自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P172より抜粋

 1913年10月23日 木曜日

 天界における向上進化の仕組みは実に細かく入り組んでおり、いかに些細な要素も見逃さないようになっておりますから、それを細かく説明していったら恐らくうんざりなさることでしょう。ですが、ここで一つだけ実例を挙げて昨晩の通信の終わりで述べたことを補足説明しておきたいと思います。
 最近のことですが、又一人の女性が暗黒界から例の〝橋〟に到着するという連絡を受け、私ともう一人の仲間二人で迎えに行かされたことがありました。急いで行ってみますと、件の女性が既に待っておりました。一人ぽっちです。実はそこまで連れて来た人達がその女性に瞑想と反省の時を与える為にわざと一人にしておいたのです。これからの向上にとってそれが大切なのです。
 一本の樹木の下の芝生の坂にしゃがんでおり、その木の枝が天蓋(てんがい)のようにその方を覆っております。見ると目を閉じておられます。私達はその前に立って静かに待っておりました。やがて目を開けると怪訝(けげん)そうな顔で私達を見つめました。でも何も喋らないので、私が「お姉さま!」と呼びかけてみました。女性は戸惑った表情で私達を見つめていましたが、その内目に涙を一杯浮かべ、両手で顔を覆い、膝に押し当ててさめざめと泣くのでした。
 そこで私が近付いて頭の上に手を置き「あなたは私達と姉妹になられたのですよ。私達は泣かないのですから、あなたも泣いてはいけません」と言いました。
 「私が誰でどんな人間か、どうしてお判りになるのでしょう」-その方は顔を上げてそう言い、しきりに涙をこらえようとしておりましたが、その言葉の響きにはまだどこか、ちょっぴり私達に対する反発心がありました。
 「どなたかは存じませんが、どんなお方であるかは存じ上げております。あなたはずっと父なる神の子の一人でいらっしゃるし、従って私達と姉妹でもありました。今ではもっと広い意味で私達と姉妹になったのです。それ以外のことはあなたの心がけ一つに掛かっております。つまり父なる神の光の方へ向かう人となるか、それともそれが辛くて再びあの〝橋〟を渡って戻って行く人となるかは、あなたご自身で決断を下されることです」と私が述べると、暫く黙って考えてから、
 「決断する勇気がありません。どこもここも怖いのです」と言いました。
 「でも、どちらかを選ばなくてはなりません。このままここに留まるわけには行きません。私達と一緒に向上への道を歩みましょう。そうしましょうね、私達が姉妹としての援助の手をお貸しして道中ずっと付き添いますから」
 「ああ、あなたはこの先がどんな所なのかをどこまでご存知なのでしょう」-その声には苦悶の響きがありました。「今まで居た所でも私のことをみんな姉妹のように呼んでくれました。私を侮っていたのです。姉妹どころか、反対に汚名と苦痛の限りを私に浴びせました。ああ、思い出したくありません。思い出すだけで気が狂いそうです。と言って、この私が向上の道を選ぶなんて、これからどうしてよいか判りません。私はもう汚れ切り、堕落し切ったダメな女です」
 その様子を見て私は容易ならざるものを感じ、その方法を断念しました。そして彼女にこういう主旨のことを言いました-当分はそうした苦しい体験を忘れることに専念しなさい。その後、私達も協力して新しい仕事と真剣に取り組めるようになるまで頑張りましょう、と。彼女にとってそれが大変辛く厳しい修業となるであろうことは容易に想像出来ました。でも向上の道は一つしかないのです。何一つ繕うことが出来ないのです。全てのこと-現在までの一つ一つの行為、一つ一つの言葉が、あるがままに映し出され評価されるのです。神の公正と愛が成就されるのです。それが向上の道であり、それしか無いのです。が、その婦人の場合は、それに耐える力が付くまで休息を与えなければならないと判断し、私達は彼女を励ましてその場から連れ出しました。
 さて、道すがら彼女はしきりに辺りを見回しては、あれは何かとか、この先にどんな所があるかとか、これから行くホームはどんな所かとか、色々と尋ねました。私達は彼女に理解出来る範囲のことを教えてあげました。その地方一帯を治めておられる女性天使のこと、そして配下で働いている霊団のこと等を話して聞かせました。その話の途中のことです。彼女は急に足を止めて、これ以上先へ行けそうにないと言い出しました。〝なぜ?お疲れになりましたか〟と聞くと、〝いえ、怖いのです〟と答えます。
 私達は婦人の心に何かがあると感じました。しかし実際にそれが何であるかはよく判りません。何か私達に掴みどころのないものがあるのです。そこで私達は婦人にもっと身の上について話してくれるようお願いしたところ、遂に秘密を引き出すことに成功しました。それはこういうことだったようです。〝橋〟の向こう側の遠い暗闇の中で助けを求める叫び声を聞いた時、待機していた男性の天使がその方角へ霊の光を向け、直ぐに救助の者を差し向けました。行ってみると、悪臭を放つ汚れた熱い小川の岸にその女性が気を失って倒れておりました。それを抱き抱えて橋のたもとの門楼まで連れて来ました。そこで手厚く介抱し、意識を取り戻してから、橋を渡って、私達が迎えに出た場所まで連れて来たというわけです。
 さて、救助に赴いた方が岸辺に彼女を発見した時のことです。気が付いたその女性は辺りに誰かがいる気配を感じましたが姿が見えません。咄嗟に彼女はそれまで彼女を虐めに虐めていた悪の仲間と思い込み、大声で「触らないで、こん畜生!」と罵りました。が、次に気が付いた時は門楼の中に居たというのです。彼女が私達と歩いている最中に急に足を止めたのは、ふとそのことが蘇ったからでした。彼女は神の使者に呪いの言葉を浴びせたわけです。自分の言葉が余りに酷かったので光を見るのが怖くなったのです。実際は誰に向かって罵ったか自分でも判りません。しかし誰に向けようと呪いは呪いです。そしてそれが彼女の心に重くのしかかっていたのです。
 私達は相談した結果これは直ぐにでも引き返すべきだという結論に達しました。つまり、この女性には他にも数々の罪はあるにしても、それは後回しに出来る。それよりも今回の罪はこの光と愛の世界の聖霊に対する罪であり、それが償われない限り本人の心が安まらないであろうし、私達がどう努力しても効果はないと見たのです。そこで私達は彼女を連れて引き返し、〝橋〟を渡って門楼の所まで来ました。
 彼女を救出に行かれた件の天使に会うと、彼女は赦しを乞い、そして赦されました。実はその天使は私達がこうして引き返して来るのを待っておられたのです。私達より遙かに進化された霊格の高い方で、従って叡智に長け、彼女がいずれ戻って来ずにいられなくなることを洞察しておられたのです。ですから私達が来るのをずっと門楼から見ておられ、到着すると直ぐに出て来られました。その優しいお顔つきと笑顔を見て、その女性も直ぐにこの方だと直感し、跪いて祝福を頂いたのでした。
 今夜の話にはドラマチックなところは無いかも知れません。が、この話を持ち出したのは、こちらでは一見何でもなさそうに思えることでもきちんと片付けなければならないようになっていることを明らかにしたかったからです。実際私には何か私達の理解を超えた偉大な知性が四六時中私達を支配しているように思えるのです。あのお気の毒な罪深い女性が向上して行く上において、あんな些細なことでもきちんと償わねばならなかったという話がそれを証明しております。〝橋〟を通って門楼まで行くのは実は大変な道のりで、彼女もくたくたに疲れ切っておりました。ですが、自分が毒づいた天使様のお顔を拝見し、その優しい愛と寛恕(かんじょ)の言葉を頂いた時に初めて、辛さを耐え忍んでこそ安らぎが与えられるものであること、為すべきことを為せばきっと恵みを得ることを悟ったのでした。その確信は、彼女のように散々神の愛に背を向けて来た罪をこれから後悔と恥辱の中で償って行かねばならない者にとっては、掛け替えのない心の支えとなります。

-その方は今どうされてますか。

 あれからまだそう時間が経っておりませんので目立って進歩しておりません。進歩を阻害するものがまだ色々とあるのです。ですが間違いなく進歩しておられます。私達のホームにおられますが、まだまだ他人の為の仕事を頂く迄には至っておりません。いずれはそうなるでしょうが、当分は無理です。
 罪悪というのは本質的には否定的性格を帯びております。が、それは神の愛と父性(注)を否定することであり、単に戒律を破ったということとは比較にならない罪深い行為です。魂の本性つまり内的生命の泉を汚し、宇宙の大霊の神殿に不敬を働くことに他なりません。その汚れた神殿の清掃は普通の家屋を掃除するのとは訳が違います。強烈なる神の光がいかに些細な汚点をも照らし出してしまうのです。それだけに又、それを清らかに保つ者の幸せは格別です。なんとなれば神の御心のまにまに生き、人を愛するということの素晴らしさを味わうからです。

 (注 民族的性向の違いにより神を〝父なる存在〟と見做す民族と〝母なる存在〟と見做す民族とがある。哲学的には老子の如く〝無〟と表現する場合もあるが、いずれにせよ顕幽にまたがる全大宇宙の絶対的根源であり、神道流に言えばアメノミナカヌシノカミである-訳者)