自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
問『霊媒ホームの実験が、たまたまダービー競馬日に際会し、終に実験不能に終わったとの事であるが、かかるお祭騒ぎは幽明交通に有害か?』
悪霊の跳躍-ダービー競馬日の如き場合には、人間の道徳的均衡が攪乱されているので、我等として、地上との交通に至難を感ずる。かかる場合には、ほくそ笑むのは、低級未発達の悪霊どもである。かの投機的欲望によりて刺激されたる無数の民衆こそは、同じ欲望に燃えている下級霊にとりて、正に誂え向きの好餌である。一部の人間共は、飲酒の為に、前後不覚の昂奮状態に陥っている。他の一部は一攫萬金を夢見て、熱病患者の如く狂い回っている。他の一部は一切の資産を失って、絶望のどん底に呻いている。こんなのはちょっとした暗示、ちょっとした誘惑にも容易に動かされる。よしそうした劣情が、実際的に惹起されるまでに至らなくとも、兎に角人々の道徳的均衡が覆されているのは、甚だ危険である。平静と沈着とは、悪魔を防ぐ為の大切な楯で、一旦それに隙間が出来れば、未発達な悪霊どもが、洪水の如くそこから浸入する虞がある。
問『然らば国家の大祭日、国民的記念日等も有害か?』
祭日の悪用-必ずしも有害とは言わぬ。全ては祭日に処する人間の態度如何にかかる。羽目を外した昂奮、則を越えた置酒高會、動物的な欲情の満足-人間がこれに走れば、勿論祭日は有害である。しかしこれは祭日や、記念日が悪いのではなくて、これに臨む人間の用意に欠ける所があるのである。もしも人々が国家の大祭日に当たりて、肉体の休養と精神の慰安とに心を用いるなら、およそ天下にそれ程よきものはないのであろう。過度の労役の為に消耗せる体力が、心地よき安静によりて完全に本復せる時、はげしき屈託の為に鬱屈せる脳力が、適宜の娯楽によりて完全なる働きを取り戻した時こそは、他界の指導者が働きかけるのに、まさに絶好の機会なのである。そうした際には、上界の天使達の威力も思うがままに加わり、いかに凶暴なる魔軍といえども、到底これに一指を染め得ないであろう。折角の大祭日が暴飲暴食と、賭博と、淫楽とに空費せらるることは、たまたま地上の人類が、いかに神霊上の知識に欠けているかを証明するもので、我等としては全能力を挙げて、その刷新と改善とに当たらねばならぬ。
問『終日労役に服した後で、幽明交通を試みるのも、決して理想的でないと思うが、しかし日曜日は、却って一層神霊実験に適当せぬらしい・・・・』
日曜日の不利-げに日曜日は、我等にとりて好適な日とは言われない。精神肉体がその緊張を失えば、
その反動として安逸性が加倍し、我等として、これを使役して新規の現象の作製を試みる事は、大いに憚らねばならぬ。殊に物理的の心霊現象の作製には甚だ不向きで、強いてこれを行なえば、霊媒の肉体を毀損する患がないでもない。尚日曜日が不適当な事につきては、他にも特殊の理由がある。汝達の気付かぬ環境の悪化-これが我等の仕事を困難ならしめるのである。食事の直後に実験を行なう事の不利は、既に汝の熟知せる所であろう。要するに我等の求むる所は、受動的の敏感性であって、かの怠慢と無感覚より来る所の、単なる受動的状態ではない。刺激性の酒類を飲みながら、鈍重な食物で胃腸を充たした時に必ず随伴する、かのうとうとした状態-我等にとりて、これ以上始末に負えぬ状態は滅多にない。刺激性の飲料は、或る場合には、物理的表現の補助となるかも知れない。が、それは我等にとりて大々的障害である。何となれば、それは物欲に捕われたる悪霊の為に門戸を開くからで、我等の懸命の努力も、到底これをいかんともすることが出来ない。座(サークル)を組織する立会人中の、ただの一人がそれであっただけでも、しばしば万事水泡に帰せしむることがないではない。これを要するに日曜日は、心身の安逸と、過度に飲食から来る、無気力無感覚とが伴い勝ちであるから、心霊実験には、あまり面白いとは言われないのである。
問『食物の欠乏から来る心身の衰弱は如何?』
節制第一-我等の推奨する所は、ただ節制の一語に尽きる。肉体が食物の補給を必要とするは勿論なれど、ただそれが完全に消化した上でなければ、交霊実験を試みてはならぬ。次に又精神肉体が睡眠を求め、休養を求むる時には、又疾病苦悩に煩わされている時にも、我等の認可を受けた上でなければ、成るべく、交霊を差し控えるがよい。同様に肉体が食物で充填し切っている時も、兎角下級霊の為に先手を打たれ勝ちで甚だ困る。かの物理的心霊現象でさえもが、そうした場合に起こるのは、慨してお粗末で、精妙優雅の要素に欠けている。何れにしても、極端に走るのが良くない。断食の為に消耗し切っている肉体も、少しも使いよいとは言われないと同時に、暖衣飽食によりて、えごえごしている肉体も甚だ面白くない。友よ、もしも我等の仕事を容易ならしめ、最良最上の成績を挙げんとならば、須らく交霊会には肉体が健全円満で、感覚が敏活で、その上心が受動的である理想的な一人物を連れ来れ。その時は予想以上の花々しい仕事が出来る。更に又座を組織する立会人達の気分が、充分調和していてくれれば一層申し分がない。交霊会の席上に出現する燐光でさえもが、右に述べる如き好条件の下にありては、青く冴え亘って煙がない。これに反して条件が悪ければその光が鈍く汚く燻っている。
註-当時モーゼスの交霊会上には沢山の燐光が現れ、好条件の時にはその色が透明で、青味がかった黄色であり、然らざる時は赤っちゃけて燻っていたとの事である。
(評釈)ここに説いてある所は、正に幽明交通に関する、最も親切にして、要領を掴める虎の巻と称しても、決して過言でないと思う。心霊実験に何の理解も経験もない者は、決まり切って霊媒のみを責め、全てがこれに掛かっているように考えるが、これはとんでもない心得違いである。環境が悪ければ、いかなる名霊媒だって施す術がない。それは丁度空中放電その他の場合に、ラジオに故障を生ずると同様であろう。これと同時に霊媒の方でも、常に最大の注意と節制とを守るのが必要で、どんな天分の優れた人物でも、一旦堕落したが最後、碌な働きは出来なくなるに決まっている。『肉体が健全で、感覚が鋭敏で、その上心が受動的』-誠に困難な注文であるが、実際それでなければ、完全に顕幽の境を突破して、百代に光り輝くような優れた通信、優れた現象は獲られそうもない。断食に対する注意なども、非常に穏当な意見である。バラモン式の難行苦行が、寧ろ百弊の基であることは、私自身の経験から言っても動かし難いところである。日本にはまだそうした僻見(へきけん)の捕虜となっているものが、中々多いらしいから、特にこの一章の精読を希望して止まぬ次第である。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
問『霊媒ホームの実験が、たまたまダービー競馬日に際会し、終に実験不能に終わったとの事であるが、かかるお祭騒ぎは幽明交通に有害か?』
悪霊の跳躍-ダービー競馬日の如き場合には、人間の道徳的均衡が攪乱されているので、我等として、地上との交通に至難を感ずる。かかる場合には、ほくそ笑むのは、低級未発達の悪霊どもである。かの投機的欲望によりて刺激されたる無数の民衆こそは、同じ欲望に燃えている下級霊にとりて、正に誂え向きの好餌である。一部の人間共は、飲酒の為に、前後不覚の昂奮状態に陥っている。他の一部は一攫萬金を夢見て、熱病患者の如く狂い回っている。他の一部は一切の資産を失って、絶望のどん底に呻いている。こんなのはちょっとした暗示、ちょっとした誘惑にも容易に動かされる。よしそうした劣情が、実際的に惹起されるまでに至らなくとも、兎に角人々の道徳的均衡が覆されているのは、甚だ危険である。平静と沈着とは、悪魔を防ぐ為の大切な楯で、一旦それに隙間が出来れば、未発達な悪霊どもが、洪水の如くそこから浸入する虞がある。
問『然らば国家の大祭日、国民的記念日等も有害か?』
祭日の悪用-必ずしも有害とは言わぬ。全ては祭日に処する人間の態度如何にかかる。羽目を外した昂奮、則を越えた置酒高會、動物的な欲情の満足-人間がこれに走れば、勿論祭日は有害である。しかしこれは祭日や、記念日が悪いのではなくて、これに臨む人間の用意に欠ける所があるのである。もしも人々が国家の大祭日に当たりて、肉体の休養と精神の慰安とに心を用いるなら、およそ天下にそれ程よきものはないのであろう。過度の労役の為に消耗せる体力が、心地よき安静によりて完全に本復せる時、はげしき屈託の為に鬱屈せる脳力が、適宜の娯楽によりて完全なる働きを取り戻した時こそは、他界の指導者が働きかけるのに、まさに絶好の機会なのである。そうした際には、上界の天使達の威力も思うがままに加わり、いかに凶暴なる魔軍といえども、到底これに一指を染め得ないであろう。折角の大祭日が暴飲暴食と、賭博と、淫楽とに空費せらるることは、たまたま地上の人類が、いかに神霊上の知識に欠けているかを証明するもので、我等としては全能力を挙げて、その刷新と改善とに当たらねばならぬ。
問『終日労役に服した後で、幽明交通を試みるのも、決して理想的でないと思うが、しかし日曜日は、却って一層神霊実験に適当せぬらしい・・・・』
日曜日の不利-げに日曜日は、我等にとりて好適な日とは言われない。精神肉体がその緊張を失えば、
その反動として安逸性が加倍し、我等として、これを使役して新規の現象の作製を試みる事は、大いに憚らねばならぬ。殊に物理的の心霊現象の作製には甚だ不向きで、強いてこれを行なえば、霊媒の肉体を毀損する患がないでもない。尚日曜日が不適当な事につきては、他にも特殊の理由がある。汝達の気付かぬ環境の悪化-これが我等の仕事を困難ならしめるのである。食事の直後に実験を行なう事の不利は、既に汝の熟知せる所であろう。要するに我等の求むる所は、受動的の敏感性であって、かの怠慢と無感覚より来る所の、単なる受動的状態ではない。刺激性の酒類を飲みながら、鈍重な食物で胃腸を充たした時に必ず随伴する、かのうとうとした状態-我等にとりて、これ以上始末に負えぬ状態は滅多にない。刺激性の飲料は、或る場合には、物理的表現の補助となるかも知れない。が、それは我等にとりて大々的障害である。何となれば、それは物欲に捕われたる悪霊の為に門戸を開くからで、我等の懸命の努力も、到底これをいかんともすることが出来ない。座(サークル)を組織する立会人中の、ただの一人がそれであっただけでも、しばしば万事水泡に帰せしむることがないではない。これを要するに日曜日は、心身の安逸と、過度に飲食から来る、無気力無感覚とが伴い勝ちであるから、心霊実験には、あまり面白いとは言われないのである。
問『食物の欠乏から来る心身の衰弱は如何?』
節制第一-我等の推奨する所は、ただ節制の一語に尽きる。肉体が食物の補給を必要とするは勿論なれど、ただそれが完全に消化した上でなければ、交霊実験を試みてはならぬ。次に又精神肉体が睡眠を求め、休養を求むる時には、又疾病苦悩に煩わされている時にも、我等の認可を受けた上でなければ、成るべく、交霊を差し控えるがよい。同様に肉体が食物で充填し切っている時も、兎角下級霊の為に先手を打たれ勝ちで甚だ困る。かの物理的心霊現象でさえもが、そうした場合に起こるのは、慨してお粗末で、精妙優雅の要素に欠けている。何れにしても、極端に走るのが良くない。断食の為に消耗し切っている肉体も、少しも使いよいとは言われないと同時に、暖衣飽食によりて、えごえごしている肉体も甚だ面白くない。友よ、もしも我等の仕事を容易ならしめ、最良最上の成績を挙げんとならば、須らく交霊会には肉体が健全円満で、感覚が敏活で、その上心が受動的である理想的な一人物を連れ来れ。その時は予想以上の花々しい仕事が出来る。更に又座を組織する立会人達の気分が、充分調和していてくれれば一層申し分がない。交霊会の席上に出現する燐光でさえもが、右に述べる如き好条件の下にありては、青く冴え亘って煙がない。これに反して条件が悪ければその光が鈍く汚く燻っている。
註-当時モーゼスの交霊会上には沢山の燐光が現れ、好条件の時にはその色が透明で、青味がかった黄色であり、然らざる時は赤っちゃけて燻っていたとの事である。
(評釈)ここに説いてある所は、正に幽明交通に関する、最も親切にして、要領を掴める虎の巻と称しても、決して過言でないと思う。心霊実験に何の理解も経験もない者は、決まり切って霊媒のみを責め、全てがこれに掛かっているように考えるが、これはとんでもない心得違いである。環境が悪ければ、いかなる名霊媒だって施す術がない。それは丁度空中放電その他の場合に、ラジオに故障を生ずると同様であろう。これと同時に霊媒の方でも、常に最大の注意と節制とを守るのが必要で、どんな天分の優れた人物でも、一旦堕落したが最後、碌な働きは出来なくなるに決まっている。『肉体が健全で、感覚が鋭敏で、その上心が受動的』-誠に困難な注文であるが、実際それでなければ、完全に顕幽の境を突破して、百代に光り輝くような優れた通信、優れた現象は獲られそうもない。断食に対する注意なども、非常に穏当な意見である。バラモン式の難行苦行が、寧ろ百弊の基であることは、私自身の経験から言っても動かし難いところである。日本にはまだそうした僻見(へきけん)の捕虜となっているものが、中々多いらしいから、特にこの一章の精読を希望して止まぬ次第である。
