自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
野心の彼方に、ありとあらゆる利己主義の彼方に、もがき争い、又飽くことを知らざる欲求の彼方に、永遠の強き力を以って、因縁の魂と魂とを引き寄せる不可思議の存在-愛がある。愛は死よりも強く、失望をも征服し、その他有限の世界に見出される物という物は、悉くその敵でない。愛こそは正に一つの立派な宇宙的原則である。それは未来永劫、汝の為に織り出されつつある『因縁の図案』の背後の力である。
普通人にとりて、死は恐怖の種子である。死は一見いかにも寂しそうに思われるからであろう。が、死の真相に通ずれば、恐る恐る必要は少しもない。因縁の人達、換言すれば自分の愛する人達との永久の別離は、何等根底のなき一片の杞憂に過ぎない。死後彼が何所へ行こうとも、彼は永久にその所属の活動範囲から脱出する事は出来ない。一時的の行方不明は或は免れぬにしても、自分の生涯の模様の中に織り込まれたる因縁の人達、過去に於いて愛し、愛されたゆかりの魂は、未来に於いて必ず又巡り合うべき運命を有っているのである。
言うまでもなく、未発達の原始的人物の愛は、浅薄にして偏狭であるを免れない。彼等には全身全霊的真愛が、向上の第一義であることを理解するだけの心の深みがない。換言すれば、彼等には真愛の中に永生の種子が宿っていることを会得する力がない。そう言った幼弱な魂は、しばしば強烈なる憎悪と怨恨との捕虜となり、第三界に行ってからも、依然としてそのままの争闘を繰り返している。そしてうっかりすれば、彼等は再び地上に再生して、そこで又もや昔日の怨みを晴らそうとする。仏家の所謂修羅道とはこれを指すのであろう。これを食い止めるのは、勿論精神的の進歩向上、愛の法則の普及浸潤以外に何物もない。で、何人も愛の法則を会得することが先決問題である。それさえ出来れば、そこに死の恐怖の必要は何所にもない。何となれば、よしや彼が一足先へあの世へ旅立ったとしても、彼と同一因縁に結ばれた人、従って彼の真の同属が即座に彼に結び付き、死の彼岸に横たわる大々的冒険の指導者となってくれるからである。
死は寧ろ汝の友人であり、又汝の救済者である。何となれば、地上の愛につきものの闇と汚れとは、死と共に煙散霧消するからである。
(評釈)愛とは結局心と心との共鳴であり、感応である。従ってその人の発揮する愛を以って、人生に於けるその人の相場づけが決まる。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
野心の彼方に、ありとあらゆる利己主義の彼方に、もがき争い、又飽くことを知らざる欲求の彼方に、永遠の強き力を以って、因縁の魂と魂とを引き寄せる不可思議の存在-愛がある。愛は死よりも強く、失望をも征服し、その他有限の世界に見出される物という物は、悉くその敵でない。愛こそは正に一つの立派な宇宙的原則である。それは未来永劫、汝の為に織り出されつつある『因縁の図案』の背後の力である。
普通人にとりて、死は恐怖の種子である。死は一見いかにも寂しそうに思われるからであろう。が、死の真相に通ずれば、恐る恐る必要は少しもない。因縁の人達、換言すれば自分の愛する人達との永久の別離は、何等根底のなき一片の杞憂に過ぎない。死後彼が何所へ行こうとも、彼は永久にその所属の活動範囲から脱出する事は出来ない。一時的の行方不明は或は免れぬにしても、自分の生涯の模様の中に織り込まれたる因縁の人達、過去に於いて愛し、愛されたゆかりの魂は、未来に於いて必ず又巡り合うべき運命を有っているのである。
言うまでもなく、未発達の原始的人物の愛は、浅薄にして偏狭であるを免れない。彼等には全身全霊的真愛が、向上の第一義であることを理解するだけの心の深みがない。換言すれば、彼等には真愛の中に永生の種子が宿っていることを会得する力がない。そう言った幼弱な魂は、しばしば強烈なる憎悪と怨恨との捕虜となり、第三界に行ってからも、依然としてそのままの争闘を繰り返している。そしてうっかりすれば、彼等は再び地上に再生して、そこで又もや昔日の怨みを晴らそうとする。仏家の所謂修羅道とはこれを指すのであろう。これを食い止めるのは、勿論精神的の進歩向上、愛の法則の普及浸潤以外に何物もない。で、何人も愛の法則を会得することが先決問題である。それさえ出来れば、そこに死の恐怖の必要は何所にもない。何となれば、よしや彼が一足先へあの世へ旅立ったとしても、彼と同一因縁に結ばれた人、従って彼の真の同属が即座に彼に結び付き、死の彼岸に横たわる大々的冒険の指導者となってくれるからである。
死は寧ろ汝の友人であり、又汝の救済者である。何となれば、地上の愛につきものの闇と汚れとは、死と共に煙散霧消するからである。
(評釈)愛とは結局心と心との共鳴であり、感応である。従ってその人の発揮する愛を以って、人生に於けるその人の相場づけが決まる。