自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
私が伺った橘姫のお物語の中には、まだ色々お伝えしたいことがございますが、とても一度に語り尽くすことは出来ませぬ。いずれ又良い機会がありましたら改めてお漏らしすることとして、ただあの走水の海で御入水遊ばされたお話だけは、どうあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそは一人この御夫婦の御一代を飾る、もっとも美しい事跡であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次ぎすることに致します。
『私達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風は少し吹いておりましたが、空には一点の雲もなく、五、六里もあろうかと思われる広い内海の彼方には、総の国の低い山々が絵のようにぽっかりと浮かんでおりました。その時の私達の人数はいつもよりも小勢で、かれこれ四、五十名もおったでございましょうか。仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。
一同が今日の良き船出を寿(ことほ)ぎ合ったのも束の間、やや一里ばかりも陸から離れたと思しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変わってしまいました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、見る見る船はグルリと向きを変え、人々は瀧なす飛沫を一杯に浴びました。それにあの時の空模様の怪しさ、赤黒い雲の峰が、右からも左からも、もくもくと群がり出でて満天に折り重なり、四辺はさながら真夜中のような暗さに鎖(とざ)されたと思う間もなく、白刃を植えたような稲妻が間断なく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫(つぶて)のように人々の面を打ちました。わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達を励まして、荒れ狂う風浪と闘いましたが、やがて両三人は波に呑まれ、残余は力尽きて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなりました。全てはものの半刻と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。
かかる場合に臨みて、人間の頼むところはただ神業ばかり・・・。私は一心不乱に、神様にお祈りをかけました。船の激しき動揺につれて、幾度となく投げ出される私の体-それでも私はその都度起き上がりて、手を合わせ、熱心に祈り続けました。と、忽ち私の耳にはっきりとした一つの囁き、『これは海神の怒り・・・今日限り命(みこと)の生命を奪る・・・・』覚えずはっとして現実に返れば、耳に入るはただすまじき浪の音、風の叫び-が、精神を鎮めると又もや右の怪しき囁きがはっきりと耳に聞こえてまいります・・・・。
二度、三度、五度・・・幾度繰り返してもこれに間違いないことが判った時に、私は全てを命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何の愚かなこと!」とただ一言に打ち消してしまわれましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳に聞こえるあの不思議の囁きでございました。私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。
「命は御国にとりてかけがえのない、大切の御身の上・・・何卒この数ならぬ女の生命を以って命の御生命にかえさせたまえ・・・・』二度、三度この祈りを繰り返している内に、私の胸には年来の命の御情思がこみ上げて、私の両眼からは涙が瀧のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて出たのもその時でございます。真嶺刺し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも・・・・。
右の歌を歌い終わると共に、いつしか私の体は荒れ狂う波間に跳(おど)っておりました、その時ちらと拝したわが君のはっと驚かれた御面影-それが現世での見納めでございました』
橘姫の御物語は一先ずこれにて打ち切りと致しますが、ただ私として、ちょっとここで申し添えておきたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?-これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。その時お爺さんはこう答えられました。-
『それはこういう次第じゃ。全て物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人であることは言うまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になってみれば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨霊となって隙を窺い、たまたま心よからぬ海神の助けを得て、あんな稀有の暴風雨を巻き起こしたのじゃ。あれは人霊のみで出来る仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれ程の悪戯はさせなかったであろう。たまたまこうした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の、橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違っているが、それはそうとして、あの場合の姫の心境には誠に涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれ程の真心が何で直ぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切り抜けることが出来たのじゃ。橘姫はやはり稀に見る優れた御方じゃ』
私はこの説明が果して全てを尽くしているか否かは存じませぬ。ただ皆様の御参考までに、私の窺ったところを付け加えておくだけでございます。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
私が伺った橘姫のお物語の中には、まだ色々お伝えしたいことがございますが、とても一度に語り尽くすことは出来ませぬ。いずれ又良い機会がありましたら改めてお漏らしすることとして、ただあの走水の海で御入水遊ばされたお話だけは、どうあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそは一人この御夫婦の御一代を飾る、もっとも美しい事跡であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次ぎすることに致します。
『私達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風は少し吹いておりましたが、空には一点の雲もなく、五、六里もあろうかと思われる広い内海の彼方には、総の国の低い山々が絵のようにぽっかりと浮かんでおりました。その時の私達の人数はいつもよりも小勢で、かれこれ四、五十名もおったでございましょうか。仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。
一同が今日の良き船出を寿(ことほ)ぎ合ったのも束の間、やや一里ばかりも陸から離れたと思しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変わってしまいました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、見る見る船はグルリと向きを変え、人々は瀧なす飛沫を一杯に浴びました。それにあの時の空模様の怪しさ、赤黒い雲の峰が、右からも左からも、もくもくと群がり出でて満天に折り重なり、四辺はさながら真夜中のような暗さに鎖(とざ)されたと思う間もなく、白刃を植えたような稲妻が間断なく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫(つぶて)のように人々の面を打ちました。わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達を励まして、荒れ狂う風浪と闘いましたが、やがて両三人は波に呑まれ、残余は力尽きて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなりました。全てはものの半刻と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。
かかる場合に臨みて、人間の頼むところはただ神業ばかり・・・。私は一心不乱に、神様にお祈りをかけました。船の激しき動揺につれて、幾度となく投げ出される私の体-それでも私はその都度起き上がりて、手を合わせ、熱心に祈り続けました。と、忽ち私の耳にはっきりとした一つの囁き、『これは海神の怒り・・・今日限り命(みこと)の生命を奪る・・・・』覚えずはっとして現実に返れば、耳に入るはただすまじき浪の音、風の叫び-が、精神を鎮めると又もや右の怪しき囁きがはっきりと耳に聞こえてまいります・・・・。
二度、三度、五度・・・幾度繰り返してもこれに間違いないことが判った時に、私は全てを命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何の愚かなこと!」とただ一言に打ち消してしまわれましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳に聞こえるあの不思議の囁きでございました。私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。
「命は御国にとりてかけがえのない、大切の御身の上・・・何卒この数ならぬ女の生命を以って命の御生命にかえさせたまえ・・・・』二度、三度この祈りを繰り返している内に、私の胸には年来の命の御情思がこみ上げて、私の両眼からは涙が瀧のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて出たのもその時でございます。真嶺刺し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ちて、問いし君はも・・・・。
右の歌を歌い終わると共に、いつしか私の体は荒れ狂う波間に跳(おど)っておりました、その時ちらと拝したわが君のはっと驚かれた御面影-それが現世での見納めでございました』
橘姫の御物語は一先ずこれにて打ち切りと致しますが、ただ私として、ちょっとここで申し添えておきたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?-これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。その時お爺さんはこう答えられました。-
『それはこういう次第じゃ。全て物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人であることは言うまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になってみれば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨霊となって隙を窺い、たまたま心よからぬ海神の助けを得て、あんな稀有の暴風雨を巻き起こしたのじゃ。あれは人霊のみで出来る仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれ程の悪戯はさせなかったであろう。たまたまこうした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。当時の、橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違っているが、それはそうとして、あの場合の姫の心境には誠に涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれ程の真心が何で直ぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切り抜けることが出来たのじゃ。橘姫はやはり稀に見る優れた御方じゃ』
私はこの説明が果して全てを尽くしているか否かは存じませぬ。ただ皆様の御参考までに、私の窺ったところを付け加えておくだけでございます。