自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 思い起こせば、自分が死後の世界に冒険的旅行を試みることになったのは、今から約三十五年前のことで、その間に、自分は多少太陽系所属の、他の遊星に関する知識を漁り求めた。悲しい哉、自分は漸く第四界(色彩界)に達したまでの新参者であるから、まだ他の諸遊星の内面的生活を、意識的に把握するまでになっていない。自分はただ諸先輩につきて、金星その他に関する知識を、或る程度迄学んだに過ぎない。
 彼等の教ふるところによれば、金星にはかつて一種の人類・・・・多くの点に於いて、よほど地球人とは相違している、一種の生物が住んでいたという事であるが、ただその体躯は地球人に比して、非常に迅速な振動数を有っているので、たとえ金星人が現在生存していたところで、到底地球人の感識するところとはならないであろうとのことである。
 兎に角物質論者の思考するような、所謂『人間』は現在に於いて、太陽系中のどの遊星上にも生存していない事は確かである。して見ると、現在の地球人は、太陽系中の特殊の一存在として、意気揚々として、大手を振って、彼等に与えられたる大地の上を横行闊歩してよい訳である。が、これは我等の太陽系につきての話で、他の無数の太陽系中に、人間に酷似した存在者が絶無であると思考することは、早計も甚だしい。
 一体人間は、自己の肉体に相当し、自己の感官を衝激する、地上の物質しか感識し得ないように出来ている。太陽系所属の遊星の中には、地球が最も濃度が大きい。従ってそれに生存する人間の勢力範囲は甚だ狭小で、稀薄性妙な物体を感識する力量は具わっていない。が、人間に感識出来ないから、そんなものは存在しないとするのは、余りにも自己の貧弱な経験に拘泥し過ぎた、幼稚な仕打ちである。物体を支配する原則は皆同一である。併しながら物体の濃度は千種万別である。
 人類がかく特殊の存在であり、どの遊星にも、人類が直接呼びかけるべき生物が居ないということは、事によると、一部の人士に、いささか孤独寂寥(せきりょう)の感をあたえるかも知れない。が、安んぜよ、この宇宙間には、少なくとも無慮一億の太陽系が存在し、そしてそれ等の中には、地球と同性質の遊星が、あちこちに撒布されているのである。従って少々遠距離ではあるが、人間の親類筋は、決して絶無ではないのであるから、その点大いに意を強うしてよいであろう。
 かの無神、無霊魂を唱える傲慢な論者の中には、今尚高らかに叫ぶであろう。曰く『大空狭しと撒布されたる諸天体の中に、人間以上の敏感者はなく、又人間以上の尊き神の子はない』-が、これはたまたま彼の想像力のいかに貧弱であり、又彼の理性のいかに難解であるかを表示する例証でしかあり得ない。我々はいつまでも、宇宙を外側から観測していてはならない。肉体を有った人間であろうが、肉体を棄てた人間であろうが、いつも目的に活動しつつある宇宙の力を、内部から探るようにせねばならない。
 愛と、力と、智慧、この三つこそ、実に大地の神廳(しんちょう)・・・・太陽神界を代表して、この地球の指揮と、統率とに当たる神霊の世界から放射される霊波である。
 前にも述べた通り、大地の神霊界は、一団の類魂から成立する。もっと詳しく言えば、第五界(光焔界)以上の類魂が、直接宇宙意志の遂行に任じ、その組織は極めて緊密、その威力は極めて優越、ただ一個の電子でも、ただ一片の光波でも、決して無益に使用せらるることがない。見よ、物質界の構成が、いかによく整頓しており、又いかによく調和しているかを。他なし一切萬有の背後に、一分一厘の緩みも、たるみもなしに、神意を強行するところの、組織されたる団体が働いているからである。人間は、もとより自己の天分の範囲内に於いて、自己の運命を開拓すべき自由を有っている。が、大地、大海等の巨大なる機構、並びにそれ等が空間に占むべき位置行動等は、悉く光焔の世界まで昇進を遂げた。優れた集団の受持ちにかかり、それ等が細大漏らさず、一々厳正なる指揮計算を行なうのである。但し光焔界の居住者には、まだ我等の宇宙-太陽系内部の知識だけしかあたえられていない。光明界の居住者にして、初めて荘厳無比の宇宙の創造的智慧の表現に通暁する望がある。
 自分は太陽神の統制下に於いて、地球の摂理を行いつつある高級の霊魂達が、優れた数学家であることを、余りにも強調し過ぎたかと思う。彼等は数学者であるよりは、寧ろ多く芸術家である。彼等の仕事は、ただ精密を期する地上の数学者のそれよりも、遙かに自由であり、遙かにうま味がある。前にも述べた通り、彼等の計画は、最後の少数まで計算される。が、いよいよ実行に移された時には、そこに幾多の変化があり、曲折がある。例えばかの電子の運動にしても、何等融通の利かぬ器械的運動とは、多少相違せる独自の性質がある。不可視の宇宙を創造し、又維持するのは、数学者の頭脳ではなくして、寧ろ芸術家の想像力である。創造されたる者が、やがて創造者の側に回る。ここに生命の秘密、宿命の秘密が伏在する。
 (評釈)既成宗教はもとより、東西の霊界通信の大部分が、ただ概念的に宇宙神、並びに宇宙精神のみを説いているに際し、マイヤースが、はっきりと宇宙神界、太陽神界、地球神界を区別し、更に進んで、研究の鉾先を金星の世界にまで延ばしつつあることは、何と驚喜すべき卓見ではないか!もとよりその説く所は、まだホンの荒筋だけで、熱心なる研究者を充分に満足せしむるまでには達していない。が、その深遠なる示唆的価値に至りては、掛け値なしに甚大である。曰く『愛と、力と、智慧、この三つこそ実に大地の神廳・・・太陽神界を代表して、この地球の指揮と、統率とに当たる神霊の世界から放射される電波である』曰く『大地の神霊界は一団の類魂から成立する・・・』曰く『一切萬有の背後に、一分一厘の緩みも、たるみもなしに、神意を強行するところの組織されたる団体がある』曰く『不可視の宇宙を創造し、又維持するのは、数学者の頭脳ではなくして、寧ろ芸術家の想像力である』曰く『創造されたる者が、やがて創造者の側に回る』何れも皆金玉の文字でないのはない。観念の遊戯をこれこととする既成宗教の全部は、これが為に光を奪われてしまうが、ひとり日本の古典に盛られた啓示のみは、これですっかり活きて来る。他方群疑の中にひとり研究を続けて来た私としては、誠の百年の知己の感に堪えない。