自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 右の冥府滞在中に、各自の魂はその不純性の幽的形態から離脱し、今度は夢幻界特有のエーテル体に宿ることになる。前にも述べた通り、ここは反映の反映、夢の地上生活を再び夢見る境涯であるから、ここに留まる限り、各自に平和と満足とを満喫し得る。が、この種の平和には早晩倦きが来る。何となれば楽しき夢の国には、何等の進歩も、又何等の変化も見出されないからである。試みに思え、見るもの、聞くもの悉く地上そっくりの境地である。成る程そこには金銭上の心配もなければ、又その日その日のパンを獲る為の苦労も要らない。そしてそのエーテル体は、太陽の光とも又違った一種の独特の和かい光で温められる。お負けにそこには元気も生命も充実し又何の苦痛も格闘もない。例えてみれば、それは丁度沼の中の生活である。あまり静寂で、そしてあまりに窮屈で、終いには誰でもウンザリして来る。誰でも奮闘、努力、強い刺激、広い眼界が望ましくなって来る。この自覚が起こった時こそ、彼の前進の合図である。昇るか、降りるか、兎に角いずれにか動き出すのである。
 (評釈)前に述べた記憶の図の再説に過ぎないから、別に取り立てて言うべきこともない。しかしこの生活を沼の中の生活に譬えたのは、頗る面白い観方であると思う。