自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 母の守護霊の修業談には、僕も相当敬服させられております。こちらの霊界へ来た人の中にも、中々あれ位生(き)一本に、あれ位脇目も振らず、修業三昧に浸っているのは、そうザラにはないようです。それにつけても、僕はまず考えました。母の守護霊があんなに修業している位なら、僕の守護霊だって、何か苦心談の一つや二つはあるだろう。一つ訊いてみようかしら・・・・。早速守護霊に当たってみると、果たして色々話があるとの事でした。しかしとても一度には物語れないから、今回はその中の一端・・・音楽修業の話をしようと言って次の物語をしてくれました。母の守護霊とは、すっかり行き方の違っているのが、幾らか面白いところだと思いますが、ただ通信機関がやはり僕の母の体なので、上手くこちらの気分が出るかどうかが気掛かりです。うっかりすると、肝心な急所が、途中で消えて無くなってしまいそうで。
 念の為に申し上げおきますが、僕の守護霊は佐伯信光と言って、僕と同じく一向若年・・・・享年二十九で死んだ人で、今もやはり若い顔をしています。指導役のお爺さんとなると、僕達とは段違いの龍神さんですから、何となく気が引けますが、守護霊の方は、何だかこう気の合った友達、と言っては相済まないが、大変に親しみがあって、どんなことでも、遠慮なく談話が出来ます。性質は至って優しい、多趣味の人で、殊に音楽が元々本職ですから、その点においては、とても僕達の及ぶところではありません。僕がいかに守護霊の感化で、音楽が好きだと言っても、片手間の余技として、少しばかりかじっただけですから一向に駄目です。こんなことになったのも、結局時代の影響というものでしょう。僕だって、僕の守護霊のように、あの悠長な元禄、享保時代に生まれていたら、或いはそっちの方に、少しは発達していたかも知れません。イヤ余談はさておいて、早速守護霊の修業の話に取り掛かります。何しろ僕の守護霊は、全身全霊を音楽に打ち込んだ位の人ですから、こちらの世界でも、非常に閑静極まる境地に住んでおります。これがその談話です-
 「死ぬまで、音楽で身を立てようとしていたのが、病の為に中道に倒れたのですから、残念で残念で堪らなかった。勿論帰幽後暫くは、うやむやに過ごした。精神が朗らかにならなければ、とても音楽の修業などは、思いも寄らぬことなのである。が、指導霊のお世話で、すっかり正気を取り戻すと同時に、私が真っ先に考えたのは、こちらの世界で、もう一段も二段も、笛の研究をしてみようということであった・・・。
 なので早速指導霊に向かい、勝手ながら私には笛の修業をさせて頂きたいと願い出た。それは聞き届ける、とのことであったので、色々指導霊とも相談の上、こういう仕事は、深山の方が、一番音色も冴えてよかろうという訳で、直ちにその段取りをしてもらうことになった。
 私は指導霊に伴われて、とある深山に分け入ったが、意外にも、それが自分の予想したよりも、遙かに寂しい境地なので、内心少々気味が悪くなり、自然、顔にも寂しそうな色が現れたのであろう、早速指導霊からたしなめられた。「そんな鈍い決心では、修業などはとても駄目である。寂しいと言っても、時々はワシも見回りに来てやるし、又汝の守護霊も世話してくれる。それから昔の笛の上手な者も、稽古をつけてくれることになっている・・・・しっかり致せ!」
 私はこれに励まされ、自分で自分を叱りつけると、間もなく心が落ち着いて来た。それから程よき地点を選んで、そこに修業場を建ててもらったが、それは一人住居にしては、大変広々とした、立派な家屋であった。全てが白木造りで、周囲に縁がついており、そして天井が甚だ高い。これがないと、笛の響きが上手く出ないので・・・。又部屋の広いのは、一つには師匠に来て頂いたり、笛の仲間を招いたりする都合もあるからで・・・。
 私には生前非常に愛玩していた一管の笛があった。それは私の死んだ時、棺の中に納めてもらったが、いよいよ修業場へ落ち着くと同時に、私はその笛を取り寄せてもらった。笛そのものに、何の相違もないが、しかしこちらで吹いてみると、その音色は生前よりも、遙かに冴えて感じた。殊に現界の真夜中時と思われる頃になると、辺りはしんしんとして、笛の音は万山に響き立った。どうしてこんな良い音が出るのか、これが生前出てくれたならば・・・いつもそう思われるのであった。
 私が自分の生命を、笛一つに打ち込んで、我をも忘れて吹きすさんでいると、天狗達がそれを聞きつけて、よく遊びに来る。多い時は五人も来る・・・。天狗の中には、笛の心得のあるものがある。私が天狗に教えてやることもあるが、時とすれば、言うに言われぬ秘儀を、天狗から教えられる場合もある。又笛に連れて、天狗達が舞うこともある。風に翻る立派な衣装、さし手引く手の鮮やかさ、中々もって、地上では見られぬ光景である。
 時としては、精神統一中に、いずこともなく、音楽が聞こえて来ることがある。それはとても妙なる楽の音で、これが私にとりて、どんなに良い修行になるか知れぬ。そうした場合に、自分もよく笛を取り出して合奏してみるが、その楽しみは又格別である。殊に生前ヒチリキの名人であった人が、よく私と合奏をやる・・・」
 大体これが僕の守護霊の音楽修業の談話です。僕もそんな話を聞かされると、少々羨ましくなりますが、残念ながら、僕の素養が足りないので、とても僕の守護霊のように、上手い訳には行きそうもありません・・・。