自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 私が『△△姫の通信』を受け取りつつある間にも、同一機関を通じて亡児からの通信は間断なく現れつつありました。前者は、相当長き歳月に亘れる幽界居住者の古い思い出話で、自ずからそこに纏まりがあり、又一つの見識もありますが、後者は、経験も思慮も乏しき新しい帰幽者のその折々の感想、又は見聞の通信で、いずれも断片的、即興的の性質を帯びており、時とすれば随分稚気に富んだ箇所もあります。兎も角も私としては、通信の都度、これを記録に留めてきましたので、今では数冊のノートブックを塞いでしまい、分量からすれば既に相当なものであります。今後これが何年続き、そして何冊のノートを埋めることになるか、考えてみれば、私共父子の絆は随分妙なところで結ばれていると思われるのであります。
 右のような次第で、亡児の通信の内容は必ずしも発表に適しません。私的関係以外には寧ろつまらないのが多く、又感情から言ってもこれを公表するに忍びないのが多いのであります。私がこの数年間、殆ど亡児の通信に手を触れなかった所以であります。 が、翻って考えれば、日本の心霊学界の現状はあまりにも貧しく、あまりにも寂しく、心霊学徒が観て肯定し得る程の純真な霊界通信は殆ど何処からも現れていないのであります。甚だしきに至りては、こうした通信の有無さえも知らない者が中々に多い。これは、人間生活にとりて誠に多大の損失で、こんなことでは、到底正に来るべき新時代の先達たる資格は備わらないと言わねばなりますまい。
 果たせるや、日本の現在の思想界、信仰界は混沌を極め、又日本の現在の文学界、芸術界は低調を続けております。公平に観て、現代人士の眼光は、卑俗なる地上生活以外には殆どただの一歩も踏み出していないのであります。
 彼を思い、これを思う時に、私はとうとう勇を鼓舞して亡児の通信に手をつけてみることになりました。私としてはなるべく研究者の参考になりそうなもの、又なるべく悩める人の心の糧になりそうな箇所を拾い出すつもりでありますが、それが果たして読者の期待に添い得るか否かは、自分ながらおぼつかないのであります。くれぐれも、これは未完成な一青年からの私的通信でありますから、何卒あまり多くを期待されぬよう切望する次第であります。

 昭和十一年七月   浅野和三郎