自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 それから引き続いて敦子さまは、こちらの世界に目覚めてからの一部始終を物語ってくれましたが、それは私達のような、月並な婦女の通った路とは大変に趣が違いまして、随分苦労も多く、又変化にも富んでいるものでございました。私は今ここでその全部をお漏らしする訳にもまいりませんが、せめて現世の方に多少参考になりそうなところだけは、成るべく漏れなくお伝えしたいと存じます。
 敦子さまが、こちらで最初置かれた境涯は随分惨めなもののようでございました。これが敦子さま御自身の言葉でございます。-
 『死後私は暫くは何事も知らずに無自覚で暮らしました。従ってその期間がどれ位続いたか、無論判る筈もございませぬ。その中不図誰かに自分の名を呼ばれたように感じて眼を開きましたが、四辺は見渡す限り真っ暗闇、何が何やらさっぱり判らないのでした。それでも私は直ぐに、自分はモー死んでいるな、と思いました。元々死ぬる覚悟でおったのでございますから、死ということは私には何でもないものでございましたが、ただ四辺の暗いのにはほとほと弱ってしまいました。しかもそれがただの暗さとは何となく違うのでございます。例えば深い深い穴蔵の奥と言ったような具合で、空気がしっとりと肌に冷たく感じられ、そして暗い中に、何やらうようよ動いているものが見えるのです。それは丁度悪夢に襲われているような感じで、その無気味さと申したら、全くお話になりませぬ。そしてよくよく見つめると、その動いているものが、何れも皆異様の人間なのでございます。-頭髪を振り乱しているもの、身に一糸を纏わない裸体のもの、血みどろに傷ついているもの・・・・ただの一人として満足の姿をしたものは居りませぬ。殊に気味の悪かったのは私の直ぐ傍に居る、一人の若い男で、太い荒縄で、裸身をグルグルと捲かれ、ちっとも身動きが出来なくされております。すると、そこへいかりのまなじりを釣り上げた、一人の若い女が現れて、口惜しい口惜しいと喚き続けながら、件の男に飛び掛かって、頭髪をむしったり、顔面を引っかいたり、足で蹴ったり、踏んだり、とても乱暴な真似を致します。私はその時、きっとこの女はこの男の手にかかって死んだのであろうと思いましたが、兎に角こんな呵責の光景を見るにつけても、自分の現世で犯した罪悪が段々怖くなってどうにも仕方なくなりました。私のような強情なものが、ドーやら熱心に神様にお縋りする気持になりかけたのは、ひとえにこの暗闇の内部の、世にも物凄い懲戒の賜物でございました・・・・』
 敦子さまの物語はまだ色々ありましたが、段々聞いてみると、あの方が何より神様からお𠮟りを受けたのは、自殺そのものよりも、寧ろそのあまりに強情な性質・・・・一旦こうと思えばあくまでそれを押し通そうとする、我儘な気性の為であったように思われました。敦子さまはこんな事も言いました。-
 『私は生前何事も皆気随気概に押し通し、自分の思いが叶わなければこの世に生き甲斐がないように考えておりました。一生の間に私が自分の胸の中を或る程度まで打ち明けたのは、あなたお一人位のもので、両親はもとよりその他の何人にも相談一つしたことはございませぬ。これが私の身の破滅の基だったのでございます。その性質はこちらの世界へ来ても中々脱けず、御指導の神様に対してさえ、全てを隠そう隠そうと致しました。すると或る時神様は、汝の胸に抱いていること位は、何もかも詳しく判っているぞ、と仰せられて、私が今まで極秘にしておった、ある一つの事柄・・・大概お察しでございましょうが、それをすっぱりと言い当てられました。これにはさすがの私も我慢の角を折り、とうとう一切を懺悔してお赦しを願いました。その為に私は割合に早くあの地獄のような境地から脱け出ることが出来ました。もっとも私の先祖の中に立派な善行のものがおったお蔭で、私の罪までがよほど軽くされたと申すことで・・・・。何れにしても私のような強情な者は、現世に居っては人に憎まれ、幽界へ来ては地獄に落とされ、大変に損でございます。これにつけて、私は一つ是非あなたに折り入ってお侘びしなければならぬことがございます。実はこのお詫びをしたいばかりに、今日わざわざ神様にお頼みして、連れて来て頂きましたような次第で・・・・』
 敦子さまはそう言って、私に膝をすり寄せました。私は何事かしらと、襟を正しましたが、案外それは詰まらないことでございました。-
 『あなたの方で御記憶があるかドーかは存じませぬが、ある日私がお訪ねして、胸の思いを打ち明けた時、あなたは私に向かい、自分同志が良いのも結構だが、こういうことはやはり両親の許諾を得る方がよい、と仰いました。何を隠しましょう、私はその時、この人には、恋する人の、本当の気持は判らないと、心の中で大変にあなたを軽視したのでございます。-しかし、こちらの世界へ来て、段々裏面から、人間の生活を眺めることが、出来るようになってみると、自分の間違っていたことがよく判るようになりました。私はやはり悪魔に魅入られていたのでございました。-私は改めてここでお詫び致します。どうぞ私の罪をお赦し遊ばして、元の通りこの不束(ふつつか)な女を可愛がって、行く末かけてお導きくださいますよう・・・・』

 この人の一生には随分過失もあったようで、従って帰幽後の修行には随分辛いところもありましたが、しかし元々しっかりした、負けぬ気性の方だけに、一歩々々と首尾よく難局を切り抜けて行きまして、今ではすっかり明るい境涯に達しております。それでも、どこまでも自分の過去をお忘れなく、『自分は他人さまのように立派な所へは出られない』と仰って、神様にお願いして、わざと小さな岩屋のような所に籠って、修行に勤しんでおられます。これなどは、寧ろ私共の良い手本かと存じます・・・・。