでございます。-しかし、こちらの世界へ来て、段々裏面から、人間の生活を眺めることが、出来るようになってみると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私はやはり悪魔に魅入られていたのでございました。-私は改めてここでお詫び致します。どうぞ私の罪をお赦し遊ばして、元の通りこの不束(ふつつか)な女を可愛がって、行く末かけてお導きくださいますよう・・・・』
この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分辛いところもありましたが、しかし元々しっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩々々と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達しております。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない』と仰って、神様にお願いして、わざと小さな岩屋のような所に籠って、修行に勤しんでおられます。これなどは、寧ろ私共の良い手本かと存じます・・・・。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
これは[小桜姫物語]という日本の霊界通信より、昔の時代の自殺した女性の話です。小桜姫物語はこちら
[小桜姫物語]P127より
今度は入れ代わって、或る事情の為に自殺を遂げた一人の女性との会見のお話を致しましょう。少々陰気くさい話で、お聞きになるに、あまり良いお気持はしないでございましょうが、こう言った物語も現世の方々に、多少の御参考になろうかと存じます。
その方は生前私と大変に仲の良かったお友達の一人で、名前は敦子・・・・あの敦盛の敦という字を書くのでございます。生家は畠山と言って、大そう由緒ある家柄でございます。その畠山家の主人と私の父とが日頃別懇にしていた関係から、私と敦子さまとの間も自然親しかったのでございます。お年齢は敦子さまの方が二つばかり下でございました。
お母様が大変お美しい方であった為、お母さま似の敦子さまも眼の覚めるような御器量で、殊にその生際などは、慄(ふる)えつくほどお綺麗でございました。『あんなにお美しい御器量に生まれて敦子さまは本当に幸せだ・・・・』そう言ってみんなが羨ましがったものでございますが、後で考えると、この御器量が却ってお身の仇となったらしく、やはり女は、あまり醜いのも困りますが、又あまり美しいのもどうかと考えられるのでございます。
敦子さまの悩みは早くも十七、八の娘盛りから始まりました。諸方から雨の降るようにかかって来る縁談、中には随分これはというのもあったそうでございますが、敦子さまは一つなしに皆断ってしまうのでした。それには無論訳があったのでございます。親戚の、幼馴染の一人の若人・・・・世間によくあることでございますが、敦子さまは早くから右の若人と思い思われる仲になり、末は夫婦と、内々二人の間に固い約束が出来ていたのでございました。これが望み通り円満に収まれば何の世話はないのでございますが、月に浮雲、花に風とやら、何か両家の間に事情があって、二人はどうあっても一緒になることが出来ないのでした。
こんな事で、敦子さまの婚期は年一年と遅れて行きました。敦子さまは後にはすっかりヤケ気味になって、自分は生涯嫁には行かないなどと言い張って、ひどく御両親を困らせました。ある日敦子さまが私の許へ訪れましたので、私から色々言い聞かせてあげたことがございました。『御自分同志が良いのは結構であるが、こういうことは、やはり御両親の許諾を得た方がよい・・・・』どうせ私の申すことはこんな堅苦しい話に決まっております。これを聞いて敦子さまは別に反対もしませんでしたが、さりとて又成る程と思い返してくれる模様も見えないのでした。
それでも、その後幾年か経って、男の方が諦めて、どこからか妻を迎えた時に、敦子さまの方でも我が折れたらしく、とうとう両親の勧めに任せて、幕府へ出仕している、ある歴々の武士の許へ嫁ぐことになりました。それは敦子さまが確か二十四歳の時でございました。
縁談がすっかり整った時に、敦子さまは遥々三浦まで御挨拶に来られました。その時私の良人もお目にかかりましたが、後で、『あんな美人を妻に持つ男子はどんなに幸せなことであろう・・・』などと申した位に、それはそれは美しい花嫁姿でございました。しかし委細の事情を知っている私には、あの美しいお顔のどこやらに潜む、一種の寂しさ・・・新婚を歓ぶというよりか、寧ろ辛い運命に、仕方なしに服従していると言ったような、やるせなさがどことなく感じられるのでした。
兎も角こんな具合で、敦子さまは人妻となり、やがて一人の男の子が生まれて、少なくとも表面には大そう幸福らしい生活を送っていました。落城後私があの諸磯の海辺に侘住居をしていた時分などは、何度も何度も訪れて来て、何かと私に力をつけてくれました。一度は、敦子さまと連れ立ちて、城跡の、あの良人の墓に詣でたことがございましたが、その道すがら敦子さまが言われたことは今も私の記憶に残っております。-
『一体恋しい人と別れるのに、生き別れと死に別れとではどちらが辛いものでしょうか・・・・。事によると生き別れの方が辛くはないでしょうか・・・・。あなたの現在のお身の上もお察し致しますが、少しは私の身の上も察してくださいませ。私は一つの生きた屍、ただ一人の可愛い子供があるばかりに、やっとこの世に生きていられるのです。もしもあの子供がいなかったら、私などはとうの昔に・・・・』
現世に於ける私と敦子さまとの関係は大体こんなところでお判りかと存じます。
それから程経て、敦子さまが死んだことだけは何かの機会に私に判りました。が、その時はそう深くも心にとめず、いつか会えるであろう位に軽く考えていたのでした。それより又何年経ちましたか、或る日私が統一の修行を経て、戸外に出て、四辺の景色を眺めておりますと、私の守護霊・・・・この時は指導役のお爺さんでなく、私の守護霊から、私に通信がありました。『ある一人の女性が今あなたを訪ねて参ります。年の頃は四十余りの、大そう美しい方でございます』私は誰かしらと思いましたが、『ではお目にかかりましょう』とお答えしますと、程なく一人のお爺さんの指導霊に連れられて、よく見覚えのある、あの美しい敦子さまがそこへひょっくりと現れました。
『まァお久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお会いすることになりましたか・・・・』
私が近付いて、そう言葉をかけましたが、敦子さまは、ただ会釈をしたのみで、黙って下方を向いたり、顔の色などもどこやら暗いように見えました。私はちょっと手持ち無沙汰に感じました。
すると案内のお爺さんが代わって簡単に挨拶してくれました。-
『この人は、まだ御身に引き合わせるのには少し早過ぎるかと思われたが、ただ本人が是非御身に会いたい、一度会わせてもらえば、気持が落ち着いて、修行も早く進むと申すので、御身の守護霊にも頼んで、今日わざわざ連れて参ったような次第・・・御身とは生前又となく親しい間柄のように聞き及んでいるから、色々とよく言い聞かせてもらいたい・・・・』
そう言ってお爺さんは、そのままプイと帰ってしまいました。私はこれには、何ぞ深い仔細があるに相違ないと思いましたので、敦子さまの肩に手をかけて優しく申しました。-
『あなたと私とは幼い時代からの親しい間柄・・・・殊にあなたが何回も私の侘しい住居を訪れて色々と慰めてくだされた、あの心尽くしは今も嬉しい思い出の一つとなっております。その御恩返しというのでもありませぬが、こちらの世界で私の力に及ぶ限りのことは何なりとしてあげます。どうぞ全てを打ち明けて、あなたの相談相手にして頂きます。兎も角もこちらへお入りくださいませ。ここが私の修行場でございます・・・・』
敦子さまは最初はただ泣き入るばかり、とても話をするどころではなかったのですが、それでも修行場の内部へ入って、そこの森(しん)とした、清らかな空気に浸っている中に、次第に心が落ち着いて来て、ポツリポツリと言葉を切るようになりました。
『あなたは、こんな神聖な境地で立派な御修行、私などはとても段違いで、あなたの足元にも寄り付けはしませぬ・・・』
こんな言葉をきっかけに、敦子さまは案外すらすらと打ち明け話をすることになりましたが、最初想像した通り、果して敦子さまの身の上には、私の知っている以上に、色々込み入った事情があり、そして結局とんでもない死に方-自殺を遂げてしまったのでした。敦子さまは、こんな風に語り出でました。-
『生前あなたにも、あるところまでお漏らしした通り、私達夫婦の仲というものは、上辺とは大変に違い、それはそれは暗い、冷たいものでございました。最初の恋に破れた私には、元々よそへ縁づく気持などは少しも無かったのでございましたが、ただ老いた両親に苦労をかけては済まないと思ったばかりに、死ぬるつもりで体だけは良人(おっと)に捧げましたものの、しかし心は少しも良人のものではないのでした。愛情の伴わぬ冷たい夫婦の間柄・・・他人さまのことは存じませぬが、私にとりて、それは、世にも浅ましい、つまらないものでございました・・・。嫁入りしてから、私は幾度自害しようとしたか知れませぬ。私が、それもえせずに、どうやら生き永らえておりましたのは、間もなく私が身重になった為で、つまり私というものは、ただ子供の母として、惜しくもないその日その日を送っていたのでございました。
こんな冷たい妻の心が、何でいつまでも良人の胸に響かぬ筈がございましょう。ヤケ気味になった良人はいつしか一人の側室を置くことになりました。それからの私達の間には前にも増して、一層大きな溝が出来てしまい、夫婦とはたた名ばかり、心と心とは千里もかけ離れているのでした。そうする中にポックリと、天にも地にもかけ換えのない、一粒種の愛児に先立たれ、そのまま私はフラフラと気が触れたようになって、何の前後の考えもなく、懐剣で喉を突いて、一図に子供の後を追ったのでございました・・・・』
敦子さまの談話を聴いておりますと、私までが気が変になりそうに感ぜられました。そして私には敦子さまのなされたことが、一応もっともなところもあるが、さて何やら、しっくり腑に落ちないところもあるように考えられて仕方がないのでした。
それから引き続いて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一部始終を物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大変に趣が違いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んでいるものでございました。私は今ここでその全部をお漏らしする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。
敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分惨めなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。-
『死後私は暫くは何事も知らずに無自覚で暮らしました。従ってその期間がどれ位続いたか、無論判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡す限り真っ暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私は直ぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。元々死ぬる覚悟でおったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱ってしまいました。しかもそれがただの暗さとは何となく違うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話になりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いているものが、何れも皆異様の人間なのでございます。-頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷ついているもの・・・・ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私の直ぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きが出来なくされております。すると、そこへ怒りのまなじりを釣り上げた、一人の若い女が現れて、口惜しい口惜しいと喚き続けながら、件の男に飛び掛かって、頭髪をむしったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似を致します。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな呵責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪が段々怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、ひとえにこの暗闇の内部の、世にも物凄い懲戒の賜物でございました・・・・』
敦子さまの物語はまだ色々ありましたが、段々聞いてみると、あの方が何より神様からお𠮟りを受けたのは、自殺そのものよりも、寧ろそのあまりに強情な性質・・・・一旦こうと思えばあくまでそれを押し通そうとする、我儘な気性の為であったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。-
『私は生前何事も皆気随気概に押し通し、自分の思いが叶わなければこの世に生き甲斐がないように考えておりました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打ち明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来ても中々脱けず、御指導の神様に対してさえ、全てを隠そう隠そうと致しました。すると或る時神様は、汝の胸に抱いていること位は、何もかも詳しく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にしておった、ある一つの事柄・・・大概お察しでございましょうが、それをすっぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお赦しを願いました。その為に私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることが出来ました。もっとも私の先祖の中に立派な善行のものがおったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで・・・・。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落とされ、大変に損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折り入ってお侘びしなければならぬことがございます。実はこのお詫びをしたいばかりに、今日わざわざ神様にお頼みして、連れて来て頂きましたような次第で・・・・』
敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それは詰まらないことでございました。-
『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ち明けた時、あなたは私に向かい、自分同志が良いのも結構だが、こういうことはやはり両親の許諾を得る方がよい、と仰いました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大変にあなたを軽視したのでございます。-しかし、こちらの世界へ来て、段々裏面から、人間の生活を眺めることが、出来るようになってみると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私はやはり悪魔に魅入られていたのでございました。-私は改めてここでお詫び致します。どうぞ私の罪をお赦し遊ばして、元の通りこの不束(ふつつか)な女を可愛がって、行く末かけてお導きくださいますよう・・・・』
この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分辛いところもありましたが、しかし元々しっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩々々と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達しております。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない』と仰って、神様にお願いして、わざと小さな岩屋のような所に籠って、修行に勤しんでおられます。これなどは、寧ろ私共の良い手本かと存じます・・・・。