自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 既に申し上げた通り新樹が彼の母を通じて兎も角も通信を開始したのは、昭和四年七月の半ば頃でしたが、通信とはホンの名ばかり、僅かに簡単な数語を小切れ小切れに受け取り得るに過ぎませんでした。当時の手帳から標本として少しばかり抄出します。-
問「汝は目下何かキモノを着ているか?」
答「来ています・・・白いキモノ・・・」
問「飲食をやるか?」
答「何も食べません・・・」
問「睡眠は?」
答「睡眠もいたしません・・・」
問「月日の観念はあるか?」
答「ありません、ちっとも・・・」
 これが七月十七日の問答筆記で、その末尾に次のような筆者の注釈が付いています。-
「この日の通信の模様はよほど楽になった。自分が「昨年の今日は、汝と一緒に大連の郊外老虎灘へ出掛けて行き、夜まで楽しく遊び暮らした日だ」と言うと、彼は当時を追懐せるものの如くしきりに涙を流した・・・」
 七月二十五日、第八回目の通信の記録を見ると、モー幾らか進境を認めることが出来ます。左にその全部を掲げます。-
問「私達がここにこうして座り、精神統一をやって、汝を招こうとしている時に、それがどんな具合に汝の方に通じるか?一つ汝の実感を聞かせてくれないか・・・」
答「ちょっと、何かその、震えるように感じます。細かい波のようなものが、ブルブルブルブルと伝わって来て、それが僕の方に感じるのです」
問「私の述べる言葉が汝に聞こえるのとは違うか?」
答「言葉が聞こえるのとは違います・・・感じるのです・・・。もっとも、お父さんの方で、はっきり言葉に出してくだすった方が、よくこちらに感じます。僕はまだ慣れないから・・・」
問「私に限らず、誰かが心に思えば、それが汝の方に感じるのか?」
答「感じます・・・いつも波みたいに響いて来ます。それは眼に見えるとか、耳に聞こえるとか言ったような、人間の五感の働きとは違って、何もかも皆一緒に伝わって来るのです。現にお母さんはしょっちゅう僕の事を思い出してくださるので、お母さんの姿も、心持も、一切が僕に感じて来てしようがない・・・・」
問「生前の記憶はそっくりそのまま残っているか?」
答「記憶していることもあれば、又忘れたようになっているのも中々多いです。必要のない事は、丁度雲がかかったように、奥の方に埋もれてしまっていますよ・・・」
問「満鉄病院へ入院してからの事を少しは覚えているか?」
答「入院中の事、それからドーして死んだかというような事は全然覚えていません。火葬や告別式などもさっぱり判りませんでした・・」
問「汝が臨終後間もなく火の玉が汝の母に見えたが、あれは一体誰がやったのか?」
答「僕自身は何も知りません・・・・。今守護霊さんに伺ったら、全部守護霊さんがやってくだすったのだそうです・・・」
問「いつ汝は自分の死を自覚したか?」
答「叔父さんに呼び起こされた時です・・・」
問「あのまま放任しておいてもいつか気が付くかしら?」
答「さあ・・・・・・(暫く過ぎて)只今守護霊さんに訊いたら、それは本人の信仰次第で、真の信仰のある者は早く覚めるそうです。信仰のないものは容易に覚めるものではないと言われます」
 これが当日の問答の全部です。例によりてその末尾には筆者の注釈がついている。-
「右の問答後、妻に訊くと、先刻細かい波の話が出た時に、彼女の霊眼には、非常に繊細な、綺麗な漣(さざなみ)がはっきり見えたと言う。これが所謂思想の波、エーテル波動とでもいうものか?」
 初期の通信の標本紹介はこの辺で打ち切り、後は多少分類的に手帳から抄録を行い、いささかなりとも死後の世界の実相を知りたく思われる方々の資料に供したいと存じます。