自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
1926年のある寒き二月の午後、スコット女史は、その二人の心霊友達と卓子を囲みて、交通実験を試みた。別に誰の霊魂を呼んでみようという考えもなく、ただ習慣的に祈祷の文句を述べたのであった。すると間もなく、卓子が非常に断乎たる態度で傾き出した。
かねて規定の符徴を用いて卓子が綴った文字はWSTの三字であった。これでは何の意味だか判らぬので、三人は卓子に憑れる霊魂に向かって抗議を申し込み、今の文字は何かの誤謬ではないかと言った。しかし卓子はさもじれったそうに再び綴ったが、それは依然としてWTSTであった。
三人は色々相談したがやはり判らない。ままよ卓子の好きなように、動かせてみようという事になった。すると今度はもっと丁寧にW.T.STEAD.と立派に綴った。
こうなっては最早疑いの余地がない。これは有り難いと三人は有頂天になって歓んだ。が、念の為に訊いた。『あなたは本当にステッドさんですか?』-すると卓子はそれに相違なき旨を肯定した。
ところで右の三人は何れも生前ステッドとは赤の他人であった。『彼がポール・モール・ガゼット』紙の主筆であったこと、『評論之評論』誌の創立者であったこと、位はよく知っていたがただ一度の面識さえなかった。
ステッドの霊魂は三人の研究を助けるべく現れて来た旨を告げて、こんな注意を与えた。
『心を平静にしていなさい。出来るか、出来ないか、判らないが、私から通信を送ってみます。丁度写真みたいに・・・』
しかし三人の精神状態はその日余り昂奮していたので、さっぱり要領を得られなかった。ステッドはさも失望したらしく、『ドウもあなた方の心が緊張し過ぎていて困る。明日やり直しをしましょう』と綴った。
翌日の卓子実験も甘く行かなかった。で、その時スコット女史は自動書記で通信を試みてくれないかとステッドの霊魂に請求した。『宜しい』という返答なので、女史は二月二十五日の午前を以っていよいよ自動書記の実験を行なった。すると早速ステッドからの通信が現れた。最初のは至極簡単なものであった。-
ステッド『私はここに居ります』
女史『ドウしてあなたは私達の所へお出でくだすったのです?』
ステッド『あなた方が求めたからです。私はあなた方の思想に触れ、それに応じたまでです。あなた方は私の名前を覚えていて歓迎してくれました。私は前回、あなた方の心に、一つの通信を印象しようとしたが成功しませんでした。私の通信というのはこんなものでした。-求めよ、然らば与えられん。捜せよ、然らば見出されん。叩けよ、然らば開かれん』
こんな事がきっかけでスコット女史を通じて、ステッドの興味ある自動書記の通信が出現することになったのであった。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
1926年のある寒き二月の午後、スコット女史は、その二人の心霊友達と卓子を囲みて、交通実験を試みた。別に誰の霊魂を呼んでみようという考えもなく、ただ習慣的に祈祷の文句を述べたのであった。すると間もなく、卓子が非常に断乎たる態度で傾き出した。
かねて規定の符徴を用いて卓子が綴った文字はWSTの三字であった。これでは何の意味だか判らぬので、三人は卓子に憑れる霊魂に向かって抗議を申し込み、今の文字は何かの誤謬ではないかと言った。しかし卓子はさもじれったそうに再び綴ったが、それは依然としてWTSTであった。
三人は色々相談したがやはり判らない。ままよ卓子の好きなように、動かせてみようという事になった。すると今度はもっと丁寧にW.T.STEAD.と立派に綴った。
こうなっては最早疑いの余地がない。これは有り難いと三人は有頂天になって歓んだ。が、念の為に訊いた。『あなたは本当にステッドさんですか?』-すると卓子はそれに相違なき旨を肯定した。
ところで右の三人は何れも生前ステッドとは赤の他人であった。『彼がポール・モール・ガゼット』紙の主筆であったこと、『評論之評論』誌の創立者であったこと、位はよく知っていたがただ一度の面識さえなかった。
ステッドの霊魂は三人の研究を助けるべく現れて来た旨を告げて、こんな注意を与えた。
『心を平静にしていなさい。出来るか、出来ないか、判らないが、私から通信を送ってみます。丁度写真みたいに・・・』
しかし三人の精神状態はその日余り昂奮していたので、さっぱり要領を得られなかった。ステッドはさも失望したらしく、『ドウもあなた方の心が緊張し過ぎていて困る。明日やり直しをしましょう』と綴った。
翌日の卓子実験も甘く行かなかった。で、その時スコット女史は自動書記で通信を試みてくれないかとステッドの霊魂に請求した。『宜しい』という返答なので、女史は二月二十五日の午前を以っていよいよ自動書記の実験を行なった。すると早速ステッドからの通信が現れた。最初のは至極簡単なものであった。-
ステッド『私はここに居ります』
女史『ドウしてあなたは私達の所へお出でくだすったのです?』
ステッド『あなた方が求めたからです。私はあなた方の思想に触れ、それに応じたまでです。あなた方は私の名前を覚えていて歓迎してくれました。私は前回、あなた方の心に、一つの通信を印象しようとしたが成功しませんでした。私の通信というのはこんなものでした。-求めよ、然らば与えられん。捜せよ、然らば見出されん。叩けよ、然らば開かれん』
こんな事がきっかけでスコット女史を通じて、ステッドの興味ある自動書記の通信が出現することになったのであった。