自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 一通り野原の妖精見物を済ませますと、指導役のお爺さんは、私に向かって言われました。-
 『この辺に見掛ける妖精達は慨して皆年齢の若いものばかり、性質も無邪気で、一向他愛もないが、同じ妖精でも、五百年、千年と功労経たものになると、中々思慮分別もあり、うっかりするとヘタな人間は敵わぬことになる。例えばあの鎌倉八幡宮の社頭の大銀杏の精-あれなどはよほど老成なものじゃ・・・』
 『お爺さま、あの大銀杏ならば私も生前によく存じております。どうぞこれからあそこへお連れ下さいませ・・・。一度その大銀杏の精と申すのに会っておきとうございます』
 『承知致した。直ぐ出掛けると致そう・・・・』
 どこをどう通過したか、途中は少しも判りませぬが、私達は忽ちあの懐かしい鎌倉八幡宮の社前に着きました。幅の広い石段、丹塗りの楼門、群がる鳩の群、それからあの大きな瘤だらけの銀杏の老木・・・・チラとこちらから覗いた光景は、昔とさしたる相違もないように見受けられました。
 私達は一応参拝を済ませてから、直ちに目的の銀杏の樹に近寄りますと、早くもそれと気付いたか、白茶色の衣装をつけた一人の妖精が木陰から歩み出で、私達に近付きました。身の丈は七、八寸、肩には例の透明な羽を生やしておりましたが、しかしよくよく見れば顔は七十余りの老人の顔で、そして手に一條の杖をついておりました。私は一目見て、これが銀杏の精だと感付きました。
 『今日はわざわざこれなる女性を連れて来ました』と指導役のお爺さんは老妖精に挨拶しました。『御手数でも、何かと教えてあげてください・・・・』
 『ようこそ御出でくだされた』と老妖精は笑顔で私を迎えてくれました。『そなたは気付かなかったであろうが、実はそなたがまだ可愛らしい少女姿でこの八幡宮へ御詣りなされた当時から、ワシはようそなたを存じておる・・・。人間の世界と申すものは瞬く間に移り変われど、ワシなどは幾年経っても元のままじゃ・・・・』
 枯れた、落ち着いた調子でそう言って、老いたる妖精はつくづくと私の顔を打ちまもるのでございました。私も何やら昔馴染みの老人にでも巡り会ったような気がして、懐かしさが胸にこみ上げて来るのでした。
 老妖精は一層しんみりとした調子で、談話を続けました。
 『実を申すとワシはこの八幡宮よりももっと古く、元はここからさして遠くもない、とある山中に住んで居たのじゃ。然るにある年八幡宮がこの鶴岡に完成されるにつけ、その神木として、ワシが数ある銀杏の中から選び出され、ここに移し植えられることになったのじゃ。それから数えてももう随分の月日が積もったであろう。一旦神木となってからは、勿体なくもこの通り幹の周囲に注連縄が張り回され、誰一人手さえ触れようとせぬ。中には八幡宮を拝むと同時にワシに向かって手を合わせて拝むものさえもある・・・。これと申すも皆神様の御加護、お蔭でよその銀杏とは異なり、何年経てど枝も枯れず、幹も朽ちず、日本国中で無類の神木として、今もこの通り栄えておるような次第じゃ』
 『長い歳月の間には幾分色々の事を御覧になられたでございましょう・・・・』
 『それは見ました・・・。そなたも知らるる通り、この鎌倉と申す所は、幾度となく激しい合戦の巷となり、時にはこの銀杏の下で、御神前をも憚らぬ一人の無法者が、時の将軍に対して刃傷沙汰に及んだ事もある・・・・。そうした場合、人間というものはさてさて惨いことをするものじゃと、ワシはどんなに嘆いたことであろう・・・』
 『でもよくこの銀杏の樹に暴行を加えるものがなかったものでございます・・・・』
 『それは神木であるお蔭じゃ。ワシの外にもこの銀杏には神様の御眷族が多数付いておられる。もしいささかでもこれに暴行を加えようものなら、たちどころに神罰が降るであろう。ここで非命に倒れた、かの実朝公なども、今はこの樹に憑って、守護に当たっておられる・・・・。イヤ丁度良い機会じゃ。そなたも一応それ等の方々にお目にかかるがよいであろう。何れもここにお揃いになっておられる・・・』
 そう言われて驚いて振り返ってみると、甲冑を付けた武将達だの、高級の天狗様だのが、数人樹の下に佇みて、笑顔で私達の様子を見守っておられましたが、中でも強く私の眼を惹いたのは、世にも気高い、若々しい実朝公のお姿でした・・・・。

 さなきだに不思議な妖精界の探検に、こんな意外の景物までも添えられ、心から驚き入ることのみ多かった故か、その日の私はいつに無く疲労を覚え、夢見心地でやっと修行場へ引き上げたことでございました。