自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
次に述べる所は、各自の魂が順次に通過すべき世界の行程表である。
(一)物質界
(二)冥府又は中間境
(三)夢幻界
(四)色彩界
(五)光焔界
(六)光明界
(七)超越界
各界の中間には、悉く冥府又は中間境がある。それぞれの魂はこれで何れも過去の経験を回顧検閲して今後の方針を定め、或る者は上昇し、或る者は下降するのである。
第一の物質界は所謂物質的関係に宿りて、一切の経験を積む境地である。こうした経験は、必ずしも地球上の生活には限られない。或る者は数多き星辰の世界に於いて、同様の経験を積むのである。無論それ等の世界の住人の肉体は、地上の人間のそれに比して振動数の多いのも又少ないのもあるが、大体これを『物質的』という文字を以って表現して差し支えなき種類のものである。
第三の夢幻界というのは、物質界で送った生活と連関せる仮相の世界と思えばよい。
第四の色彩界に於いては各自は漸く間隔と絶縁し、主として意念によりて直接に支配せられることになる。ここではまだ形態が付随している。従って一種の物質的存在には相違ないが、しかしそれは非常に稀薄精妙な物体で、寧ろこれを『気』とでもいうべきであろう。この色彩界はまだ地球、又はそれぞれの星辰の雰囲気内にある。
第五の光焔界に於いて、各自の魂は初めて自我の天分職責を自覚し、同時に自己と同系に属する、他の魂達の情的生活にも通暁し得ることになる。
第六の光明界に於いて、各自の魂は初めて自我の本体-本霊から分れたる類魂(同系統の魂達)の智的生活に通暁し得、同時に地上生活を送りつつある、同系統の魂の情的生活にも通暁することが出来る。
最後の超越界は無上の理想境である。本霊並に本霊から分れたる類魂は、悉く合一融合して大我、神の意念の中に流れ込む。そこには過去、現世、未来の区別もなく、一切の存在が完全に意識される。それが真の実在であり、実相である。
(評釈)死後のマイヤースも、やはり西洋の心霊家らしく、全てを七つの界に分類しているが、これには確かに多少の無理があるように思う。冥府又は中間境は各界の中間に必ず存在するという以上、当然この外に四つの界を殖やすべきで、表面的に強いて七つに並べたところで仕方がないではあるまいか。又夢幻界、色彩界、光焔界の区別も余りに煩瑣(はんさ)で、いささか分明を欠く虞はないか。夢幻といい、色彩といい、又光焔といい、何れも仮相であって、結局感情の歪みの所産に過ぎない。各自の区別はただ程度の相違に過ぎないようである。
かく考えた時に、やはり私の試みつつある分類法、即ち全てを物質界、幽界、霊界、神界に大別する方が、実際的に甚だ簡明直截(ちょくせつ)であるかと信ずる。試みにここに掲げた七つの世界を、私の分類法に割り当てたら、次のようになるであろう。
(一)物質界-(1)物質界(主として欲望の世界)
(三)夢幻界
(四)色彩界
(五)光焔界
(三と四と五)-(2)幽界(主として感情の世界)
(六)光明界-(3)霊界(主として理性の世界)
(七)超越界-(4)神界(主として叡智の世界)
冥府又は中間境は、要するにどづちつかずの過渡期であるから、これを一の独立界として取り扱わぬ方が正当であろうと思う。もしドウあってもそれを表示したいというなら、各界の中間にそれぞれ亜幽界、亜霊界、亜神界と言ったような名称のものを挿入すればよいかと思う。これを要するに各界の分類法は、取り扱うものの便宜上決められるもので、これを粗く分けようと、又細かく分けようと、それはめいめいの勝手である。決して数などに拘泥すべきではあるまいと信ずる。仏教徒の霊界通信の中には、超現象界を百八界に分類するものなどを見受けるが、これも無論本人の主観の現れに過ぎないと思う。
ここに甚だ面白いのは、マイヤースの類魂説である。彼は生前からこれを唱えたが、死後の通信にも依然これを主張している。類魂(グループソール)とは結局同一自我(本霊)の流れを汲める同系統の霊魂達を指すので、私の提唱せる創造的再生説は、又もやここに一の有力なる支持者を見出した訳である。尚この類魂につきては、先へ行って詳しい説明がある。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
次に述べる所は、各自の魂が順次に通過すべき世界の行程表である。
(一)物質界
(二)冥府又は中間境
(三)夢幻界
(四)色彩界
(五)光焔界
(六)光明界
(七)超越界
各界の中間には、悉く冥府又は中間境がある。それぞれの魂はこれで何れも過去の経験を回顧検閲して今後の方針を定め、或る者は上昇し、或る者は下降するのである。
第一の物質界は所謂物質的関係に宿りて、一切の経験を積む境地である。こうした経験は、必ずしも地球上の生活には限られない。或る者は数多き星辰の世界に於いて、同様の経験を積むのである。無論それ等の世界の住人の肉体は、地上の人間のそれに比して振動数の多いのも又少ないのもあるが、大体これを『物質的』という文字を以って表現して差し支えなき種類のものである。
第三の夢幻界というのは、物質界で送った生活と連関せる仮相の世界と思えばよい。
第四の色彩界に於いては各自は漸く間隔と絶縁し、主として意念によりて直接に支配せられることになる。ここではまだ形態が付随している。従って一種の物質的存在には相違ないが、しかしそれは非常に稀薄精妙な物体で、寧ろこれを『気』とでもいうべきであろう。この色彩界はまだ地球、又はそれぞれの星辰の雰囲気内にある。
第五の光焔界に於いて、各自の魂は初めて自我の天分職責を自覚し、同時に自己と同系に属する、他の魂達の情的生活にも通暁し得ることになる。
第六の光明界に於いて、各自の魂は初めて自我の本体-本霊から分れたる類魂(同系統の魂達)の智的生活に通暁し得、同時に地上生活を送りつつある、同系統の魂の情的生活にも通暁することが出来る。
最後の超越界は無上の理想境である。本霊並に本霊から分れたる類魂は、悉く合一融合して大我、神の意念の中に流れ込む。そこには過去、現世、未来の区別もなく、一切の存在が完全に意識される。それが真の実在であり、実相である。
(評釈)死後のマイヤースも、やはり西洋の心霊家らしく、全てを七つの界に分類しているが、これには確かに多少の無理があるように思う。冥府又は中間境は各界の中間に必ず存在するという以上、当然この外に四つの界を殖やすべきで、表面的に強いて七つに並べたところで仕方がないではあるまいか。又夢幻界、色彩界、光焔界の区別も余りに煩瑣(はんさ)で、いささか分明を欠く虞はないか。夢幻といい、色彩といい、又光焔といい、何れも仮相であって、結局感情の歪みの所産に過ぎない。各自の区別はただ程度の相違に過ぎないようである。
かく考えた時に、やはり私の試みつつある分類法、即ち全てを物質界、幽界、霊界、神界に大別する方が、実際的に甚だ簡明直截(ちょくせつ)であるかと信ずる。試みにここに掲げた七つの世界を、私の分類法に割り当てたら、次のようになるであろう。
(一)物質界-(1)物質界(主として欲望の世界)
(三)夢幻界
(四)色彩界
(五)光焔界
(三と四と五)-(2)幽界(主として感情の世界)
(六)光明界-(3)霊界(主として理性の世界)
(七)超越界-(4)神界(主として叡智の世界)
冥府又は中間境は、要するにどづちつかずの過渡期であるから、これを一の独立界として取り扱わぬ方が正当であろうと思う。もしドウあってもそれを表示したいというなら、各界の中間にそれぞれ亜幽界、亜霊界、亜神界と言ったような名称のものを挿入すればよいかと思う。これを要するに各界の分類法は、取り扱うものの便宜上決められるもので、これを粗く分けようと、又細かく分けようと、それはめいめいの勝手である。決して数などに拘泥すべきではあるまいと信ずる。仏教徒の霊界通信の中には、超現象界を百八界に分類するものなどを見受けるが、これも無論本人の主観の現れに過ぎないと思う。
ここに甚だ面白いのは、マイヤースの類魂説である。彼は生前からこれを唱えたが、死後の通信にも依然これを主張している。類魂(グループソール)とは結局同一自我(本霊)の流れを汲める同系統の霊魂達を指すので、私の提唱せる創造的再生説は、又もやここに一の有力なる支持者を見出した訳である。尚この類魂につきては、先へ行って詳しい説明がある。