自殺ダメ
[霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より
(自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)
私が初めて新樹の守護霊(佐伯信光)に頼んで、乃木さんの近状を偵察してもらったのは、昭和五年十月七日の午後でした。すると守護霊からの報告はこうでした。-
「乃木という方は、モウ幽界で立派に自覚しておられます。で、私がこの方と通信を試みるのは、いと易いことでござりまするが、近代の方との交通は、やはり乃木さんを知っている新樹の方が、万事につけて好都合であります。私は年代が離れ過ぎているので、少しもその経歴を知らず、質問をするにも、至って勝手がよくない。無論新樹が乃木さんを訪ねるにして、私が側に控えておるにはおりますが・・・」
この答は至極道理だと考えられたので、私は佐伯さんに退いてもらい、その代わりに新樹を呼び出し、早速乃木さん訪問を命じました。相変わらず幽界の交通は至って敏活で、約十分後には、早くも新樹の報告に接することが出来ました。新樹はいつもよりずっと緊張した、謹直な態度で語り出でました。-
只今乃木さんに御目にかかって参りました。乃木さんはモー立派に自覚しておられます。生憎僕とても、生前直接に乃木さんの風かいに接したことは一度もありません。乃木さんが出征された時分に、僕は漸く生まれた位のものですからネ。従って僕の乃木さんに関する知識は、ただ書物で読んだり、人から聴いたりした位のところです。幸い僕は大連に住んでいました関係から、乃木さんが畢生(ひっせい)の心血を注がれた、旅順港付近の古戦場には、生前何回か行ってみました。そうそうお父さんが洋行される為に大連に立ち寄られた時にも、御一緒にあの203高地に登りましたネ・・・。僕はあの忠魂碑の前に立った時に、いつも四辺を見回して、さぞこの高地を奪うのは困難であったろうと、当年の乃木さんを偲んだものです。で僕は、乃木さんに向かってこう切り出しました。-
「私は浅野新樹と申す名もなき青年で、生前ただの一度も、あなたにお目にかかったことはございませんが、無論あなたの御名前は、子供の時分からよく存じております。殊に大連に住んでおった因縁から、あなたの当年の御苦戦の次第は、つくづく腸にしみております。至って弱輩の身ではありますが、共に幽界の住人としてのよしみを以って、これからは時々お訪ねさせて頂きます・・・」
僕がそう云うと乃木さんは大変に歓ばれました。乃木さんは写真で見た通りのお顔で、頭髪も髭も殆ど真っ白で、随分お爺さんですネ。和服をつけて、甚だ寛いではおられましたが、しかし風評の通り、その態度は謹厳そのもので、甚だ言葉少なにしておられました。
僕は先ず乃木さんに向かい、戦死したお子さん達の事につきて、御挨拶を述べました。御自分の子供のこととて、さすが乃木さんもちょっと御容子が変わりました。-
「子供達は、陛下の為に戦死したので、可哀相ではあるが、他の死に方をしたのとは違って、別に心残りはない・・・・」
口ではあくまで強いことを仰っておられました。たしか兄さんの名は勝典、弟の方は保典というのでしたネ。全くお気の毒なことでした。段々伺ってみると、乃木さんという方は、生前から幾らか霊感のあった方のようでしたネ。「子供達の戦死した時には、ワシにはそれがよく判っていた・・・」そう言っておられました。
それから僕は思い切って、乃木さんに訊ねてみました。-
ドウいう理由であなたは自殺をされました?貴い生命を、何故あなたは強いてお棄てになられました?」
僕がそう言っても、乃木さんは容易に返答をされませんでした。重ねて訊ねますと、漸くその重い唇が綻びました。
「自分の自殺したことについては、色々の理由がある。二人の子供を亡くしたのも一つの理由ではあるが、他にもっと重大な事情・・・ツマリ、陛下に対し奉りて、何とも申し訳がないと思うことがあったのじゃ。何よりもあの旅順港で、沢山の兵士を失ったこと、それが間断なく、ワシの魂にこびりついていたのじゃ。そうする中に、陛下が急にお崩御になられ、ワシは一散に世の中が厭になった・・・」
そう言われるのを聞いた時に、僕も悲しい気分になりました。
「この方は立派な軍人だが、心の中は何と優しい方であろう」-僕はしみじみとそう感じました。
乃木さんは死んでも、まだ忠君愛国の念に充ち満ち、しょっちゅう、明治天皇の御霊近く伺われるようですネ・・・。