自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 前章に於いて自分は『生命』だの、『生物』だのという用語を使っているが、これを人間的の観念で解釈されては困るのである。一体生物の背後に潜んでいる動力につきては、現在学者間に、まちまちの意見が闘わされている。一部の人達は、その動力が一種の物理的エネルギー、丁度電気に近似したものであって、それがとりも直さず生命であると信じている。他の一部の人達は、別に一種の非物質的動力、一種の生命力と言ったようなものがあって、それが物理的、又は科学的作用の背後に控えているのであると主張する。自分は今更この論争の渦中に入り、地球並に地球上の無数の生物につきて、その生命力の有無を論じようとは思わない。自分はただ天体生活を送りつつある、『太陽人』の活用するエネルギーが、科学的知識を有する地上の学者達の分析解剖しつつあるような、あんな粗末な形態のエネルギーとは、到底比較し得ない程、精絶妙絶なものであることを告げたいのである。ついでにここで自分は、生命の創造的基本が何であるかを、極度に簡単な一語で道破してみたいと思う。それが地球上であろうが、恒星上であろうが、いかなる場合に於いても、生命原理が想像力の一つの中心であることに疑いはないが、人間の肉体、並びに日界人の体躯の背後に存在する霊(スピリット)と魂(ソール)との協同作業こそは、これを要約して『大宇宙の想像界と結び付けられたる、小想像界』であると定義し得ると思う。我々は、そこにこそ、全大宇宙に瀰漫する、千萬無数の生命に、それ自身の表現を可能ならしむる、神的原理を発見することが出来る。
 (評釈)人間その他の生物を通じて肉体以外・・・・イヤ寧ろ肉体以上の精妙なエーテル体が存在する事は、学術的に既に不動の確証が挙げられている。従ってマイヤースが、霊と魂との協同作業こそ、大宇宙の想像界と結ばれたる小想像界であって、それが生命の基本であると喝破しているのは、蓋(がい)し何人も否定し難き定説であろう。何となれば、全て想像ありての創造であり、進化であり、又向上であり、ギリギリまで煎じ詰むれば、宇宙の森萬象は羅畢竟(結局)この不可思議な感想力-の所産に外ならないからである。