自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 本編は新樹が彼の母を通じて送りつつある初期の通信の集成であります。即ちその最も早きは彼の死後僅々百日余りを隔てた昭和四年七月頃のもの、その最も晩きも昭和五年二月頃、即ちその一周忌前後のものであります。爾後今日までに現れたのも少なくありませんが、それ等は漸次機会を見て発表して行くことにしましょう。
 私共が新樹の通信を発表するにつけては、これに対して世間に必ずしも賛同する者のみも居ないことは、満々承知致しておりますが、私共としては、暫く一切の毀誉褒貶に眼を瞑り、兎にも角にも私共にも現われたる、この活きた心霊事実をありのままに世間に発表して識者の御考慮に供することを以って満足しているので、若しもこれが導火線となりて、いささかなりとも日本国民の間に心霊の動きを促すことにもなれば、それこそ私共に取りて望外の歓びなのであります。
 いよいよ本編の編集を終わった八月十六日に、私は新樹を呼びて、汝(お前)も一つそちらの世界から序文を書いて送れ、と命じました。新樹はこれを快諾し、二日後の八月十八日に、彼の母の口を借りて放送して来たのが左記の挨拶であります。恐らくこの方が本書の真正の序文というべきものでしょう。
(新樹の挨拶)
 今般父から、僕がこれまでに送った通信の一部を一冊の書物にとり纏めて上梓するから汝も何か一つ序文を書けとのことで、未熟の僕に別段これという良い考えも浮かびませんが、ホンの申し訳に、いささか所感を述べさせて頂くことに致します。
 僕の送った初期の通信を御覧の方には、事によると僕を女々しい、愚痴っぽい男と思し召されるかも知れませんが、実際はソーでもないのです。僕はどちらかといえば生来寧ろ陽気な性質で、若き人に許される正常な快楽の殆ど全てを手当たり次第に漁りつつあったものなのです。従って僕は生前ただの一度も『死』の問題などを考えてみたことがない。あんな陰気な、恐ろしいものは僕とは全然没交渉-少なくとも遠い遠い未来の、夢か幻のような事柄位に考えていたのであります。そうした僕がいつの間にか『死』の関門を通過してしまったのですから誠に皮肉極まる話で、叔父から死を宣告されて初めてそれと気の付いた時に、僕がいかに驚き、悲しみ、又口惜しかったかは宜しくお察しを願います。その頃の僕の通信が涙混じり、愚痴混じりの甚だお恥ずかしいものであったのも、同情深き方々は多少大目に見てくださるだろうと存じます。
 しかしながら現世の側から前途に死を望み見るのと、こちらの世界から振り返ってそれを回顧するのとは大分勝手が違います。何と言おうがモー致し方がないのですから、僕のようなものにも次第に諦めがついて来まして、現世で使い得なんだ精力の全部を一つみっちり幽明交通の仕事に振り向け、父の手伝いをしてやろうという心願を起こしました。それが現在の僕にとりて活きて行くべき殆ど唯一の途なのです。無論僕の修行が足りない為に、これぞという通信はまだとても送り得ません。父から陸続提出さるる問題の多くは僕の力量に余るものばかりなので、そんな場合には一心不乱に神に伺い、又守護霊にはかり、ドーやら大過なきを期しているような次第で、従って僕の通信と称しても、内容は僕が中継者の役目を務める霊界通信なのであります。兎も角もこうした仕事に精根を打ち込んでいるお蔭で、近頃はこちらの世界の事情も少しずつ判りかけ、幽界生活もまんざらでなく考えられて来ました。
 僕の現世の不満はまだ現界が少しも見えないことで、時々はそれがじれったく感じます、が、神さまに伺って見ると、それは僕の地上生活に対する執着がまだすっかり除き切れない為だそうで、この間なども、神さまから『汝はまだ後ろを振り向くことはならないぞ!こちらで汝の為すべき事は多い。全ての準備が出来れば現界も自然と見えて来る・・・。少しも急ぐには及ばない』とお𠮟り言を頂戴しました。なので僕も考えました「成る程そうだ、じれるのは宜しくあるまい。先か際限なく永い生活なのだから、余り焦らずに、現在与えられたる仕事に対して最善を尽くすことにしよう・・・」
 大体僕はこんな状態で、相当楽な気持で幽界に生きております。死後の生活-この事が僕の通信で幾分でも皆さまにお判りになれば、皆さまの死に対する不安も安らぎ、同時に皆さまの心の視野も限りなく拡大するでしょう。これからの僕は層一層の修行を積み、より充実した通信を送り、皆さまの期待に負かぬように努力する覚悟であります。今回はこれで・・・・。
 昭和六年八月十八日  編者誌す