自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 私は冥府に於ける複雑極まる状況の十分の一をも、ここに伝えることは出来ない。私はただ一標本として、地上で月並な生活を送れる、普通人の行動を辿って見るに止めよう。
 この影の世界に於ける魂の滞在期間は、めいめい異なっている。血族的又は霊的の親しき人達の姿に接し、中にはそれ等と多少の交渉を開いた後で、彼は一種の平和な休息状態・・・自分の過去の経歴の断片が、何の関与も、又恐怖も誘わずに、殆ど無意味に、チラチラ眼に映ずる半睡半夢の状態に於いて、几帳の蔭にでも横臥しているような生活を経験するのである。それは丁度睡魔を誘う真夏の午後、陽光下に煌く景色をば、うつらうつらと眺め入るのにも似ていよう。彼は全然全てから隔離された、夢幻の境に於いて、自分の行動をも、又自分の経歴に関与した他の人達をも、いとど心静かに見物し、又批判しているのである。
 これを一言にして尽くせば、この冥府の生活は一の『蔭芝居』といえるであろう。無論この芝居見物の反応は各人各様である。或者はこれにつきて、殆ど何等の記憶をも有っていない。他の或者は飽くまで平静閑寂な環境に引きづられて、一向ポカンとして、何を見ても嬉しいとも悲しいとも感じない。が、それにも係わらず、浄化作業は着々として進展を続け、そのエーテル体は、粗末な外殻の中から次第次第に脱出する。つまり丁度肩から古外套をかなぐり棄てるような按配に、いつしか魂は地上から持ち越しの殻を、かなぐり棄ててしまうのである。全ては上方から射す霊の光がしてくれる仕業で、自力の仕業ではないのである。
 兎に角、向上の旅客が、一旦その外殻-自分を地上に繋ぎ止める絆ともいうべき、その古外套を放棄したとなれば、彼はいつしか第三界(夢幻界)に進入して、完全なる意識を回復する。そしてこの綺麗に掃除された複体こそ、彼が次の世界で運用する機関となるのである。
 この影の世界に於ける作業は地上の時間で、通例三、四日で終了するが、尋常でない一部の男女の中には、もっともっと長い期間冥府に滞在し、不気味な恰好をして、ノソノソと顕幽の境界付近を歩き回り、そこで色々の妖怪変化-人間の苦悩の種子を蒔き散らし、人間の理性をくらますのを天分としているところの、不思議千万なる幽的存在物-との交渉を開くのもある。しかし、そんな事は、よくよく心懸の悪かった人達の自業自得で、普通の帰幽者達は、少しもそれ等の怪物に煩わされることなく、何の苦痛も煩悶もなしに、夕闇の迫るが如き夢の世界を、安穏無事に通過するのである。
 (評釈)帰幽後何人も通過すべき、一種の中間的準備時代の簡単な記述である。これが果して一般通則と認めて良いか否かは、今の所ではまだ充分の資料が集まっていないが、大体これに類した経験が、死の直後に伴うことは争われないようである。