自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

ステッド『霊界に於いては全てが永久に保存される。-これは事実であるが、ただ過去が化石状態で保存されるというのとはすっかり意味が違う。我々が過去を振り返る時に、いかなる時代のいかなる事件もまざまざと出現する。過去の頁がさながらの披かれ、ありし日の事件が実地に再現する。印刷された書物のような、あんな鈍重なものとは訳が違う。どんな昔の人物でもが活きて、動いて、立派に実在する。-商人はその帳場に働き、小僧は街衢(がいく)を馳せ周り、家婦は門口で物を買う。絵画かも知れないが、それは動く絵画だ・・・イヤ絵画でなくて実物そのままだ。
 これと同様に我々は又将来を望むことも出来る。将来も同じく一の活歴史だ。私には今後に於いて何が欧州に起こり、何がアメリカに起こるかが判っている。が、あなた方の心が現在の実物にすっかり占領されているので、あなた方は到底これを認知し得ない。昔からよくいう予言-あれは幽界の居住者にして未来を眺めたものが、不透明な霊媒を通じてその知識を地上に伝えたものに過ぎない。ホンの少数の優れた霊魂のみが、時折世を照らす箴言(しんげん)を見出しえる。が、実に精確無比の予言を伝達することは困難である。もしもジェレー博士の、こちらで試みつつある実験が成功すれば、もっと優れた、もっと精確な、そしてもっと他を首肯せしむる通信がやれるようになるであろう。その時こそ初めて我々は地上の人々の要求する通りの証拠を提供することも出来るであろう。但し、その時でもやはり懐疑論者は決して種切れにはなるまい。彼等はきっと何とか理屈をつけてその握り潰しにかかるであろう。死者が生き返って見せたところで信じない者は信じない。
 兎に角証拠はますます現れるが、証拠と信仰とが別物であることは前に述べた通りである。信仰は人の霊性の一部分であって、外部からは付け加えられない。
 いかに絶望を味わっても、悲惨を嘗めても、人間は神に対する信仰を失わない。彼は神が自己の苦労煩悶に対して責任あるとは感じない。苦労煩悶は地上生活につきものであるから、それが多ければ多い程ますます隠れ家を神に求むるべきだと感ずる。かくして彼は神を礼拝し、これによりて助けられ、これによりて慰められる。神につきての彼の観念は甚だ不徹底であるが、それにも係わらず、その観念こそ彼にとりて眼に見えざる、しかし最も力強き杖であり又柱であるのだ』(四月十日)