自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 彼の父と亡児との間にはすっかり寛いだ気分で、これという特殊の題目を設けずに雑話を交換することもしばしばあります。それ等の中には、勿論何等とりとめのないのもあるが、又時として、そのまま葬ってしまうのも惜しいと思わるる節がないでもありません。手帳の中から手当たり次第に抽出してみましょう。
 問「生前の記憶は死んでもはっきり残っているものか?」
 答「そうですね、生前の事を考えると皆ぞろぞろ眼に浮かんで来ますね。生きていた時よりも却ってはっきりしているようです。当時を思い出して僕は時々嬉しい気分に浸ることもあります・・・」
 問「汝の過去の短い生涯で何時が一番嬉しかったか?」
 答「そうですね、僕の思い出の中では、中学校卒業後、長崎へ行って居た時代が一番面白かったと感じますね。ここを卒業したらどんな所に行くのかしら・・・そう思って勉強していました。会社に入ってからは、何やら身が固まったようで、それ程にも面白くなくなりました・・・」
 問「横須賀時代にはよく汝は海水浴に行ったものだが、そちらで海水浴をやりたくはならないか?」
 答「イヤこの間一度やりましたよ。ある時僕がふと海に入りたいナ、と思うと、途中の手続きは判らないが、兎に角僕は綺麗な海岸に行っていたのです。そこで僕は泳いでみました。その感じですか・・・。水の中に居るような感じはしますが、別に冷たくも又温かくも感じない。そしていくら泳いでも疲れない。要するに海水浴の気分がするだけで、生前の海水浴とは大分勝手が違うのです。向こうの方で誰だか一人泳いでいたようでしたが、はっきり判りませんでした・・・」
 問「汝はそちらで親族の誰かに会ったかナ?」
 答「ええこの間お祖母さんを尋ねてみました。僕がおばあさん、と呼んでみても返答がありません。おばあさんはまだあんまりはっきりしていないようです。と言って、全然無自覚でも何でもない。静かに眼を瞑って、良い心持でうつらうつらしていると言った按配なのです・・・」
 問「呼んで自覚させる必要はないかしら?」
 答「さァおばあさんは別に苦痛がありそうでもないし、又これを呼び覚ましてドーコーという事もないのですから、あのまま安らかに眠らせておいて、自然に眼が覚めるのを待った方がよいかと思いますね・・・」
 問「お祖父さんにはまだ会わんかナ?」
 答「まだ会いません。僕これから早速会って来ます。地上と違って、こんな場合には都合がよいです・・・」そう言って沈黙がちょっと続いたが、やがて彼は戻って来て祖父訪問の状況を報告するのでした。「僕行って来ました。お祖父さんは、お祖母さんよりも後で亡くなったのに、却って自覚が早いようです。生前のようにキチンと座って、にこにこしていました。僕が、おじいさん!と呼びかけると返答はしないが、ドーやら判ったようです。よほどはっきりした顔をしていました。--が、おじいさんも通信はまだ無理です。格別お父さんの方で用事がないなら、モー暫くあのまま安楽にさせて置かれたら良いでしょう・・・」
 問「幽界へ行ったものがどうして自覚が速かったり、遅かったりするのだろう。汝の一存でなく指導役の方々に訊いて返答をしてもらえまいか?」
 答「お易い御用で・・・。-伺ってみるとやはり信念の強いものが早く自覚するそうで、その点に於いて近代日本人の霊魂は甚だ成績が悪いようです。現に僕なども自分の死んだことも自覚せず、又自分の葬式の営まれたことも知らずに居た位ですからね・・・」
 問「唯物論者-つまり死後個性の存続を信じない連中は死後どうなるかナ?」
 答「非常に自覚が遅いそうです」
 問「一つこれから自覚していない人達の実況を見てくれまいか?」
 答「承知しました。-今その一部を見せてもらいましたが、イヤどうもなかなか陰惨ですね。男も女も皆裸体で、暗い所にゴロゴロして、いかにも体がだるそうです。僕は気持が良くないというよりか、寧ろ気の毒の感に打たれ、この連中は一体いつまでこの状態に置かれているのですか、とお爺さん(指導霊の一人)に訊いてみますと、この状態は必ずしも永久に続くのではない。中には間もなく自覚する者もある。自覚する、しないは本人の心がけ次第で、他からいかんともし難いのだ、という返答でした・・・」
 問「再生の事を一つ訊いてもらおうか?」
 答「お爺さんに伺ってみると、再生する者と再生しない者と二種あるそうです。後者はそのままずっと上の界へ進むので、その方が立派な霊魂だそうです。それ程浄化していないものは分霊を出すことによりて浄化する。浄化した部分は霊界に残るが、浄化していない分霊は地上に再生する。-ざっとそう言った手続きだそうです。赤ん坊でもその全体が再生するという事は無いそうで・・・」
 問「無自覚の霊魂でも、こちらで呼べば霊媒に憑って来るのはドーいう理由か?」
 答「それは産土(うぶすな)系統の神さんがお世話をなさるからだそうです。そんな場合にはいつも産土系が世話を焼いてくれます」
 問「汝が現在やりつつあるような幽明交通と、所謂悪霊の憑依という事この間には、何等か根本的の相違があるのか。一つしっかり調べてくれまいか?」
 答「お爺さんに聞いてみましたが、両者の間に根本的の相違はないようで、悪霊の憑依というのは、要するに有害な観念の波動が、強く対者の体に感応するだけらしいです」
 問「前にも幾度も聞いたが、幽界に於ける体の感じをモ一度聞かせてくれないか?呼吸や脈拍はあるかナ?」
 答「そんなものはてんで気がつきませんね。内臓などもあるのか無いのか判りません・・・」
 問「地面を踏む感じは?」
 答「自分の部屋にいる間は、歩くという感じがないでもありませんが、地上の歩行とは大分違います。歩くと言っても何やら軽い、柔らかい気持です。又足音というものもしません。遠距離に行く時には、一気呵成に行ってしまうので、尚更歩くという懸念が起こりませんね・・・」
 問「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか一つその実況を見て来てくれないか?」
 答「承知しました。一つお爺さんに頼んでみましょう。-(五、六分の後)只今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながら、我々と同様、修行させられて、心も姿も発達するのですね。地上の子供のように迅速ではないが、やはり、あんな按配式に大きくなるのですね。僕の行った所では、五十歳位の婦人達が二、三人居って、それが子供達の世話をしていました。子供の人数ですか-人数は五、六人で、三歳から四、五歳位の男と女の子が一緒に居ました。抱かれたり、何かしている具合は現世とちっとも変わりません。場所はあっさりした家の内部ですが、ドーも幽界の家屋は、どれも皆軽そうに見えます。ずっしりと重そうな趣がなく、何やら芝居の道具のような感じがしますね。僕はお爺さんに向かい、これ等の子供が学校へ行く年齢になればドーなるのか、と尋ねてみましたら、お爺さんは早速僕を学校のような場所へ連れて行って見学させてくれました。一学級の生徒は二十人位で、やはりここでも男女合併教育をしていました・・・」
 問「他にも組がいくつもあるのだね?」
 答「色々の組に分かれています。何を標準として学級を分けるのかというと、それは受け持ちの教師のする事で、主として子供が死ぬ時に、因縁によりて導いてくれた神とか仏とかに相談して充分調査の上で実行するらしいのです。もっとも宗教的区別などはある程度までの話で、上の方に進めばそんな区別は全然消滅するそうです」
 問「科目はどんな風に分かれているかな?」
 答「現世とは大分違いますね。算術などは全然不必要で、その他地理も歴史もありません。幽界で一番重きを置くのはやはり精神統一で、これをやると何でも判って来るのです。音楽だの文学だのも、子供の天分次第でワケなく進歩するようです。学問というよりも寧ろ趣味に属しましょう。趣味があればいくらでも進歩するが、趣味がなければまるきり駄目です。ですから子供達は一室に集まっておりながら、その学修する科目はめいめい違います」
 問「生徒達の服装は?」
 答「皆まちまちで一定していません。帽子なども被っていませんでした」
 問「書物だの、黒板だのもあるか?」
 答「皆一通り揃っています。子供が質問すれば教師はそれに応じて話をするらしく見えます」
 問「教師はどんな人物だったか?」
 答「三十歳前後の若い男でした。お爺さんに訊いてみると、この人は生前に子供を持たなかった人だそうです。つまり生前子供の世話をしなかった理合わせに、幽界で教員をやりたいという当人の希望が、神界から聴き届けられた訳なんだそうです。で、僕なんかもその部類に属しはしませんか、と試みにお爺さんに訊いてみたら、お爺さんはただ、ソーだなあ、と言っていました・・・」
 問「話頭は少し後戻りするが、赤ん坊が死んだ時にドーいう具合でいるものなのか、一つ世話役の婦人にでも、訊いてもらえまいか?」
 答「承知しました。-女の人はこう答えます。赤ん坊は少しも浮世の波に揉まれず、従って何等の罪も作らずに現世を去ったのであるから、神さまの方でも、ごく穏やかに幽界に引き取ってくださる。つまり現界から幽界への移り変わりがなだらかで、そこに死の苦痛も悲しみもなく、殆ど境遇の変化を知らずに、すらすらと生長を続けるのだという話です。長く地上に生きていれば、自分ではその気がなくても、知らず識らず罪を作りますが、赤ん坊にはそれがありません。赤ん坊が楽なのは当然だと僕も思いますね。ヘタに中年で死ぬより赤ん坊で死んだ方が幸福かも知れない・・・」
 問「赤ん坊は乳を飲みたがりはしないか?」
 答「最初は保母が乳房をくくませるそうです。もっとも乳が出る訳でなく、又乳を飲む必要もない生活なので、子供の方でも段々その欲望がなくなって来るそうです・・」
 問「幽界の子供の発育が遅いのは何故だろう?」
 答「子供の発達にはやはり現世の生活の方が適当なのでしょうね。幽界でも生長することはするが現世に比べるとずっと遅いということです・・・」