自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

ステッド『我々の生命は神意の様々の表現である。生命がつまらないものから生まれるのは、丁度花が地から生まれるようなものである。地上生活にありても幸福の量は不幸の量に比して遙かに多いが、幽界生活の幸福は更に多大で、到底肉体を持っている人間の想像し得る限りでない。蓋し我々が事物を翫賞(がんしょう)し、享楽する能力を次第に加えて来たからである。地上の快楽には苦痛の陰影を伴ったが、ここでは光があって影がない。
 個々は過去を振り返ってみる時に、初めて信仰の意義、信仰の価値を知ることが出来る。信仰とは自己より偉大なる、ある者の存在を承認することである。彼はその大なるものにもたれて生き、その大なるものを信じて死ぬのだ。
 彼はもとよりその信じる者を充分に理解し得る程聡明ではなかった。彼は自分の面影に似せて神を造った。そして暗中模索の長年月を閲した後に、次第により純な、そしてより高き観念を贏ち得ることが出来た。根本に於いて何よりも大切なことはあくまで向上前進の歩行を緩めぬことであった。彼の躓き勝ちな進みの背後には常に信仰の刺激があった。一見彼は泥澤の中に引き入れられそうに見えたが、次第に確実なる地盤へと引き上げられて行った。一見すれば盲者の妄動と思われたが、自身の中にある強力な指導者を藏していた。発達の主因は常に信仰である、光の法則である。それは創世以来常に働いていた。無智の闇の中にも、煩悶の霧の中にも、いかなる場所にも、又いかなる仕事にも・・・』(三月十五日)