自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 さてこれから新樹の通信を発表するにつけ、この仕事に対して全責任を有する彼の父としては通信者が果たして本人に相違ないかドーかを先ず以って読者にお伝えすることが順序であると考えます。これに関して充分の考慮が払われていなければ、結局新樹の通信とはただの名目ばかりのもので心霊事実として一向取るに足らぬものになります。不敏ながら彼の父とても心霊研究者の席末を汚しているもの、この点に関しては常に出来る限りの注意を払いつつあるのであります。
 既に述べた通り真っ先に新樹の霊魂を呼び出したのは彼の叔父で、そしてこの目的に使われたのは中西霊媒でした。彼の父は多大の興味を以ってこの実験に対する当事者の感想を叩きました。するとその答はこうでした。-
「あれなら先ず申し分がないと思う。本人の言語、態度、気分等の約六割位は彷彿として現れていた。自分は前後ただ二回しか呼び出さないが、若しも今後五度、十度と回数を重ねて行ったらきっと本人の個性がもっと完全に現れるに相違なかろうと思う・・・」
 比較的公平な立場にある、そして霊媒現象に対して相当懐疑的態度を持する人物の言葉として、これはある程度敬意を払うべき価値があると思われます。
 彼の父が自身審判者となりて中西女史を通じて初めて新樹を呼び出したのは、それから約一ヶ月を隔てる四月の九日でした。その時は幽明を隔てて最初の挨拶を交わしたまでで、さして伝えるべき程の内容を有しませんでしたが、ただ全体から観て成る程生前の新樹そっくりだという感じを彼の父に与えたのは事実でした。が、研究者としての立場から観た時に、それは確証的なものではありませんでした。彼の父は焦った。「何とかして動きの取れない証拠を早く挙げたいものだ。それにはただ一人の霊媒に憑けるだけではいけない。少なくとも二、三人の霊媒に憑けて対照的に真偽を確かめるより外に途はない・・・・」
 そうする中に亡児は一度粕川女史に憑り、続いて七月の中旬から彼の母に憑りて間断なく通信を送ることになりました。「これで道具立ては漸く出来かかった。その中何とかなるだろう・・・・」-彼の父はしきりに機会を持ちました。
 月が八月に入りて漸くその狙いつつあった機会が到着しました。同月十日午前のこと、新樹は母の体に憑り、約一時間に亘り、死後の体験談を試みましたが、それが終わりに近付いた時彼の父はふと思いついて彼に向かって一の宿題を提出しました。-
「幽界にも大廟は必ず存在する筈だ。次回には一つ大廟参拝を試み、そしてその所感を報告してもらいたいのだが・・・・」
「承知しました、出来たらやりましょう・・・」
 するとその翌日中西女史が上京しました。彼の父はこの絶好の機会を捕え、直ちに新樹の霊魂を同女史の体に呼んで、昨日彼の母の体を通じて提出しておいた宿題の解決を求めました。
「昨日鶴見で一つの宿題を出しておいた筈だが・・・・」
 そう言うより早く新樹は中西霊媒の口を使って答えました。-
「ああ、例の大廟参拝ですか・・・。僕早速参拝して来ましたよ。僕、生前に一度も大廟参拝をしませんでしたから、地上の大廟と幽界の大廟とを比較してお話することは出来ませんが、ドーもこちらの様子は大分勝手が違うように思いますね。絵で見ると地上の大廟には色々の建物があるらしいが、こちらの大廟は、森々とした大木の茂みの裡に、ごく質素な白木のお宮がただ一つ建っているきりでした・・・・」
 彼はこれに付け加えてその際の詳しい物語をするのでした。委細は他の機会に紹介することにして、ここで看過してならぬことは、彼の母を通じて発せられた宿題に対し、彼がその翌日中西霊媒を通じて解答を与えたことでした。
「先ずこれで一つの有力な手掛かりが付いた」と彼の父は歓びました。「思想伝達説を持ち出して強いて難癖を付けなければ付けられぬこともないが、それは死後個性の存続説を否定すべく努める学徒達の頭脳からひねり出された一の仮定説に過ぎない。自分は難癖の為の難癖屋にはならぬことにしよう。多くの識者の中にも恐らく私の態度に味方される方もあろう・・・」
 翌十二日の午前、彼の父は鶴見の自宅に於いて、今度は彼の母を通じて亡児を呼び出しました。
「昨日中西さんに憑って来たのは確かに汝に相違ないか?」
「僕です・・・・。あの人は大変憑り易い霊媒ですね、こちらの考えが非常に迅く感じますね」
「モ一度汝の母の体を使って大廟参拝の話をしてくれまいか。少しは模様が違うかも知れない」
「そりゃあ少しは違いますよ。こうした仕事には霊媒の個性の匂いと言ったようなものが多少ずつ加味せられ、その為に自然自分の考えとピタリと来ないようなところも出来ます。お母さんの体はまだあまり使い易くありませんが、やはりこの方が僕の考えとしっくり合っているようです。もっとも僕の考えていることで、微妙なところは、途中でよく立ち消えになりますがね・・・・」
 こんなことを言いながら彼は大廟参拝談を繰り返したのでしたが、彼の母を通じての参拝談と中西霊媒を通じての参拝談との間には、ただ長短精粗の差があるのみで、その内容は全然同一物なのでした。
 彼が一度粕川女史に憑ろうとしたことも事実のようでした。八月四日午前彼は母の体を通じて問わず語りに次のような事を述べました。-
「僕一度あの御婦人・・・・粕川さんという方に憑ろうとしました。折角お父さんがそう言われるものですから・・・。けれどもあの方の守護霊が体を貸すことを嫌っているので、僕使い難くて仕方がなかった・・・・。僕たった一度しかあの人には憑りませんでした・・・・」
 新樹と交通を開いた当初に於いて手懸りとなったのは先ずこんな程度のものでしたが、幸いにもその後東茂世女史の霊媒能力が次第に発達するに従い、確実なる証拠材料が少しずつ上に積み重ねられ現在に於いては果たして本人に相違ないかドーか?と言ったような疑念を挟むべき余地は最早全然なくなりました。東女史の愛児相凞(そうき)さんと新樹との間には近頃あちらで密接なる交通関係が締結され、一方に通じたことは直ちに他方に通じます。そして幽界に於ける両者の生活状態は双方の母達の霊眼に映じ、又双方の母達の口を通じて詳しく漏らされます。ですから、よしや地上の人間の存在は疑われても、幽界の子供達の存在は到底疑われないのであります。
 こうした次第で、彼の父も母もこれを亡児の通信として発表するに少しの疑惑を感じませぬが、ただその通信の内容価値につきては、余りにこれを過大視されないことをくれぐれも切望して止みませぬ。発信者はホンの幽界の新参者、又受信者はホンのこの界の未熟者、到底満足な大通信の出る筈はありませぬ。せいぜい幽明交通の一小標本位に見做して頂けば結構で、真の新樹の通信はこれを今後五年十年の後に期待して頂きたいのであります。