自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 私は嬉しいのやら、悲しいのやら、自分にもよくは判らぬ気分で暫く辺りの景色に見とれていましたが、不図自分の住居のことが気になって来ました。
 『お爺さんは私の住居について何とも仰られなかったが、一体それはどこにあるのかしら・・・・』
 私は岩の上からあちこち見回しました。
 脚下は一帯の白砂で、そして自分の立っている岩の外にも幾つかの大きな岩があちこちに屹立(きつりつ)しており、それにはひねくれた松その他の常盤木が生えていましたが、不図気がついてみると、中で一番大きな彼方の岩山の裾に、一つの洞窟らしいものがあり、これに新しい注連縄(しめなわ)が張り巡らしてあるのでした。
 『きっとあれが私の住居に相違ない・・・・』
 私は急いで岩から降りてそこへ行ってみると、案に違わず岩山の底に八条敷程の洞窟が天然自然に出来ており、そしてそこには御神体をはじめ、私が日頃愛用の小机までが既にキチンと取り揃えられてありました。
 一目見て私は今度の住居が、心から好きになってしまいました。洞窟と言っても、それはよくよく浅いもので明るさは殆ど戸外と変わりなく、そしてそこから海までの距離がたった五、六間、辺りには綺麗な砂が敷き詰められていて、所々に美しい色彩の貝殻や香の強い海藻やが散らばっているのです。
 『まるきり三浦の海岸そっくり・・・・こんな場所なら、私はいつまでここに住んでもよい・・・』
 私は室を出たり、入ったり、暫く座ることも打ち忘れて小娘のようにはしゃいだことでした。
 今日から振り返って考えると、この海の修行場は私の為に神界で特に設けて下さったおさらいの場所とも言うべきものなのでございました。境遇は人の心を移すとやら、自分が現世時代に親しんだのとそっくりの景色の中にひしと抱かれて、別に為すこともなくたった一人で暮らしておりますと、考えはいつとはなしに遠い遠い昔に馳せ、ありとあらゆる、どんな細かい事柄までもはっきりと心の底に甦って来るのでした。紅い色の貝殻一つ、微かに響く松風一つが私にとりてどんなにも数多き思い出の種子だったでこざいましょう!それは丁度絵巻物を繰り広げるように、物心ついた小娘時代から三十四歳でみまかるまでの、私の生涯に起こった事柄が細大漏れなく、ここで復讐をさせられたのでした。
 で、この海の修行場は私にとりて一の涙の棄て場所でもありました。最初四辺の景色が気に入ってはしゃいだのはホンの束の間、後はただ思い出しては泣き、更に思い出しては泣き、よくもあれで涙が涸れなかったと思われる程泣いたのでございました。元来私は涙もろい女、今でも未だ泣く癖が止まりませぬが、しかしあの時程私が続けざまに泣いたこともなかったように覚えております。
 が、思い出すだけ思い出し、泣きたいだけ泣き尽くした時に、後には何ともいえぬしんみりと安らかな気分が私を見舞ってくれました。こんな意気地のない者に幾分か心の落ち着きが出て来たように思われるのは、確かにあの海の修行場で一生涯のおさらいをしたお蔭であると存じます。私は今でもあれが私にとりて何より有り難い修行場であったと感謝せずにはいられませぬ。尚ここはただ昔の思い出の場所であったばかりでなく、現世時代に関係のあった方々との面会の場所でもあり、私は随分色々な人達とここでお会いしました。標本として私があそこで実家の忠僕及び良人に会った話なりと致しましょうか。格別面白いこともございませぬが・・・。