自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
私は夢の国、記憶の国には進歩がないと述べたが、それには一面からいえば多少の語弊がある。実はただ進歩がないように見えるというまでの話である。冥府を過ぎてあの境涯に入った魂は、暫くの間至極平静な状態に置かれ、何等の煩悶も焦燥もないのであるが、やがて時が来ると、暫く潜んでいた欲望が、又もや暴れ出して折角の楽しい夢を破ってしまう。一時は肉の人にとりて、夢の国程結構な境涯はないように見える。何となれば一切の欲望が、何等の苦労も、何等の努力もなしに、易々と遂げられるからである。しかしその結果、飽満の感じの起こるのも又割合に早い。飽満の次に来るものは決まり切って倦怠であり、新しい生活がしきりに望ましくなり、こんな途中の休憩所が、たまらなく退屈に感じられて来る。要するに現世的空夢にも結局限度があることが判って来て、ここに進歩が遂げられる次第なのである。
多くの『肉の人』は、まだまだここですっかり解脱するまでには至らないであろう。夢の国で味わった快楽を、モウ一度地上の肉体に宿って、しんみり味わい直してみたいと考えるであろう。その結果彼は再び下界に降りる。が、それは上昇せんが為の下降である。夢の国に於ける十二分の経験の結果、彼の自我性の中の、より高尚な部分が呼び覚まされている。従ってその分霊が地上に再生するに際し、今度は『肉の人』ではなくて、『魂の人』になっているかも知れない。少なくともその動物性は、いつの間にやら飽くほど減らされており、従って生まれ変わった彼は、前世よりもずっと高尚な地上生活を営むことになるという次第である。こんな次第で『常夏の国』というのは、つまり地上生活の夢の世界、回顧の世界であり、決して冥府でも、地獄でも、又極楽でもないのである。徹底的に地上生活のおさらいをするから、日頃胸底に仕舞い込んであった一切の思想、感情、欲望等が充分に整理され、又満足され、ここに一歩向上の途へと進み得る段取りとなるのである。
(評釈)人為的の戒律は兎角『べからず』主義で固めてあるが、大自然の戒律は甚だ大規模に出来ているらしい。『やたらに抑えたところでとてもダメである。欲望などというものは、これを満喫させれば自然に収まるものだ・・・・』大体そう言った筆法であるらしい。そこへ行くと、人間界でも苦労人と言われる人達程、這間の呼吸を呑み込んでいる。そしてよく『若い内には道楽もちょっとは仕方がないさ。しかし深みに落っこっちゃいけないぜ・・・』などと忠告する。マイヤースの描いている『夢の国』の生活も、そう考えた時に、大いに意味がある。私自身の心霊実験から推定しても、死後の世界は、決して在来の宗教者流が描いているような、あんな一本調子の窮屈極まるものではないらしい。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
私は夢の国、記憶の国には進歩がないと述べたが、それには一面からいえば多少の語弊がある。実はただ進歩がないように見えるというまでの話である。冥府を過ぎてあの境涯に入った魂は、暫くの間至極平静な状態に置かれ、何等の煩悶も焦燥もないのであるが、やがて時が来ると、暫く潜んでいた欲望が、又もや暴れ出して折角の楽しい夢を破ってしまう。一時は肉の人にとりて、夢の国程結構な境涯はないように見える。何となれば一切の欲望が、何等の苦労も、何等の努力もなしに、易々と遂げられるからである。しかしその結果、飽満の感じの起こるのも又割合に早い。飽満の次に来るものは決まり切って倦怠であり、新しい生活がしきりに望ましくなり、こんな途中の休憩所が、たまらなく退屈に感じられて来る。要するに現世的空夢にも結局限度があることが判って来て、ここに進歩が遂げられる次第なのである。
多くの『肉の人』は、まだまだここですっかり解脱するまでには至らないであろう。夢の国で味わった快楽を、モウ一度地上の肉体に宿って、しんみり味わい直してみたいと考えるであろう。その結果彼は再び下界に降りる。が、それは上昇せんが為の下降である。夢の国に於ける十二分の経験の結果、彼の自我性の中の、より高尚な部分が呼び覚まされている。従ってその分霊が地上に再生するに際し、今度は『肉の人』ではなくて、『魂の人』になっているかも知れない。少なくともその動物性は、いつの間にやら飽くほど減らされており、従って生まれ変わった彼は、前世よりもずっと高尚な地上生活を営むことになるという次第である。こんな次第で『常夏の国』というのは、つまり地上生活の夢の世界、回顧の世界であり、決して冥府でも、地獄でも、又極楽でもないのである。徹底的に地上生活のおさらいをするから、日頃胸底に仕舞い込んであった一切の思想、感情、欲望等が充分に整理され、又満足され、ここに一歩向上の途へと進み得る段取りとなるのである。
(評釈)人為的の戒律は兎角『べからず』主義で固めてあるが、大自然の戒律は甚だ大規模に出来ているらしい。『やたらに抑えたところでとてもダメである。欲望などというものは、これを満喫させれば自然に収まるものだ・・・・』大体そう言った筆法であるらしい。そこへ行くと、人間界でも苦労人と言われる人達程、這間の呼吸を呑み込んでいる。そしてよく『若い内には道楽もちょっとは仕方がないさ。しかし深みに落っこっちゃいけないぜ・・・』などと忠告する。マイヤースの描いている『夢の国』の生活も、そう考えた時に、大いに意味がある。私自身の心霊実験から推定しても、死後の世界は、決して在来の宗教者流が描いているような、あんな一本調子の窮屈極まるものではないらしい。